創作とはイメージをなぞるモノだった

夢の中でハッキリ見た。
イメージの創造の世界を…

想像とは、あいまいなものではなかった。
あれは既に、自分の心の投影の中で、イメージがはっきり出来上がってるんだ。
現実に触れられる「モノ」みたいに。

「夢」の中だと、それがはっきり見えるんです。

 
そして、絵を描いたり楽譜を書いたりするとき。感じたんだ。
既に出来上がったイメージの上に、透明レイヤーの紙を被せて、その情景をなぞっていた。

 
そうか! これが創作することの行き着く先。
無から形作ることが創作じゃなかったんだ。

先に、出来上がったイメージが有る。
それは夢の中だとハッキリ見て取ることが出来る(現実には大部分の人が覚えてないだけで…)

あとは、そのイメージを「現実」になぞっていくだけ。
なんと確実で、なんと手順がはっきりしているのだろう。

 

だって、そう!

目標となるお手本のような作品が、すでにイメージの中で出来上がってるんだ。
一度見たものを覚えてる人がこの感覚。その上をなぞることなんて、子供でも出来る。
線や枠のはっきりしたものなら尚更だ。

 

創作する、ということの、究極の段階を見た。
もしこの次元で作品を形にすることが出来れば、何かをイメージするだけで次々に創作物が生まれるようになる。

イラストでも、曲でも、そしてたぶん物語でも。

 
イメージをなぞっていくだけ。
創作とは、イメージをなぞっていくものなんだ!


伝言は手描きの書にて

過去より語り継がれる寓話のように。

 

何百年、何千年と語り継がれる神話は
(予め設定したとある条件のもとに)
輪廻転生の記憶を次の世代へと伝える役目を果たす。

 
以前の記事2つより

一字として同じ響きはない
日本語の素晴らしさ

そこに触れ、音を感じ、独特の響きを感じるとき
その者は、かつて描いた書の本当の意味を思い出すだろう。

 

そういった本を形作るとき、活字の本だけじゃない。
1音1音に全てを込めた手描きの書を
白紙の場に、思うがままに描く自身の言葉を
文字として、現実の場に遺していこうと思った。

 
書によって全てを伝えきるには、手描きの文字が最も理に叶ってるようだ。


日本語の素晴らしさ

前回の記事

一字として同じ響きはない

 

活字という文化は、これらの「あ」の文字を統一して表示してしまった。
音の響きが画一化された。万人に読みやすくなったのだろうが、
その分、言葉のもつ表現の幅が無意識の内に固定されていた。

だけど、日本語の素晴らしさを実感したのは、この時でした(o _ o。)
同じ文字の形、同じ大きさ、という制約の中で、

「あ」
「ア」
「亜」
「亞」
「阿」
「A」

思いつく限りでも、こんなにバラエティに富んだ「あ」の響きがある。

 

文字だけじゃない、単語でもそう。

「あか」
「アカ」
「赤」
「朱」
「紅」
「緋」
「赫」
「Red」
「ルージュ」

同じ「あか」を意味するものが
こんなにも語彙に富む表現方法を宿しているんだ。

 
相手に伝える「あか」の印象を、
語彙からも選ぶことが出来るんだ。

しかも、それは時代とともに制約されるどころか
海外の言葉を取り入れて、どんどん増えていく。
日本語という世界に新しい響きを宿していく。

 

すべての言葉が、日本語という存在に凝縮されつつある。
世界の言葉の凝縮した日本語… 一音として、同じ響きはない。

日本語は素晴らしい(‘ ‘*).。.:*・゜


一字として同じ響きはない

前回の記事より

言魂

このことから、1字として同じ響きはないということに気づく。

当時は、紙に手書きだ。
そして、真っ白な紙。枠線なども存在し得なかった。
自由に言葉を描けたのだ。

文字は音を宿してる。
詠み上げるとき、同時に頭のなかで音が再生されている。

「あ」 「あ」

与える印象がぜんぜん違う。
ただ大きさを変えただけなのに。
 
同じように「あ」一つで見ても

「あ」
「あ」
「あ」

 

文体で違う。その人の書く文体というものがある。
人それぞれで、発せられる「あ」の響きが違うのだ。

この違いは、読み手が特に感じ取る。

 

それと同じ「あ」でも、文脈で響きが異なることがある

 
「あ! ひこうきぐも!」

「あーめん」

「ありときりぎりす」

「さあ、そろそろねるべかあ」

 
全部、同じ「あ」でも、意味する所、響かせる所が全く違う。

 

 

でしょの配列とだっ

 
 
手書きにすれば、それを顕著に現せると思う。
しかも枠に囚われない、全くの「白紙」にだ。

 

続き ⇒ 日本語の素晴らしさ


言魂

昔の人の気持ちが少し分かるような気がしたんだ(‘ ‘*)

当時、紙は貴重品だった。
だから、今みたいにだらだらと書をかけなかったんだ。

5・7・5に全てを込めた。
それが歌だ。一音、一音に全てを込めた。
空白の間でさえも、魂の言葉を、心の声を込めたんだ。

だから言魂というものが生まれていた。
 

今でもそれは再現できる。
一音として同じ響きはない。
言葉は生きているのだ。