ご飯くれる存在がママ

思い、出した(。0 _ 0。)ノ

 

幼少の頃の話。

自分が、生きることがとてもとても重要だった。
身体のどの部分が欠けてもダメ、ずっと健康でずっと長生き。
その為に、自分が生きていくために関係する、あらゆることが重要だった。

 
ご飯、ご飯がないと生きていけない。

ご飯を出してくれるの誰?

お母さん?

 

そう、お母さんが居ないとダメなんだ。
自分が生きてくために、お母さんが居ないとダメなんだ。

ご飯さえあれば、とりあえずイイ。
自分が、健康で生きられるなら、とりあえず問題ない。

その第一前提があって、最重要な存在が、ママ。

 

多くの家庭環境では、子にとってママが一番。

 

 

これが、もし自然の中でなら?
すでに、身の回りに、食べ物や作物、実が、成ってる状況。

想像してみる(o _ o。)

 

自然が、ママになる。
お母さん、2番めくらいになる。
子どもは、お母さんだけに依存しなくて生きてけるようになる。

 
お母さん、四六時中つきっきりの育児から解放されるし
子は、一人の人間として、幼少の頃から既に独立して生きることを覚える。

母と子の関係は、生まれた瞬間から、一人前の1:1の関係ってなる。

 

育児大変っていうけれど。
大変にしてるのは、実は当人の生き方が、そのような徒労の道を選んだ。
ことになるかもしれない。

どの親も、我が子はかわいい。
しかしその為に、自分の人生を無理に犠牲にするなど、真には望まない。

子どもの立場から見たって、わざわざ自分のために、
両親の大切な時間、エネルギーを、消耗させてしまうのは、
とても申し訳なく想うだろう。

「自分、いらない子なんじゃないか?」

 
子どもは、そんなこと想うかもしれない。
そうして、少しでも親の負担軽くするために、
大切な幼少時代をすっ飛ばして、無理して大人になろうとする。

 
 

さて、あの家で、一番のご飯を出してもらったのは
おじいちゃん、おばあちゃんだった。
母よりも、祖父母の存在が大きかった。

だから、お母さんのいうことはともかく。
おじいちゃん、おばあちゃんの言うことはよく聞いた(。0 _ 0。)ノ

 

ご飯をくれる存在が、ママ。

自分が生きるために、その人の言うことをよく聞くようになるのは、子どもの心理的に、自ずからそうなる。
 
 

まぁ、そうして、自分の中に、彼ら特有の常識、格言、教え、価値観、が、ご飯くれた人から受け継がれるわけですな。

 

その価値観がどういうものであれ、結局人は、自然と分断された状態では、
「ママ」自らエネルギーを切り崩し、育児したり、生きるしかない現状を、そういった生き方を、子どもは目の当たりにする他ない。

子どもは、そんな多少無理したママの生き方を、苦悩するママの現状を目の当たりにして、嘆き、ママの代わりに嘆き、自分こそは、自由で、長生きしたいのに、ずっと健康でいたいのに、嫌なことなんて何一つしたくないのに、結局は自らも、ママを助けるために、ママをコレ以上苦労させないために、自分のやりたいことを諦め、早くに自立しなければと、そのように動くしかないと、思い込まされるのかもしれない。

 
 
食べ物をくれる存在がママ。
でも、ママが無理するうちに、どんどん理は曲がってしまった。

子が、泣きわめく時、
そのほんとうの意味を、親たちは知ろうとするだろうか?

 
殆どの人、素通りだよね。
泣き止ませるためにどうするか、としか。
多くの大人は、理解しようともしないんだね。
 

泣くことの本当の意味、分かろうとしてるの?
病むことの本当の意味、見ようともしないの?

どうして同じ過ちを繰り返そうとするの?
 

 
この世に、無視していい感情なんて、何一つないのに…

すべての想いが、その現れが、大切なサインであるはずなのに… 

 
 

 

 

もう…
 

もういいよ、何もかも。…どうでも。

 

 
 

 

もう。何でもかんでも、

てきと〜でいいよ。

あのとき

世の中の全てにつかれたときから…

 

 

 

な〜んもかんも
自然なまんまで、全てが。

 
 
食べ物なんて勝手に育つし、水だって降って湧いてくる。
働くって、無理して働くなんて、自分の好きなことを諦めるなんて、最初からそんなこと、思わなくてよかった。
 

自然になったまんまを食べるの。

それが、一番、楽でね。しかも美味い。Beautiful.。.:*・゜
この美しい星で、自分の好きに生きてイイ、直に伝わる。
 

子どもだって、自分の思うとおりに生きていいんだよ。
その両親だって、影からそっと見守るだけで十分。

 
もはや親も、子も、負担何一つない、
自然なるままが、全てに自由をもたらしてくれる。

 

ご飯をくれる存在がまんま
ご飯をくれる存在が自然。

 
自らにふさわしい、自由な時間と生き方を、

自然なるまんま、教えてくれる。
自然なるまんま、全てに自由を解き放つ。


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