大阪の明石焼き

明石焼きといえば、たこ焼きと並ぶ関西の名物*:・’゚☆
阪急3番街の地下に「ぶぶ亭」というお店があります。
今回、そこで明石焼きを食べてきました(‘ ‘*)

ぶぶ亭 明石焼き
なんかすっげー本格的w(゚ロ゚)w
台の下は凹んでるのかな?とたこ焼き感覚で見たら、
明石焼き
まっ平らでしたw

明石焼き 器
そういえば器がちょち左斜面に傾いてる。
どうしてだろう。明石焼きの謎。。
この子を、和風だしにつけて頂くのです。
ふにゅ、あっさりしてて中々美味。

明石焼き 和風だし明石焼き 中身
中にタコが入ってました。
ますますたこ焼きにそっくりだw

現地の方は「たこ焼きと一緒にしちゃダメにゃ〜w」ていうやもだけど、外から来た人から見たらやっぱりそっくりだよね。

ちなみに、明石焼き作ってる所も写真撮らせていただきましたよー

明石焼き 焼き場明石焼き 焼き場2
やっぱり生地はふにゃにゃん(‘ ‘*)


「また、必ず会おう」と誰もが言った

先日、誠に不思議な出会いがありました。
なんと、サンマーク出版の取締役さん?が九州のお茶会にいらしてくださり。

そこで編集者として、そして個人として体験した貴重な人生の記録をお話してくださいました。
人は、出会いの中で成長する。というような意味の言葉を仰ってた気がします。
そして出会いは偶然ではない、必然であるとも仰ってた気がします。

その時、紹介してもらったオススメの本がこちらです。

 
さて、此処からは自分自身の回想。

自分が作家になったならば、本の中身を自在に思い描くことができる。
自分の棲む次元の、一つ下の位に、自分の世界を構築して。
自分一人だけの世界では、自分は神になれる、と錯覚するのです。
自分は何にでもなれる、と私は思います。
ただし、自分が考えられる範囲の者にしかなれない。

ですが構築した世界が、モンハンのように、ポケモンのように、どうぶつの森のように。
他の人の作った世界と触れ合い、交流して、刺激を受け、新しい思考が生まれ、成長する。

そうやって、自分の中の世界がどんどん充実していくのかなって。

人は、言語で思考すると誰かが言ってました。
あらゆる事柄を、人は頭の中で、言語を介して認識している。
環境を形作る言語が、人の思考回路を支配している。とも考えられるそうな。

生まれるときは、人は何も持たない。
文化も言葉も、考え方も持たない。
目に映るものが全て。

それが、廻りの環境を経て、言葉だったり、両親だったり、食べ物だったり。
他のものが自分自身を取り囲むうちに自我が形成されて、自分自身になる。

ホントの自分は空っぽ。。何もない。
何もないからこそ、自分自身が望むとおりに生きることができるのに。
自分自身を取り巻く環境を、自分自身で選択することができるのに。

日常生活を繰り返していくうちに、ふとそれを忘れることがあるのです。
今の時間が、毎日の同じ繰り返しが、延年と続くような錯覚。
自分自身に与えられた立場、役目、仕事。
それらをただこなすだけの人生が、自分自身を、世の中の調和を狂わせていくような。

世の中の多くの人たちが操り人形のようになってしまうのはなぜ?

環境のせいなのか、教育のせいなのか、社会のせいなのか、政治家のせいなのか。

その答えが、この本に載ってた気がする。
ホントは、そんなことは書かれてないかもしれない。

自分には、既に頭の中に入ってた言葉、分かってたつもりの格言がいくつも。
いくつも書かれてありました。

「人は、言葉を通じて。その人の意識と繋がっていくんだ」

というのを何となく思い出しました。
自分の中にある言葉は、既に誰かが発した言葉だから。

やはり書は偉大だと思います。
書は、自分自身を形成する手助けになってくれると。
今回、改めて実感しました。

本の編集長さん、素敵なお仕事だな〜って感じた一日でした。
で、自分も。また。必ず会おうと、誰かに言うのだと思います。

この本が、他の人にはどのように映るのか。
ちょち気になってみたり(‘ ‘*)

とってもいい本だったですよ〜*:・’゚☆