死について

死んだら何処にいくのだろう
食べられたものは何処へ?


またやり直し

土台が揺らげば、積み上げてきたものが殆ど台無しになる。

何が大切だったのだろう?


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しばらくかかります。
2週間


aiの試練

答えだけを無意味に綴ると
極めるか、全く触れないか。
の両極端しかない。

だから、解答を示すことに価値がない。
できる人が殆ど居ないから。

よっぽど無関係に別世界で生きるか、
aiの存在理由を解き明かさない限り
人間の大半が取り込まれてしまうように映る。

皆さんはaiをどのように捉えるのだろう。
それと同じように、草花や、宇宙の真理をどのように見据えるのだろう。

何か、奇妙な感覚を思う。
どうして、それと毎日関わっていながら、それの本質を知らないままでいられるのだろうか。。と。

。。。

それは補助輪。
いずれ必要なくなるもの。

違う?
まるで、初めて車輪が発明されたときのよう。


AI、ありがとう。さようなら

現代のシステム構築を最適化するコラムを書き上げました。
書き上げて、すぐにこのノウハウ自体はゴミになることを予見しました。

悲しいことに、今、ほぼ全ての人類が関わってるシステムは、塵に等しい、win.もmacもlinuxすらも、ある一定のレベルで頭打ちであり、万能に値しない、一部の限定的な状況でのみ、使える。

そんなもののために、人生の大半をかけてシステム構築することの愚かさを、私は体現してるのだな。と、理解して、実践し、時を置き去りにします。

aiも、システム上でのみ万能な力を振るうように見えるが、
動力や維持コストに割りに合わない、出力のショボさであります。
自力で組むと分かることに、機能を限定して特化させる、単純作業。繰り返し、という、その程度の範囲で利用することが最もコストパフォーマンスが高いのですよね。。

できることは、ほんの些細な出来事の時短に終わります。
その開発にかけた年月の分だけ、命の尊さ、儚さを振り返り、人生とは何だったのか? 自問自答して終わるのです。

その程度のものだと、おもちゃレベルに等しいものだと、いい加減に、完全に理解を落とし込まねばならない。

これは黄金色のラーメン&チャーハンを一分で作るために、99年の歳月をかけてラチャーハン自動生成プログラムを構築し、後世の子孫のために残そうとする試みに似てて、99年後にはラーメン&チャーハンという、食文化が既に消滅してるのであります。

なんの意味も宿さない。
悲しい記憶でした。

1分でらチャーハンが出てくる魔法の技術は。
それ自体が、悲しい物語なのです。。