自分が中心でなくなる時
少しだけ思い知った痛み。
この身体は何のために形をなしてくれているのか。
そのとき、思った。
自分より大切なものがあるのだと。
その為に、自分の人生を使うのだと。
身体はツール。
食べ物も水も音楽も。
環境も。
それら全てが力になってくれる。
この人生で何を為そうというのか。
少しだけ思い知った痛み。
この身体は何のために形をなしてくれているのか。
そのとき、思った。
自分より大切なものがあるのだと。
その為に、自分の人生を使うのだと。
身体はツール。
食べ物も水も音楽も。
環境も。
それら全てが力になってくれる。
この人生で何を為そうというのか。
夜はとても音が響く。
きこえるきこえる、木の葉の散る音。
そこでは仄かなアカリが視界を遮る。
暗闇。僅かな光のブレが、脳裏に焼き付く。
ああ、だから。
夜のネオンは、繊細な夜の情景を見えなくさせてるんだ。
代わりに、分かりやすい綺羅びやかさで視界を遮る。
明るければ、怖くない? うんん、其処には何もない。
だから、灯りを消すのです。
静かに。耳を澄ませてみる。
繊細な夜の移ろい。
細やかな闇の情景。
星の灯り、木立ちの鼓動。
死者の幻霊、植物たちの囁き。
夜の蝶、虫のさざめき。
小さな音が聞こえる。
感情の波は捨てる。
暗がりの中でただ其処に居る。
聞こえてくる。
私は、人里から離れた夜の森の、本当の姿を知って。
真っ暗闇で何も見えなかった頃の、情景を思い出しました。
都会の裏山は、まだ明るすぎるのです。
長らくサイトの更新を放置してた所為か
その間、姉妹サイトの方で色んなコンテンツを整理してた所為か
何となく、サイトの管理能力が上がったように思います。
で、数カ月ぶりにサイトのフォルダ内データを見なおしてみました。
かなり、粗が見つかった…(o _ o。)
ああ、これもう使わない記述だし。
これは一つにまとめられるし…
少ないジャンルのページは一つのフォルダにまとめてイイし
画像ファイルは別で管理〜とか。
googleツール削除〜〜とか。
ああ、cssの記述がもっと簡単になる!とか。
で、1個1個のファイルの設定を書き換えて
1日がかりだ… はわ〜。神経使いました..
細かい修正が続くと、なんか消耗してしまいます。
一括でぐわっと出来たらいいのにね。
CMS組んでも、やっぱり昔ながらのHTMLが板に染み付いてるからか
こっちのベタ打ちのほうが好きだったりする。
オフでも見れるし。。。
あと、データの整理された様を見るのは非常に心地がいいです。
それで、あ〜でもないこ〜でもないとURLよく書き換えちゃったりしますw
googleとか知らん(。◕ ∀ ◕。)ノ
皆さん、トップページから来てくださるからですね。
もうその点助かってます、原初のホームページ事情の名残ね。
なつかしいです。10年前か。
そういえば、もうすぐ時の迷い人10周年なんですよ。
2014年5月14日ですね。ここで誕生から10周年。
あの頃は、ブログとかもそんなメジャーじゃなかったし
とにかくHTMLの記述で地道に打ち込んでくしか無かった。
その御蔭で、みんな思い思いの個性的なページがたくさん溢れてて
めちゃくちゃな記述、突拍子もないデザイン、フレーム分け、入り口は「インデックス」から
みたいな、そのホームページ自体が一つの作品であったものです。
あの頃、色んなサイトに行き来するのが楽しかったなぁ。
今はほら、ブログとかSNSがメジャーだから。
皆決まったデザインになるじゃないですか。
それが今、ちょっと残念な部分なんですよね〜。
誰でも気軽に発信できるはいいモノの、テンプレがほぼ同じとか…
うーん、ですよ。うーん。。
ちなみに私のトコは、けっこうおされでそ?
昔の流れを汲みつつ今のHPのスタイルもmixさせた。
素晴らしいデザイナーさんとのコラボ作品ですし(。◕ ∀ ◕。)ノ
ホームページとしてでなく、1枚の絵画としてもご覧いただけます。
レガシーなアンティークさを兼ね備えた、機能性重視のデザイ…
…懐かしさのあまりつい語りまくってしまいますね。
ということで、本日はプチ改装の日でした。
ところどころ変わってます。URLも。
あとちょっとした表示不具合も修正してます。
ハード面はより快適に。
素材曲数は相変わらず。
中身はもうちょいお待ちください。
あと、拍手のメッセージ読ませて頂いてます。
いつも応援ありがとうございます(o _ o。)
同じ内容が視界に映っても、見てるものは一人ひとり違ってくるみたい。
その人が認識できる範囲で、一番近しいものとして映るから。
例えば、誰かが「故郷」という響きをイメージに焼き付けたとする。
すると、一人ひとり思い描く情景が違ってくるのです。
ある者は、あの場所で。また別の者は別の場所で。
それが鮮明なカラーではなくセピアの情景かもしれないし、モノクロかもしれない。
写真のような影像かもしれないしCGのような形や、或いはアニメ調かもしれない。
その人が関わってる中で、一番近いものに、それは姿を変える。
今見えてるものは、事実だけどそれが全てではない。
表層よりも、その存在理由を問う。それが何であるか?
夢の世界を人に伝達する時
イメージをどんな形にすればその人に伝わりやすいか?
そういうのも意識して描くのも必要なんだろうと想いました。
興味深い記事を見つけたので考察。
http://labaq.com/archives/51806891.html
前回書いた「夢の情景」についてのコラムをもとに考えてみると
一つ見落としているのに気づく。
それは、人間が認識してないものを猫が見ている可能性があるということ。
色付きの写真、思いっきり人間ベースですね(o _ o。)
それが猫の視界ではぼやけてる。そうなんだー(。◕ ∀ ◕。)ノ
でも、ぼやけた視界の先で猫が何を見ているかまでは
比較の写真ではわからないでしょう。
なぜかって、人間には肉眼ではっきり見えない世界。
それを人間のツールで再現することは難しい。
そういうのがきっとあると思うから。
だから、猫の視界を人間に分かりやすく例えようとしたら
写真のように色とぼやけた視界、でしか映らないのだと思う。
夢で、記憶の中の情景しか再現できないのと同じだ。
はてさて、猫さんは何を見ているのかにゃ〜?(‘ ‘*)
それはねこのみぞ知る。