夢の中でハッキリ見た。
イメージの創造の世界を…
想像とは、あいまいなものではなかった。
あれは既に、自分の心の投影の中で、イメージがはっきり出来上がってるんだ。
現実に触れられる「モノ」みたいに。
「夢」の中だと、それがはっきり見えるんです。
そして、絵を描いたり楽譜を書いたりするとき。感じたんだ。
既に出来上がったイメージの上に、透明レイヤーの紙を被せて、その情景をなぞっていた。
そうか! これが創作することの行き着く先。
無から形作ることが創作じゃなかったんだ。
先に、出来上がったイメージが有る。
それは夢の中だとハッキリ見て取ることが出来る(現実には大部分の人が覚えてないだけで…)
あとは、そのイメージを「現実」になぞっていくだけ。
なんと確実で、なんと手順がはっきりしているのだろう。
だって、そう!
目標となるお手本のような作品が、すでにイメージの中で出来上がってるんだ。
一度見たものを覚えてる人がこの感覚。その上をなぞることなんて、子供でも出来る。
線や枠のはっきりしたものなら尚更だ。
創作する、ということの、究極の段階を見た。
もしこの次元で作品を形にすることが出来れば、何かをイメージするだけで次々に創作物が生まれるようになる。
イラストでも、曲でも、そしてたぶん物語でも。
イメージをなぞっていくだけ。
創作とは、イメージをなぞっていくものなんだ!
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- 2015年03月27日
過去より語り継がれる寓話のように。
何百年、何千年と語り継がれる神話は
(予め設定したとある条件のもとに)
輪廻転生の記憶を次の世代へと伝える役目を果たす。
以前の記事2つより
⇒ 一字として同じ響きはない
⇒ 日本語の素晴らしさ
そこに触れ、音を感じ、独特の響きを感じるとき
その者は、かつて描いた書の本当の意味を思い出すだろう。
そういった本を形作るとき、活字の本だけじゃない。
1音1音に全てを込めた手描きの書を
白紙の場に、思うがままに描く自身の言葉を
文字として、現実の場に遺していこうと思った。
書によって全てを伝えきるには、手描きの文字が最も理に叶ってるようだ。
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- 2015年03月23日
前回の記事
⇒ 一字として同じ響きはない
活字という文化は、これらの「あ」の文字を統一して表示してしまった。
音の響きが画一化された。万人に読みやすくなったのだろうが、
その分、言葉のもつ表現の幅が無意識の内に固定されていた。
だけど、日本語の素晴らしさを実感したのは、この時でした(o _ o。)
同じ文字の形、同じ大きさ、という制約の中で、
「あ」
「ア」
「亜」
「亞」
「阿」
「A」
思いつく限りでも、こんなにバラエティに富んだ「あ」の響きがある。
文字だけじゃない、単語でもそう。
「あか」
「アカ」
「赤」
「朱」
「紅」
「緋」
「赫」
「Red」
「ルージュ」
同じ「あか」を意味するものが
こんなにも語彙に富む表現方法を宿しているんだ。
相手に伝える「あか」の印象を、
語彙からも選ぶことが出来るんだ。
しかも、それは時代とともに制約されるどころか
海外の言葉を取り入れて、どんどん増えていく。
日本語という世界に新しい響きを宿していく。
すべての言葉が、日本語という存在に凝縮されつつある。
世界の言葉の凝縮した日本語… 一音として、同じ響きはない。
日本語は素晴らしい(‘ ‘*).。.:*・゜
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- 2015年03月23日
前回の記事より
⇒ 言魂
このことから、1字として同じ響きはないということに気づく。
当時は、紙に手書きだ。
そして、真っ白な紙。枠線なども存在し得なかった。
自由に言葉を描けたのだ。
文字は音を宿してる。
詠み上げるとき、同時に頭のなかで音が再生されている。
「あ」 「あ」
与える印象がぜんぜん違う。
ただ大きさを変えただけなのに。
同じように「あ」一つで見ても
「あ」
「あ」
「あ」
文体で違う。その人の書く文体というものがある。
人それぞれで、発せられる「あ」の響きが違うのだ。
この違いは、読み手が特に感じ取る。
それと同じ「あ」でも、文脈で響きが異なることがある
「あ! ひこうきぐも!」
「あーめん」
「ありときりぎりす」
「さあ、そろそろねるべかあ」
全部、同じ「あ」でも、意味する所、響かせる所が全く違う。
そうでしょう? この配列のおとだって
手書きにすれば、それを顕著に現せると思う。
しかも枠に囚われない、全くの「白紙」にだ。
続き ⇒ 日本語の素晴らしさ
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- 2015年03月19日
昔の人の気持ちが少し分かるような気がしたんだ(‘ ‘*)
当時、紙は貴重品だった。
だから、今みたいにだらだらと書をかけなかったんだ。
5・7・5に全てを込めた。
それが歌だ。一音、一音に全てを込めた。
空白の間でさえも、魂の言葉を、心の声を込めたんだ。
だから言魂というものが生まれていた。
今でもそれは再現できる。
一音として同じ響きはない。
言葉は生きているのだ。
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- 2015年03月17日