シ・ス・テ・ム

自分の駒と相手の駒が盤上に並んでいる。

「相手に勝利する秘訣はなにか?」

 
と、名うての老年棋士は弟子に問うた。

 

「各駒との連携。チームワーク。
 同じ志を共有し、各々の特性をつなぎあわせて絶大な戦闘力を発揮させること。
 そうすれば、敵がどんなに強大であろうとも打ち勝つことが出来るでしょう」

と。其れに続く弟子が応える。

 
「軍を率いる隊長としてはその答えでも十分だろう。
 だが棋士として、その考えだけでは浅はかだな。
 そもそも倒すべき敵とは何なのかね?」

「敵とは、相手側の”キング”ではないのですか?」

「そうであるとは限らない。ルールは状況によって変化する。
 何の考えもなしにゲームに熱中すると、時折見落としてしまうのだよ。
 本当の勝利条件は何処にあるのか?ということをね。」

「・・・」

「例えば、味方だと思っていたのが実は敵の操る駒だったら?
 或いは倒すべき敵だと思っていた駒が、勝利に必要不可欠な自軍の駒だった場合は?」

 
彼は言った。

勝利条件を明確にすること。
盤上では誰が味方(必要な駒)で、誰が敵(不必要な駒)なのかを明確にすること。
駒がどの陣営に属するかはあまり問題にはならないのだよ。

 
そして勝利条件を達成することが目的ならば、
不必要な駒をおちおち相手にしてはおれぬ。

 
見なさい、敵の駒は棋士(システム)という頭脳の下に動かされた操り人形。
君は勝利のために、わざわざ代替の効く人形たちを相手にするというのかね?

 

 
駒は駒でしかない。
役割を与えられた駒とはいえ、それは単なる駒にすぎない。
勝利条件は盤上を制することで、プレイヤーとして相手を制すること。必ずしも敵の駒を倒すことではない。

それを肝に銘じておくことだ。

 

・・・

 
 

この間、サイコパスというアニメが放映されてました。

システムで心理状態が数値化され、ネットワークで管理されるというもの。
犯罪を取り締まるために、犯罪を犯す可能性のある心理状態の者を予め排除し、更生させる。
それで健全な社会を守っていこうとする世界設定でした。

 
勝利条件は?

それは、システムの健全な運用を維持しつづけること。
その為に、潜在犯を捕まえて、彼らの心理状態をクリアに保つことだ。
その業務は常に必要とされる。いったい何を以って勝利となりえるのか?
 

微妙に勝利できない勝利条件。
つまりその盤上に居る限りプレイヤーは永遠に勝てない。
いつしか操作ミスをして敗北しかねない。

人間の作ったシステムというのは、常に監視しないと理想形を保つのが難しく。
常々イレギュラーな存在に対処していかなければ、簡単に瓦解してしまう。

 

脆きモノ、その名は人間社会。

 
今、置かれてる境遇が、何か違う意志によって仕組まれていると気づいた時、
それを改善する手がかりが、必ずやどこかに眠ってることだろう。

システムはそれ自体では独立できず、いつでも人間の手によるメンテナンスが必要だ。
では、そのシステムが敵(邪魔な存在)だとして、それに従事する駒を片っ端から倒していくのは?

 
そんなことしても直ぐに誰か代わりのものが職務に就き、役割を遂行していく。
あれは単なる操り人形、駒であって、倒すべき存在ではない。

骨折り損だ、まさに相手の盤上に踊らされるピエロと成り果てるのか?
敵プレイヤーの思う壺なのだと。

 

自分はいったいどういうゲームをプレイしているのだろう?
どうすれば勝利条件を達成できるのだろう?
その為に必要なピースは何なのだろう?

常に底(基本)から把握する必要がある。
単純明快にして、ついつい見落としがちな要素だ。


表現者の道

以前、舞台の袖を目指してた時期があった。
何者にも成り変われるスキルを望んだが、それを扱いこなす術を願い忘れた。

このことは、後になって筋力のようだと思った。
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筋力≒スキル

 
何かをやり遂げるという意志があって、初めてスキルは意味を成すとか何とか。
何のために演ずるのか? 何のために、その者に成り代わるのか?
果たして、その先を見据えていただろうか。

 
その存在のようになりたかったから?
その存在に近づきたかったから?
その存在たちのことを理解したかったから?

 
・・・同時に、自分という人間の在り方を辞めたかったから?

 

記憶の中にある創造の中の人物が、自分にとって成り代わった瞬間。
私は今までの自分という存在を、海に放り投げてしまった。

 
構築したい世界に、今までの自分のような存在は要らない。
舞台の中で彼らを演じ、生まれ変わるのだ。

さぁ、何になる?

 
何者にもなれるというスキルは、自分がどういう存在でありたいかハッキリしない。
だから、あやふやなままだったと後になって思う。

 

キミの子猫になりたい(。◕ ∀ ◕。)ノ
あなたはそう思っている、にゃんにゃん(‘ ‘*)


シェイクスピアの戯曲

小説とは、ただの文章の羅列であろうか?
と、少年アリスは問いただした。

 

その昔、日本では短歌という詠み唄が嗜まれていたという。
5:7:5のリズムに刻まれた節より、言葉の意味を超えた音の響きがこだまする。

 

ああ我よ
我という名の
月詠よ

波紋を揺らす
天地の舞に

現に出ずるは
夢の情景

 
彼は言った。

それは物語に在らず。
物語とは原初の音。
音のリズムが場を作る。

 
見よ、歴史的遺産として名高い彼の戯曲を。

 
その者は続けた。

ただの羅列が、心を踊らす名曲を成し得るや?
彼は知っていたのだ。言葉に宿る音の響きを。
その響きが合わさって、物語に生命を吹き込んだのだと。

 

あれは小説で在らず。
詩であり、抒情詩であり、物語なのだ。

 

ならば・・・

アリスは一拍、声を整える。

 

その詠み詩は、今ココに読み解くことが出来るものでしょうか?

 
彼は思い出す、古典の朗読を。
あれは歌だった。あのよろし。

韻を踏むメロディが脳裏に焼き付く。
あの響きが、鍵なのだ。


一気に書いて、時間を掛けて磨く

時間を置くと、過去の自分とは違う視点で振り返ることが出来る。
何かを生み出す時、描きたいという想いと、遺したいという想いが合わさって暴走する。
一点集中だから視野が狭く、だから自分の目線至上主義でどんどん話が進む。

ずっとどこまでも突っ走っていって構わないと思う。

 
ただし、後になって別の自分になった時、他人の視点でそれを解読することが出来るようになる。。
別の視点だと、自己目線至上主義では???なところが結構出てくるのだ。

そこを、2回目になぞるときに補完していく。

 
3回目、4回目となぞるうちに、もっと補完できてくる。
でも、元がきちんと筋道立ってないといけない。

もともと描くということで、全体像はっきり、進む道もはっきり。
どこまでも書き進んでしまえばイイ。

 

一気に書く。
あとで直す。

コレに尽きる。


創造の源は愛なのか

大切な存在に分け与えたいと思ったとき
自分を高めることをする。心のすすを払い、一心に磨くことをする。

そうすることで、分け与えるものが光り輝いてくるから。
それが大切な存在のもとで生き続けることを思えば、手は抜けないのだ。

 
魂の込もった作品は、誰かの記憶の中で生き続ける。
この輝きは、色褪せることなく魂に刻まれるだろう。

 

愛が自分の大切な存在へと分け与えるものだとすれば
分け与えることは同時に、自分の存在した証を真に受け取ってもらうこと。
その記憶を、より光り輝くものにするために、自分のすべてをその一瞬に賭ける。

自分のすべてを、自らが手がける作品に込め、生命を吹き込む。
大切な存在に役立ててもらうために、それが自分の存在した証とするために。

 

分け与えることで、存在の証は積み重なっていくだろう。
故に愛は創造であり、その瞬間に自分のすべてを掛けて打ち込むものだ。

と、解釈するのでありました(‘ ‘*)