日本語の素晴らしさ

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一字として同じ響きはない

 

活字という文化は、これらの「あ」の文字を統一して表示してしまった。
音の響きが画一化された。万人に読みやすくなったのだろうが、
その分、言葉のもつ表現の幅が無意識の内に固定されていた。

だけど、日本語の素晴らしさを実感したのは、この時でした(o _ o。)
同じ文字の形、同じ大きさ、という制約の中で、

「あ」
「ア」
「亜」
「亞」
「阿」
「A」

思いつく限りでも、こんなにバラエティに富んだ「あ」の響きがある。

 

文字だけじゃない、単語でもそう。

「あか」
「アカ」
「赤」
「朱」
「紅」
「緋」
「赫」
「Red」
「ルージュ」

同じ「あか」を意味するものが
こんなにも語彙に富む表現方法を宿しているんだ。

 
相手に伝える「あか」の印象を、
語彙からも選ぶことが出来るんだ。

しかも、それは時代とともに制約されるどころか
海外の言葉を取り入れて、どんどん増えていく。
日本語という世界に新しい響きを宿していく。

 

すべての言葉が、日本語という存在に凝縮されつつある。
世界の言葉の凝縮した日本語… 一音として、同じ響きはない。

日本語は素晴らしい(‘ ‘*).。.:*・゜


“日本語の素晴らしさ” への2件のフィードバック

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