視るのは音の響き、揺らぎ
オーラが視えるって言う方が話してくださった。
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この世界で感じられるものは、全て波動で出来てる。
目に見えるものは光の反射。その光も波動、振動が波打ってるもの。太陽の光だってそう。揺らぎ。
音だって空気の振動。振動があるから音として感じることが出来る。
感覚とは、すべて波動なんだ。振動なんだ。
今話してる言葉だって、言葉である以前に振動なんだ。
僕らがどこで観てるかって言うと、言葉の意味だけではない。表面を視るだけじゃない。
振動そのもので「感じて」いる。この視点なんだ。感覚を解き放つことで自然と感じてくるものなんだ。
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ああ、思い出した。
以前、どんなふうに物事を見ていたか。
ずっと表面の現実を見てばかりで、いつしか忘れ去ってしまってたんだな。
昔、自分はそういう音の感覚で見てたんだ。
だから、オーラが視えるという視点がどういうことなのか
何となく想像できる。
彼はこうも言っていた。
観たいものがあったら問いかけて視るんだ。
心のなかで問いかけて視るんだ。
『〜ですか?』って。
そうしたら、相手の表層より奥に秘められた感情が、ダイレクトに伝わってくる。
自分の感覚として。それは怒りなのか、哀しみなのか、喜びなのか、ワクワクなのか、言ってる言葉と本心の食い違いとか、真実かどうかとか。
問いかければ、シンプルに視えてくるものなんだって。
この感覚なのだ。
彼はこの感覚を介して「視た」だけで、
どういう関連性をもって今の相手の状態なのか、分かるそうだ。
そこまで痕跡を感じとれるのか>!?!
対:人は、優れたるや。
たぶん、本人の聞く耳、興味ある箇所、知りたいと思う所が、突出して視えるように成るのだろう。
私には、目先の感情はあまり目に映らない。
空間を感じている。場を感じている。
舞台の流れを感じている。そっちのが得意。
人の気持ちを考えないから
それ以外の部分がよく視える。
感性、人それぞれなものね。
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