「極端」は、時として大きな力を生む。
物事は2面性だから。
波動の波は、+の領域と-の領域を行ったり来たりする。
どの存在も基準点があって、その両側を行ったり来たりしてる。
行ったり来たりの幅が大きいほど、多くのエネルギーが産み出されている。
落差なんだ。+だけじゃ不完全なんだ。
+があるということは、どこかにマイナスも存在してる。
+1−0=1
では、視点として不完全、自然には存在し得ない見方。
人間社会の歪さは、ここから分かる。
(一方通行って、広大な敷居を広げないとエネルギーが生み出せんし、いずれ限界も来るんだ)
今の人間社会に、終わりの兆しが見えているのはこんな理由。
+1ー(−1)=2
マイナスの領域まで視野を広げれば、単純にエネルギー総量を2倍に把握できる。し、
ーから+、+からーに転じる動きによって、+1〜−1の領域だけで無限のエネルギーを生み出せるわけ。
うまい話には毒がある…という一例。
これは、物事のメリットしか見えてないから、想定外のマイナスに備えられず、潰された結果でしかない。
当人の認識の甘さが問題。
このように視るべきだ。
毒と合わせて、全てを受け入れ、自らの糧とする覚悟を決める。
メリットと対のマイナスまで飲み込めれば、その存在ごと何かに活かせる。
先にマイナスを受け入れられる器を用意すると良いかもしれない。
すれば、対象の+の領域まで無理なく引き出せるから。
人はどこまでのマイナスを受け入れられるだろう?
どれほどのマイナスを受け入れられるかが、その人の器なんだろうか…と最近考えてた。
極端なマイナスは、視点を変えれば、大きく突き抜けらる力を宿してるんだ。
波。全体で一つの波。
オーラが視えるって言う方が話してくださった。
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この世界で感じられるものは、全て波動で出来てる。
目に見えるものは光の反射。その光も波動、振動が波打ってるもの。太陽の光だってそう。揺らぎ。
音だって空気の振動。振動があるから音として感じることが出来る。
感覚とは、すべて波動なんだ。振動なんだ。
今話してる言葉だって、言葉である以前に振動なんだ。
僕らがどこで観てるかって言うと、言葉の意味だけではない。表面を視るだけじゃない。
振動そのもので「感じて」いる。この視点なんだ。感覚を解き放つことで自然と感じてくるものなんだ。
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ああ、思い出した。
以前、どんなふうに物事を見ていたか。
ずっと表面の現実を見てばかりで、いつしか忘れ去ってしまってたんだな。
昔、自分はそういう音の感覚で見てたんだ。
だから、オーラが視えるという視点がどういうことなのか
何となく想像できる。
彼はこうも言っていた。
観たいものがあったら問いかけて視るんだ。
心のなかで問いかけて視るんだ。
『〜ですか?』って。
そうしたら、相手の表層より奥に秘められた感情が、ダイレクトに伝わってくる。
自分の感覚として。それは怒りなのか、哀しみなのか、喜びなのか、ワクワクなのか、言ってる言葉と本心の食い違いとか、真実かどうかとか。
問いかければ、シンプルに視えてくるものなんだって。
この感覚なのだ。
彼はこの感覚を介して「視た」だけで、
どういう関連性をもって今の相手の状態なのか、分かるそうだ。
そこまで痕跡を感じとれるのか>!?!
対:人は、優れたるや。
たぶん、本人の聞く耳、興味ある箇所、知りたいと思う所が、突出して視えるように成るのだろう。
私には、目先の感情はあまり目に映らない。
空間を感じている。場を感じている。
舞台の流れを感じている。そっちのが得意。
人の気持ちを考えないから
それ以外の部分がよく視える。
感性、人それぞれなものね。
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- 2016年03月29日
構築物。墓標。命なき物。
どうせいつかは崩れ去るんだ。
壊れるの、早いか遅いかの違いでしかない。
私は躊躇わずに取り去るだろう。
底に眠った土地の記憶を、復活させるんだ。
生きた作物が再生を重ね、より美味しくなってく方が断然良い。
死者は、生者のために存在する。バイパスをつなぐ。
先達の死を糧に、生は充実していく。