本当は自由にしていいの

子どもの頃、自由にさせてもらえなかったの

親の言いつけを守らないとダメだった。
だから早く大人になって、好きなようにしたかった。

 
どうして、周りは邪魔をするの?

 

 

大人になったら、今度は働かなくちゃいけなくなった。
好きなことなんて、何一つできなかった。

どうして、周りは邪魔するの?

 

やっと自分の時間を持てた時
自分自身の人生に、何の意義があるのかというのを見失ったまま
それを、子育てに見出そうとする。

子どもに、幸せに生きていけるように、色々な教えを言い聞かせる。

 
そして親は、家の中でこそ自由でいたいのに
子育てに追われ、子どもに、親の生き方に合わせて動くようにと躾ける。
自分ではどうにもならなかった社会で、上手く生きていけるようにと躾ける。

 
 
その子どもは、やはり言いつけを守らないといけなくなる。

 

子どもの頃、自由にさせてもらえなかったの…

 

 

ねぇ、この連鎖。断ち切ること。できる?


大人たちの負債

あ〜これこれ(。◕ ∀ ◕。)ノ
多くの子供たちの総意だよね。

負債ガッポリ、俺ら関係ないっすわ〜(‘ ‘*)

日本は愛せない国になっていた
 

さて、表面的には、国の政治?に問題が在るように見える(のかな?)

時の「権力者〜」の下りは、まさにそれ。
なんか、いつの時代も変わらない。
歴史は繰り返す、その名の通り、変わってない。

 
 

 

 

 

ただ、よくよく掘り進めてみると
根本は、もっと単純な問題に行き着く。

 
上記の、この訴えは、
子供たち一人ひとりの嘆き(‘ ‘*)

「ゆとり」だの
「年金」だの
「戦争」だの

大人たちが、勝手に決めた問題に対して。
自分たちの都合に合わせて、叱咤し、子どもたちに言うことを聞かせようとする部分に対しての。

子供たち一人ひとりの嘆きに通ずる(‘ ‘*)

 

 

子育て、教育、そうじゃない?

大人たちの作った、社会のルールが在って
そのルールに、枠に無理やり押し込めるように、
子供たちを雁字搦めにして。

家単位で見ると流れが掴みやすい。
赤ちゃん、お母さんや親の言うとおりにするしか生きてけないから
自らの心を殺してまで、いい親でいようとして。いい子でいようとして。

子の支配は、そうして次世代に受け継がれていく。

 
いよいよ許しがたい範囲を超えた時
歴史では、次々と革命が起こった。
時の権力者、つまり大人たちに対して、
その子供たちが、支配に抗って打ち負かした。

そして、勝利を掴んだ子供たちは、
また同じように次世代の子供たちに対して、また一から
自分たちの作った「一方的な正しさ」の枠に押し込めようとした。

  

問題の根本が、まったく理解されてなかったんだよね。
だから、表面の姿形が変わっただけで、歪みが全く正されなかった。

 
 

大人だ。

いつの時代も、一世代〜前の常識が、邪魔をする。
自分や、子供たちに、約束されていたはずの自由を。
不躾にも憚るのは誰ぞ?

先祖代々の呪いであるかの様よ。
教育、常識、固定観念、ルール、制度。

 

消・去・

 
 
そう、全ての大人が、頭足りないんだよ。
どの時代でも、子供のほうが、赤ちゃんのほうが、これからの未来に対して優れた感性を持っておろう。
その感性を無視して、自分たちの枠に、過去の常識に、社会通念に従わせようとすることの、愚かさよ。
 

訳の分からんルールに囚われたならば、
幻影に振り回され、ついぞ自分を見失ってしまっただろう?

それは、自由を奪われた子供時代からの嘆きから始まり、
今、最も分かりやすい形で、問題が現れている。

 

ある意味、子供時代から、大人の、そして社会の愚かさを確信させられた。
それがために、誰もが引き篭もることにした。
 
 
大人たちが何を言おうと、子には関係ないしな。
個は個で、好き勝手して生きていけるしな。

周りが邪魔なだけ、あ〜めんどくせ〜、って感覚。

 

親の、子に幸せに生きて欲しいって気持ちは、汲んであげるよ。
大人は、子供の為を思って、手取り足取りレールを敷こうとしてるのは、
気持ちだけは汲んであげるよ。

でもね、それ。

迷惑以外の何物でもない

 

本気で、ほっといてくれ、って感じだ。

全、親に対してそう想うよ。

 
 
 

ほっといてくれ。

親がどう思おうが
何を考えようが
子には関係ない

 

子を矯正させようとするなら、
子の全存在を以って、詩がもたらす大罪を、親自身へ。

全ての「親」に対して、死ね。


運の巡り合わせ

運が悪い、タイミングが合わない。とるに足らないこと。
運が悪いことの価値を知らない人は、ただ嘆くのが。

ある一面では、大きな流れが、そのまま進むことを留めてくれている。本当の危機から、身を守るために…

 
運が良かったり、スムーズに行ってる時、調子に乗るほうが、ある意味恐ろしい場合もある。足元掬われるのは、決まってそういう時だから。

 
ネガティブな感情は、やっぱり美しいものだ(‘ ‘*)…
調子がいいタイミングであっても、隣でそうした人がいれば、その闇の抱える本当の危機を、未来の危機を敏感に察知してくれる。より大きなタイミングに備えて、動けるようになる。

 
社長は申しております。

常識だけで、物事の本当の価値を見出すことは出来ない。

 

 

運はバイオリズム。
目線によっても変わる。

目先の運がいいは、その後のことが見えづらい。
目先の運が悪いは、大きな流れに対して運が向く。

 
お互いのバランスを取れば、どんな強運にも勝る。


ご飯くれる存在がママ

思い、出した(。0 _ 0。)ノ

 

幼少の頃の話。

自分が、生きることがとてもとても重要だった。
身体のどの部分が欠けてもダメ、ずっと健康でずっと長生き。
その為に、自分が生きていくために関係する、あらゆることが重要だった。

 
ご飯、ご飯がないと生きていけない。

ご飯を出してくれるの誰?

お母さん?

 

そう、お母さんが居ないとダメなんだ。
自分が生きてくために、お母さんが居ないとダメなんだ。

ご飯さえあれば、とりあえずイイ。
自分が、健康で生きられるなら、とりあえず問題ない。

その第一前提があって、最重要な存在が、ママ。

 

多くの家庭環境では、子にとってママが一番。

 

 

これが、もし自然の中でなら?
すでに、身の回りに、食べ物や作物、実が、成ってる状況。

想像してみる(o _ o。)

 

自然が、ママになる。
お母さん、2番めくらいになる。
子どもは、お母さんだけに依存しなくて生きてけるようになる。

 
お母さん、四六時中つきっきりの育児から解放されるし
子は、一人の人間として、幼少の頃から既に独立して生きることを覚える。

母と子の関係は、生まれた瞬間から、一人前の1:1の関係ってなる。

 

育児大変っていうけれど。
大変にしてるのは、実は当人の生き方が、そのような徒労の道を選んだ。
ことになるかもしれない。

どの親も、我が子はかわいい。
しかしその為に、自分の人生を無理に犠牲にするなど、真には望まない。

子どもの立場から見たって、わざわざ自分のために、
両親の大切な時間、エネルギーを、消耗させてしまうのは、
とても申し訳なく想うだろう。

「自分、いらない子なんじゃないか?」

 
子どもは、そんなこと想うかもしれない。
そうして、少しでも親の負担軽くするために、
大切な幼少時代をすっ飛ばして、無理して大人になろうとする。

 
 

さて、あの家で、一番のご飯を出してもらったのは
おじいちゃん、おばあちゃんだった。
母よりも、祖父母の存在が大きかった。

だから、お母さんのいうことはともかく。
おじいちゃん、おばあちゃんの言うことはよく聞いた(。0 _ 0。)ノ

 

ご飯をくれる存在が、ママ。

自分が生きるために、その人の言うことをよく聞くようになるのは、子どもの心理的に、自ずからそうなる。
 
 

まぁ、そうして、自分の中に、彼ら特有の常識、格言、教え、価値観、が、ご飯くれた人から受け継がれるわけですな。

 

その価値観がどういうものであれ、結局人は、自然と分断された状態では、
「ママ」自らエネルギーを切り崩し、育児したり、生きるしかない現状を、そういった生き方を、子どもは目の当たりにする他ない。

子どもは、そんな多少無理したママの生き方を、苦悩するママの現状を目の当たりにして、嘆き、ママの代わりに嘆き、自分こそは、自由で、長生きしたいのに、ずっと健康でいたいのに、嫌なことなんて何一つしたくないのに、結局は自らも、ママを助けるために、ママをコレ以上苦労させないために、自分のやりたいことを諦め、早くに自立しなければと、そのように動くしかないと、思い込まされるのかもしれない。

 
 
食べ物をくれる存在がママ。
でも、ママが無理するうちに、どんどん理は曲がってしまった。

子が、泣きわめく時、
そのほんとうの意味を、親たちは知ろうとするだろうか?

 
殆どの人、素通りだよね。
泣き止ませるためにどうするか、としか。
多くの大人は、理解しようともしないんだね。
 

泣くことの本当の意味、分かろうとしてるの?
病むことの本当の意味、見ようともしないの?

どうして同じ過ちを繰り返そうとするの?
 

 
この世に、無視していい感情なんて、何一つないのに…

すべての想いが、その現れが、大切なサインであるはずなのに… 

 
 

 

 

もう…
 

もういいよ、何もかも。…どうでも。

 

 
 

 

もう。何でもかんでも、

てきと〜でいいよ。

あのとき

世の中の全てにつかれたときから…

 

 

 

な〜んもかんも
自然なまんまで、全てが。

 
 
食べ物なんて勝手に育つし、水だって降って湧いてくる。
働くって、無理して働くなんて、自分の好きなことを諦めるなんて、最初からそんなこと、思わなくてよかった。
 

自然になったまんまを食べるの。

それが、一番、楽でね。しかも美味い。Beautiful.。.:*・゜
この美しい星で、自分の好きに生きてイイ、直に伝わる。
 

子どもだって、自分の思うとおりに生きていいんだよ。
その両親だって、影からそっと見守るだけで十分。

 
もはや親も、子も、負担何一つない、
自然なるままが、全てに自由をもたらしてくれる。

 

ご飯をくれる存在がまんま
ご飯をくれる存在が自然。

 
自らにふさわしい、自由な時間と生き方を、

自然なるまんま、教えてくれる。
自然なるまんま、全てに自由を解き放つ。


あめおとこ・あめおんな

あめおとことは何だ。
あめおんなとは何だ。

その人とあったとき、必ずや雨になる。
そんな人のことを、あめおとこ・あめおんな。

 

 

。。。
 

本当に、その人は、あめおとこ? あめおんな?

 

逆の立場に立ってみる。
すると、意外な発見がある。

 
その彼や彼女にとっては

自分こそがあめおとこになるんだ
自分こそがあめおんなになるんだ

 

ここから、導き出されること。

あめおとこ。とか。
あめおんな。とか。

厳密には存在しない。

 

組み合わせ
組み合わせで、おそらく二人が揃う時に、組み合わせで決まる。

この組み合わせは、雨。
この組み合わせは、晴れ。

 

人の呼び名や役割、相性は、組み合わせで決まる

自分一人だけが、そうではない。
相手一人だけが、そうではない。