15年前の作品展 ポケモンルビー時代の2次小説

雨が降っていた。
強く、激しく、荒々しい自然を彷彿させるかのように。
ザアザア……止まることの無い。大雨。

灰色の雲が、延々と空を覆っていて、ひとかけらの光も阻まれている。
音。灰色の音。気持ちすっきり。むしろもっと降って。

光。鋭く、強烈な閃光の見えた。
薄暗い昼時を、白日なまでに照らしたかと思うと、瞬く間に消える。
その数秒後…。

『ぴか〜ごろごろ〜〜。』

「なんだい?ぴかちゅう?」

雨がふるあめがふるあめめがるがるるる。
ふる雨と雷ぼうずとかめさんとともに降る。

「カパーン:」

どうやら……

……雷は怖いらしい;

雨の降る中、流星の洞窟で雨宿りする一人の青年がいた。
もうすぐ三十路に差し掛かるだろう、銀の髪が冴える。

世間を知らない。誰よりも知っているようで、何も知らない。
そんな風に、思う。
その青年、ダイゴは、帰り道を行く途中に雨に出会った。
エアームドと共にカミナリ様の逆鱗を浴びるのを避けるのには、すぐ近くの場所で雨宿りするほか無かった。
それでたまたま辿りついたのが、流星の洞窟。
銀の鳥を、ボールに避難させる。

「まあ、仕方ないといえば仕方ないね」

自分に、他人に言い聞かせる言葉。
今から行われるはずのリーグチャンピョン戦に間に合わなくなる。
代返は、だれかやってくれるか・・・…
ただただ時間が過ぎていくのも、かまわないけど。
どうだろう、折角きたのだから、中を探検してみるのも面白い。

洞窟。
氷、月、滝。と、なだらかに連なる光景。
不可思議に溢れた、ぐちゃぐちゃの配列。
月は浮遊対だ。お日様もある。
異様だ、洞窟の中は、もう一つの太陽と月と、世界が見えた。
また一つ、もう一つ。
月と太陽と、やわらかい砂地。綺麗な氷の結晶が、ところどころで煌く。

その中核を成しているのは、石。いし? 意思。意志、まさしく自分。
そう、自分だ。

滝があった。
昇る。たやすいことだ。もう一つ奥へ進み行くのも。
かつて自分は此処を通り過ぎたかもしれない。記憶は無いけど、感覚がそれに近い。

この場所は、自分の中で、もしくはこの場所の中で自分が存在している。
チャンピョンとしての彼である前に、どうしても無くてはならないものが、まさに其処にあった。

光だ。闇に蠢く、対称物だ。
紅く、紅く、真紅に輝く瞳。そして自分と同じ、銀の君。
誰よりもまず自分。けれどもその存在は違った。
食い入るような眼差しで、こちらを警戒してくる。
まるで、狼に魅入られた羊のように。
ただ頑なに拒もうとも、それを振りほどくことは不可能であって。

氷。映し出された、対の自分。

「アハハ、アハハハハハ……」

なんと疲れきった顔をしているのだろう。
これが自分か。ぼくの姿なのか。あはは。

自分が思ってた以上に老けている。
おっさん。良く見てもお兄さんとは言えない。
整った顔立ちだが、しわが目立つ。
ダイゴは凍りついた。『あはははははh』

時間というものは残酷だ。
気づかぬうちに、全ての存在を最果てへと誘う。
自分は永遠にかっこよきお兄様だと思ってたものが、見るも無残な姿に(と思ってるのは、本人だけだったとしても)
何が足りない、何かが足りない?

確かにあったもの、若々しさと、溢れるほどのオーラ。
今は……?

「そういえば、最近石ころ探検なんてしてなかったな」

かつて、唯一つの生きがいだったもの。
いろいろな場所で、めずらしい石を採取し、飾ること。

「こんなところに足を運んでまで、よく分からない石ころを拾ってたな」

もう一度、いや、またこれからも続けてみようか……

何を? 何が青年を突き動かすのか、ただ意味も無くひたすらに。
綺麗な石? めずらしい石?
そんなの他人から見ればガラクタさ。
いや、中にはホントに貴重なものもあるかもしれないけど。

そこらに転がる石ころと、彼の探す石ころと。
どこがどう違うのか、全ては彼の世界で、彼の世界の中に従う。

いし。いわのかけら、つきのいし、いわしのほね、あさりのかせき、いんせき?花崗のすな、
赤茶けたいし、たいようみたいないし、溶けた氷。月桂樹の葉っぱ。

なにがなにで、いったい彼の中でどうなっているのかは、彼にしかわからないけど。
子供のころのように、自由な心。
大切なもの。きっと大切だったもの。今の自分には見えない。そんなのガラくたぁ。

ダイゴは、時間を忘れて、何もかもをほったらかして遊んだ。
遊んでいるのは、大誤算。
だってほら、大事なお仕事あるのに、捨てちゃった。
もう後が無い? いいえ。今を生きる。

そんなの、大人の世界では通用しません。
自由が欲しかったら、それこそ心を解き放て。
もしも現実を生きるなら、心を縛れ。

どちらも。ダイゴサン……?
—^^;—だいごさん?

おかね〜お金? あります。お父様が、持ってまっす。
それに、チャンピョンって稼げるのさ。もういいじゃない。
これからは、素敵な世界と巡りあえるよう、ルビー君のように各地を旅歩くよ。
珍しい石が見つかったら、それが一生の宝物さ……。

きっとこれで、お金は無くなる。世界は広がる。
自分が野タレ死ぬその日まで、気まぐれに、気休めに。

それは彼の、石ふる夜の最果て。


一冊の本で世界が変わることがある

アナスタシア「響き渡るシベリア杉」

2012年の末頃、たまたま友人がおすすめしてくれた。
この本に描かれてある文書、一見普通の分かりやすい言葉なのに、そこから感じ入るものがとてつもなく膨大で、読みすすむにつれ、いくつもの発見と、希望と、未来に確信を持てるようになってた。

最終的にこの本には、生きる過程の様々な場面で役立つことが書かれてた。

ページ数は普通。
なのに1フレーズ、1フレーズに込められたそれは、読むだけでハッとさせられる。
たった一節の中にどれだけ膨大な情報量が込められてることか!
それらの何と至るところに散りばめられてることか!

例えば、聖書の冒頭にはこう記されている。

「最初に言葉があった」

しかし正確には

「最初に意識があった。そこから言葉が発せられた」

このような、一つの概念が改まるようなフレーズだ。

たったこれだけの違いで、多くのことが一変して見えてくる!
これまで世に綴られたあらゆる解釈が一変するではないか!と…

つまるところ

「より重要なのは、その内容に込められた想い(意図)である」

子供との関わり方
菜園での植物との関わり方

が中心のテーマではあるが…

しかし、自分の経験と照らし合わせる事で、あらゆる分野に応用できる発見がいくつもあるんだ。

過去にさまざまな記事を書いた。
これらすべてが、上の一節から感じ取れた内容に繋がってくる。

曲作りに置き換えれば
「重要なのは、どれほど素晴らしい曲を描けたかではなく、どのような想いを込めて作ったか」

「曲の完成度」で聞いてた部分が一転して、「そこに込められた想い」まで感じ取れるような視点を得る。より適切な音を選べるようになるわけで。

目の前の一つ一つの事柄の、込められた意図に目が行くことで、全てに真実の片鱗が見えてくるのです。

自分にとって本当に必要なものは何なのか、とっても分かりやすくなる

だって、内面の意図が感じ取れたなら。嘘が通じない、本音の響きで聞いて、本音の響きで返せるようになるから。

語学も文法も膨大なマニュアルも公式も、形式や格式ばった振る舞いも、学校で習う色んな知識も、多くのものが取るに足らないものとなる。
視界がスッキリする。

「想い」を見るようにしたら、内容を一字一句追うなんてしないもの。
10分の1、100分の1以上ものスピードでそれが何を意味するか判断できるし。

人間関係だって、円滑になる。
想いをみて、想いで返せるようになれば誤解がなくなるから。

一般常識では測れない、計り知れない可能性を、自分の中に見出すでしょう。

改めて、自分の置かれてる状況を振り返って見る。クリアな視点で、どこをどうすれば自分に望ましいのか、より見えやすくなると思います。

今までの経験や、教えや、読んだことのある本に、これからの未来に、これまでと違った側面を、より自分に相応しい一面を、正確に見い出せるようになると思うのです。

この長さの文書、本の一節から感じ取れた一部で、こんなんがいくつあるんだ!?ってくらい充実してて、あらゆることに通じる本。

山奥の暮らしに移り住むとき、唯一この本は持ち運んだ。また何度でも読む。

読むのすごいオススメ。
皆さんにも推薦してみる(‘ ‘*)


1%の閃きが始まり

1%の閃きが無ければ、99%の努力は実を結ばない。
努力とは言葉の綾、ただ閃きに突き動かされているにすぎない。。

1%の閃きこそが、新たな創造へと導いていく。
 

必要なのは閃きだ。アイデアだ。
頭を使うんだ!!

トーマス・エジソンの格言が、無理難題を可能にする。
人間、やろうと思えば何でも出来るんだよな(‘ ‘*)

 
かの有名な発明家。彼は、新たなアイデアを次々に試した。閃きに突き動かされたんだ。閃きがあって、その後の99%が功を為す。発明家の真意は、発明家になって直に知る。素晴らしい未来を築き上げるのに、必要なのは最初の閃き。

 
「1%の閃きが無ければ、99%の努力は実を結ばない。」(。0 _ 0。)ノ


何をもって成功の定義ナノカ

生き延びること。

コレに尽きる。

 

これについて今までミスったのが

「みんなと一緒に」

 
という視点が抜けてたこと。

 

自分一人しか考えてなかったため

色々な面で行き詰まりと限界が来て、

結局は何にもできなかった、に等しい現状。

 

今からでも間に合うんだろうかね?

まぁ、生きてりゃ何とか成るんだろうね。

 

プラン書いとくか。どうせ今は錯乱してるから。メモ程度だ。

 
プランター栽培、畑、田んぼ、樹、草花、森林、

バイト、臨時店舗、ぷち店舗+庭、

家、車、都会⇔田舎

音楽、物語。

 

全部、同時進行。

出来るところからやってく。

現実に出来るトコまで、段階踏んでやってくだけ。

 

しょーじき、生き延びるための秘策は、皆で共有するしか無い。

そういう場を設けるしか無い。そういうのはとっとと開いてやっっておきたい。

下地がない。だから下地を作るトコから入る。

 
同時進行で、生きる基盤となる食べ物、畑の部分を整える。

家のことも兼ねて、だ。もう、全部バラバラだ。一箇所では今できん。ばらばらで行ったり来たりするしか無い。

せめて今は落ち着こう(o _ o。)

色々クリアせなあかんことが多すぎる。


数年後を生き伸びることが出来るか?

2022年を生き延びることが今の目標だ。

どうすればいいんだろうな。

 
西暦1997年に阪神大震災が起こった頃

1月17日、あの日の記憶はいつかの自分に重なった。

今の社会が無残に崩れ去ることを、あの日しっかり感じ取った。

 

ただ自分一人、山の中にこもって〜

みたいなことを考えてた気がする。

小学校5年くらいのころだった。

 

周りの何もかもがどうでも良くなった。

その日、しっかりと認識した。

あと何年だ。今の常識が通用するのはあと何年だ?

勉強しても意味が無い。働いても意味が無い。金???

ただ食べ物があればいい。凍えなければいい。

その為に何をするか。考え始めたのは、阪神大震災がキッカケだったんだ。

 

それまでも常に、自分が生き延びるための安心を求めていた。

それまで「戦争が怖い」だった。

次に「自然災害が怖い」だった。

その中でも「地震」には打ちひしがれる思いを感じた。

 
ずっと後になって、それら人災や天災は、人の行いが呼び寄せていたのだと知った。

地震で停滞する世の中の作りが問題なのだ。

戦争を勃発しかねない原因を作った今の世の中に、原因が在るのだ。

 

周りを変えようとも、それは不可能に近い。

だから、そういうのから離れて、自分一人、ひっそりと生きようと思ってた。

サイトを作ったのもその想いから、夢の世界に逃げ込んで。いつかこんな場所ができたらいい。

そんな思いで、周りから一線引いて、やってきた気がする。

 

他人なんかどうでもいいのだ。

もういっそ、自分一人さえ無事ならば。

子供の頃ってそうじゃない???

赤ちゃんは自己愛のかたまり。こういう考えって、素敵じゃない?

みんなが、みんな、自分の無事さえ考えて、自分だけ安全に生き延びることを「前もって」考えられていたなら

どれだけの人が救われるだろう。

 

みんなが、自分の世界を築いて、そこで来るべき時が来るまで安全にやり過ごすんだよ??

素敵だよね。外で何があろうと関係ないんだよ。

ねえ、分かってよ。

 
家族もろとも死を選ばんでくれよ。

なんで、親がこんな思いを抱かなくちゃいけないんだ。

頼むから無事でいようとしてくれ。

生きることに執着してくれ。

でないと、生きてる意味が無くなってしまうじゃないか。

 

子どもたち、子どもたちができたら、親は想うだろうぞ。

子供だけは無事で居て欲しいって。

その想いを汲んでくれよ。頼むから。

自分が、子どもたちが生きのびてこそ、先代たちの苦難が全うされるのだ!!!