目には目を

twの最近の動向には、考えさせらるる。
パンデミック以降、主要なTVメディアに留まらず、IT業界のトップ企業、snsシステムの意図がゴミ屑である全体像をはっきりと認識してから、これらはもはや嫌煙すべき対象でしたが、

異論マクスさん、と仮称しておきますが莫大な資金を持ってとあるsns企業を買い叩いてからの変化というもの。

ゴミ屑と評したモノに対して、認識を改める思いでした。
人間が作ったシステムの中で、経済社会に囚われて生み出されたモノの大部分が次世代に悪影響を及ぼす産物なのですが、これをモノの見事に解体の方向へ舵を切っている(ように見える)

真意は知りません。

しかし、最終的には可燃性の燃料としか役に立たなくなる代物に、こうも有効な活用法があるとは恐れ入りました。
解体されても、人々が安易なシステム依存をする限りは、また新たなゴミが見出される始末かもしれませんが。

目が覚める思いです。

ゴミは燃料になるのです。
不要なモノを焼却処分するための。
それはポジティブな側面だと分かります。
そうです。

今、それの立ち位置から有効な扱い方を知らなければなりません。


天体の力を借りることの入口

天体の力を借りることの入口

それぞれの星の軌道には決められたサイクルが定められている。

そのサイクルは周波数に置き換えられる。
例えば太陽の一日のリズムは一定。
星が呼吸するように、私たちも呼吸すれば良い。

すると揺らぎにロスが少なくなるので、私たちの活動(演奏)に持続性が伴ってくる。楽。時計のリズムはそう?

試しにリズムを刻む、4つ打ちの120bpmというのも、一日のリズムと呼応している。
それが4小節となり、4フレーズになり、4楽章となり、3と5のリズムと交わりながら、一日のサイクルを繰り返す。

曲の最適なテンポというのが、どうにも。あるようで。

加えて月のリズムというのもあるし、太陽系の他の惑星たちの位置関係とも関わりが見えてきだす。


AIポンコツ化の要因と、克服条件の考察

AIポンコツ化の要因と、克服条件の考察

AIがポンコツ化するのではなく、
AIの発展によってポンコツ化する人間側の要因と、
その克服条件を考察してみてます。

何もコンピュータに限った話ではなく
人間が歴史上で発明されてきた、様々な便利グッズにおいて適応される話になりそう。何より。

まず道具(システム)が開発される経緯と、開発側の意図を部分的に読み解いていきます。
まずこの経済社会においては、開発側の理由に多かれ少なかれそれが利益をもたらすことが目標地点として透けて見えておりすぎます。

ソーシャルゲームが成り立つのは、課金ユーザーが居てこそであるし。
WindowsがWindowsであり足らしめるのは、全世界中のユーザーにWindowsを強制させることを実現しているからであり、またクソみたいな計算機ソフトを一般業務に必須であるとの集団催眠をかけることに昼夜努力してることからも伺えるでしょう。

それを一般レベルに押し付ける!という大規模な範疇を超えた営業努力によって、中身のプログラムが如何にショボかろうと、或いは何らかのウイルスが仕込まれていようと、それは世界標準の発明品として、この社会に受け入れられているのです。

というか、利益にならない発明品(真にユーザーにとって優れた道具)というのが、一般に出回らないような仕様になってしまっておるのです。

経済社会優先=人類の隷属化

反論ある??
歴史が証明してますけど?

そして一般市民は、そういった道具を受け入れる=対価を支払わせられ続ける。という当たり前の状況について、無頓着で居るのです。

周りがみんなそうだから、違和感はなく、使うのが当たり前! すごいね!!! え、君もってないの??ダサっ!!

ある意味、そういった社会においての真っ当な人間であるかどうか、リトマス試験紙的な反応を得られます。

まぁ、どんなに技術が進歩しようと。
それが最新式であろうとなかろうと、重要なのはそこでは無い。

面倒な計算は、その自動計算機がやってくれる訳ですが、。コンピュータが発明されて何十年と経っても、自動計算機は自動計算機以上の範疇を超えることはないのです。当然のごとく。

仮想空間がリアルに近づく。。複雑怪奇で多面展開的な処理能力を得たとしても
そのデータが複雑化すればするほど、コストが二次曲線的に増大する!という馬鹿げたシステムの上にあるわけです。

電子楽器の音源で例えるなら。
昔の商品基準がピアノ88音4段階の強弱のサンプル録音で成り立っていたものが。。
16段階になり、20段階になり、24段階になり、32段階になり、加えて2種類のローテーション再生。

昔は88×4程度で素晴らしい品質だったものが
88×32×2種類のデータを適切な位置に施す構築を経て、やっとリリースできる手間。販売価格は変わらず。。

とあれば、そう。
開発コストが2倍、4倍、8倍とどんどん嵩む事実が浮き彫りになります。

技術が進めば進むほどに、開発コストはうなぎ登りです。そして処理コスト、つまりユーザー側の負担ももちろん倍増。。ね。

まぁ開発については、ある地点から舵を転換することに、なるんですよね。ディープラーニングとか?
コンピュータ自身に演算処理を任せて、自動開発してもらうというやつです。。

人間がそれまで手作業でやってきた面倒なことを、機械に丸投げして、人間はその恩恵を享受するだけでいい。。という発想になります!

開発プロジェクトを自動化するには、それもまた人目線の開発行動原理を忠実にデータ化する必要があるのですが。。ははは。

単純な作業なら、コンピュータは向いてるんだ。
そして、人間はその単純な作業に慣らされるという仕様に育てられてしまった。

であるならば、やはり一般的で単純な人間風情は役に立たないという判断を下されてしまう。

オカシイね。
恩恵を享受するべき人間の、存在価値が疑わしいものになるなんて、当時は想像がつかなかった。

何しろ、まだ、人間には、人間にしかできない、尊厳に値する何らかの可能性を秘めていた。

現代社会の大半の人間に対して、失格の烙印を押すよりどうしようもない、生きる屍たちには目もくれず。

目の前の、生活を取り巻く様々なモノに対して、対話を投げかけようと試みる。それは何のために開発され、何を私自身にもたらそうとしているのか。

どうせ依存するより他ないなら、頼りっぱなしの製品に対して製作者の意図を読み解くべし。

享受するだけの死体には、命を有する資格がないと、私は見ているけれど。

どうなんだろう?
枠組み通りに動くだけのゴミ量産機。


フリーエネルギーの形

一度、電気的な制約から外れた方が良い。
エネルギーを限定的な形で捉えてしまうと、他の恩恵が目に映らなくなる。

街中で暮らしてた時、電気がなければ生きていけないと思ったように。
その延長でフリーエネルギーで電力を賄う。。という方向性で考えてた。

それが本来の自然の場に移ってどうだったかというと

森林に囲まれた小屋は、夏でも冷房など要らんくらい過ごしやすい。
冬の暖房や煮炊きは、近くの竹林の端材や乾燥した枝、炭、ある程度の薪で十分かもしれない。

冷蔵庫の必要性は。。
少し古い時代の保存食や文献などを読み漁ると。。
実は無くても何とかなるケース。

パソコンとか端末などは、そもそも必須でもないし、工夫次第で省電力化できる。
モバイルソーラーとバッテリーのみで賄える形。

これで、総合的な電気の必要性は激減される。

しかし世間様の流れは、近年激しさを増してるように感じる。
電力依存、ネット依存、スマホ、パソコンのクラウド依存、5Gやwifi電波依存、人間が作ったはずの人口システムに逆に絡め取られ、常に個人情報を監視されるように仕向けられる。

大半の人間を莫大な動力喰いシステムへと引きずり込んでいる様子。今後ますます加速するかも?

その世界線だと、フリーエネルギーは開示できないだろうと思う。Windows的思考なので、どんどんユーザーに消費させて有り金毟り取った方が良いので。

ただで使えない!という制約を、如何に利便性のガワだけで誤魔化し、大衆に浸食させていくか。
大衆から本当の資源(フリーエネルギーに値するもの)を見えなくさせ、代替え手段として、便利なグッズや仕組みを提供するのだ。維持コスト多大な数々のモノを忍ばせて。

日本の歴史も、近代から現代までの国家事業も、補助金システムも、法も教育も医療分野でも、根本を辿れば、それらの流れを後押ししている面を、はっきりと理解できる。

私たちは知らない間に、物事に対する認識を錯誤させられている。
注意深く、生活そのものを見直さねばならない。


1町分の広さは存外狭い

山の開墾は存外狭い

およそ9000平米
荒地の開墾は、当初終わりの見えない道のりに思えました。

竹林
クヌギ林
笹地帯
沼地

申し訳程度の畑。

笹や竹で道が塞がれていたのを、少しずつ開いて6年。
なんと、全てを踏破した。

1人で始めてたのが2人になり、同志に恵まれ遠くからもお手伝いに何時間もかけて来てくれたりで。

後半どんどん開かれて参りました。

結局道具はあまり必要なく、この身一つでどうにかなる感じだったかもしれません。機械もほぼ入れないままいけました。後から草刈りをしなかったので、何度か草刈り機でヘルプしてもらいました。美味しいご飯も作ってもらえてました。畑は任せパなしでした。差し入れも、運命を共にありがとう。

道具はあった方が便利だけど、身一つでどうにかする状況からも得る感覚が豊富で。

草でも竹でも枯れ木でも、刈るべき場所、倒すべき場所は、既に枯れて折れやすくなっている。それらは次世代を育む土壌になる。サイクルを手助けする感触で。

何もわからないながら、道を開いて、笹を刈って、溝道を掘って、風を通していきますと、少しずつ荒地の草の生え方が変わり、窮屈だった景観が穏やかな装いを醸し出してくれる。

窮屈な杉林は、竹林に徐々に押されて勢いを無くす。
最近、皮むき間伐というのも習った。子供でもできる。

竹だらけの竹林は、下の再生作業を進めるうちに、少しずつ古い竹が朽ちて、下草が生えるようになっていってた。直接触らなくても、繋がった場所は何かしら変化でてくる。

これから竹を切り倒さねば。。と意気込んでたら、ほぼ朽ちた竹を倒すだけで、大きな木が何本か窮屈そうに立ってるが見出されて、この木が大地を育ててくれるなぁと思いつつ、周りの絡まった蔦や竹の破片などを取り除いてスッキリ。

浅い根っこしか入らない場所も竹の端材が積み重なって、新しい苗床を作ってくれてるように思う。

これです!
徐々にメンテナンスフリー。

お山の、さまざまな命の営みが、その場所を活性化させていくのを、身近に感じるのです。
決して一人でやってるのではない!!

お山は、それ自身が良い状態になろうとする流れの中に居ます。少し助けてあげるだけで、ずっと良い状態になることを体感しました。

どうして継続的な人間のお世話がいる?
そんなことはない。広大な敷地のお世話は最悪1人でも可能。どうにかなるまで時間かかるけど。。

人間が手を加えないとどうしようもない状態にしてしまったならな。
所狭しと杉や檜ばかりで埋め尽くした林は、人間や動物の食べ物もなく、下草もなく、水も保水できない。
だから、人が杉の間伐などをして手入れをせねばならない。近隣は放置林が目立つ。換金目的は結局こうね。

手入れが行き届かなくて、放置して荒れる。
という状態なので、山は人が手を入れ続けねばならないという錯覚に陥る。そう?

放置してれば良いんですよ。自然は常に再生の最中にあるので。
山は全ての命が健全に生きる上で必要不可欠の場所で、それが荒れてる今の状態は、悲しいのだけど。

どうして手に終えないなどと抜かすの?
企業に売り渡すなどアホの極みですよ。
基本的に企業は、利益になることしかできないようになってるので。

山は人間の価値基準で計ることなどできない。
遠くの企業が、その場所に住む全ての命のことを思って、その土地に接することができますかね?

自分たちの代でぐちゃぐちゃにした地上の遺産、誰も生活できない引き継げないような、状態にしたのは??
どういった仕組みでこうなりましたか??

考えてね。

最も、手入れを続けないとどうしようもない仕組みなんてのは、この世から消え去る運命なのですが。

次はコンクリートの分解ですかね?
プラスチックやビニールもですかね?

骨が折れますね。