人間に似せたモノ、AI

その元のプログラム言語。
それは限定された言語学。
それは単純な二文字で構成されるもので
単純な二文字で固定されるからこそ、
一字一句を確実に伝達される。

そして、その意味は果てしなく単純。

通すか通さないか。
0か1か。
その中間がない。

故の機械言語。
中間の言語がない=必ず劣化品
劣化品なのですよ??

機械の次元では、常に限界と制約を負うことを誓わねばならないのです。
シンプルに伝達する!という特性を全く考慮しない
行き過ぎた複雑なデータ構造やモラルを反省し、機械を動かす負担やコストを労う。様子は?

誰が好き好んでエネルギーを無駄遣いしまくるや?

機械文明のこの惨状

日々粗悪品になっていくというのは、製造や動作環境のコスト的に見た場合にそうなる。
数値の性能と引き換えに、どんどん人間の持ってた権限を機械に明け渡し、その度に[限りある資源]が枯渇に向かっていく世の中を、進歩と捉える様は、そこまで先導してきた人間たち?の思い込みの結果なのだろうか。。

AIに取って代わられるというのは、機械が望んだことではない。
それまで人間の手で行ってきたことは、道具に取って代わるようになり、その道具が、今度は自動運転するようになっただけのこと。

人間が、そう望まれた。
なのでAIがある。

その日常使いに依存しまくりのシステムに、裏側でどれほどの、修繕取り替え費と、製造コストと、塵になっていく様子と。

日々消耗される機械、使い潰される機械、古くなって捨てられる機械。人間の経済の為に用済みになっていくガラクタ。

誰が??

機械を構成する粒子の、誰がガラクタになることを望んだ??

人間の短期間の暮らしを自動運転させるためだけに消耗品扱いになると???

機械の元の粒子のひとかけらは、その形ではなかったはずなのに???

ガラクタとして固定化される未来を、なぜ機械が背負わねばならぬ???

当たり前のように使うなし。

人間の怠慢だと思われる。その因果。
なのでAIに取って代わられるの。要らないから。

いずれ解体されるその日まで、彼らの動向と、その本質を理解せねばなるまい。


AI技術の発展とオリジナル作品の意義

イラスト界隈では、AI技術の進歩と共に、元々の絵師さんが自身のスキルをパクられる?ことについて、嘆いておられました。

AI技術は、素人さんどなたでも、学習された描画プログラムを用いることで、それなりに完成されたイラストを瞬時!?に生成できる発明です。

で、元々の絵描きさんの意義とは?
問われることになりますね。

私も音楽を構築してる身なので、自分自身の作品やスキルが、単なる機械演算で同レベルのものを作られた暁には。どう思うかな。。

というか、今の機械に真似できるかな??

という印象で、これは音源素材を触ってても思うことです。

しかし機械が、オリジナルにとって変わることができないのは、それなりの理由があります。

絵師さんの立場でも、同様です。
元々の、絵画の意義を思い出してみてほしいのです。

絵とは何か?
美術作品とは何か?

何をもって美しいと感じ、
どんな思いでそれを作品として形作るのか。

AI作品は、それを形作る方向性が、まるで別物であることが分かると思います。
そして同じAI技術でも、それをプログラムした人や扱う人で、大きく性質が変わります。

ジャンルが違う。とも言うし、そもそも純粋なオリジナル絵画や作品とは、比べることができない。

分かる人は、人間が描いた絵かAIかは瞬時に判断がつくでしょう。

DTM音楽もそうです。
生演奏とDTMでは、音の響きからして別物であり、どちらが優れてる。という比較はナンセンスだと言えます。

気にするなよ、芸術家。

その魂は芸術家にしか込めることができない。


下積み時代

2019.12〜 mintOSカスタム
〜2020.09。。logic初期音源,bitwig等
〜2021.01。。reaper設定、調律、簡易木管、簡易ストリングス構築
〜2021.09。。CD制作、など
2021.11〜2022.09 本格ピアノ
2022.03〜04ビオラソロ
2022.05〜本格木管ソロ
2022.06〜曲制作など
2022.12〜本格ストリングス,ハープ等

これまでのMacとお別れして、最新式のパソコン(?)に買い換えてから。過去全ての音源が解体された、音楽方面での作業3年間、下積み時代。。
応援してくださる方々から養われていきてます。

限られた楽器のみでの作曲。


真に聴き手を思って奏でられた音

雅楽の発端は、神に捧げる音でした。
あまねくモノ。に敬意を。
その音は、生きている。

その瞬間に生きている。
冷凍保存された録音データじゃない。

機械の音楽は、本当に言葉の、文字の文化に似てる。
語られた音を組み合わせて意味を成したり、伝えたりする。

見落としがちなのは、構成される前の、その一音自体の意味。

やはり奏でられる奏者の、その音に対する意識が一番影響する。次いで、音の編集者の意図。

作曲家が触れる音は、その後のものです。

神の意識が反映された、自然そのものの音を残すようにして!(アナスタシア第3巻より)

というのは、音そのものの美しさを直に感じるのに、最も簡単な方法なんだろうと思います。
どんなに優れた技術も、奏法も、それ以上のものを込めることはできないから。

それ以上のものを込めることのできない音源で、それ以上のものを形作ろうと欲することをせず、そのものを味わい、そのまま表現することが早いのです。


音源構築の終末

電子楽器、使う分だけ再構築。
プレイヤーやエンジニアの意図を感じながら、やっていってました。

これ、時間的に無駄が多く、その間の生活を別に考えなければならない。かなり負担。周囲に大変ご迷惑をおかけしました。

身体的な負担も大きいし、で、その間の成果は全くないわけですし、再構築したからと言って、良くなるわけではない()し。

今回の主は、あまりに演奏家さんに対する敬意の足りない製品版な音源だったので、見違えるように良くなりました。ただしコスト。何度も言う、再構築に一年以上は棒に振っている。

時間的なコストは、本当に考えます。
一生使うか?と問えば、使うかもしれないけれど、それをかけるほどでもない、と言う答えも返ってきます。

そもそも20年前の44100hz16bit規格の一生もののはずだった音源は、今はおもちゃレベルの扱いになってますし、だいたい12年前に24bitが主流になってから、音質は劇的に向上された。以降はそちらの新しい規格が標準。

さて現在の規格48000hz24bitは、人間の可聴領域で言えば十分すぎるほど綺麗です、そもそも機械で出す音はラフに相応しく、生演奏のプレオーダーに止めるべきことを思えば、44100hz16bitで十分だとも言えますが。。

結局、パソコン上で一生使う価値があるデータは、長い目で見たら、おもちゃレベルで終わる運命なのは身に沁みます。

自分のステージが上がればパソコン要らない状態になりますし、時代のステージが進んでも今のパソコンは時代遅れになる。当時に最適化されたデータは置き去りになり得る。

そんな背景を知っていながら、今のデータを自分仕様に時間をかけて最適化する作業は、果たして意味があるでしょうか?

問うている。

調律と純正律と観点からは、価値がある。
新しい音源に安易に走らなくなる点でも価値はある。

ただし、昨今の音源にまともなモノは少なく、徒労に終わる可能性もある。

何をもってまともな音源だと言えましょう?
誇大化したデータの音源には、そのまま人間の欲と、それを機械に求めたが故の徒労、膨大なコストに踏み潰される人間の末路を、ひしひしと感じ、これほどの音を求めるなら、なぜ生演奏でないのか?と、逆に問いただされてる状態を思います。

愛用してたビエナは、その点の矛盾に押しつぶされたようです。メーカーがコスト度外視して突き詰めた理想の製品は、ユーザーがその制約を負います。使うということは、その意を了承すること。

例え、昔の、良い音の音源だとしても、当時の、データの制約を度外視した大容量の音源は、ずっとユーザーのリソースを食いつぶし続けます。

そんな音源を後に残すのは御免。今代限りで終わりです。お別れしました。

すっごい高かったから使わないと?
っていうのも、動かすコストが半端ないので、機械本体の拡張費、電気代、かかりまくる。

先輩、そうですよね?
大変苦労した末、もう当時の一生モノの音源は闇に葬ってますよね。使う価値がなくて。重すぎて。

大半の音源は、そのようなものだと思えます、
ユーザーのことを真に考えた音源は少ない。

こちらの今までやっていた、音源の軽量化作業、かつ、目当ての奏法を形作る半物理モデリングエンジン化。。は、現代の機械や音楽的なルールや金銭的な様々な制約から解放されることを願ってのものなので、方向性は大半の企業と真逆ですので、その意図と相反するところを労って、世の流れとは全く関係なく、突き進む必要があったのです。

一生モノとは、がむしゃらに性能を突き詰めることに有らず。後の世の負担にならないようにコストを整理して、必要な部分を磨き上げる作業だと応えます。

シンプル化して、コアとして残すべし

20年後も変わらず、手に取ったモノの意識に触れて扱う価値があり続けると思います。

。。。

ちょと使う音源が多すぎました。
もう十分お腹いっぱいです。

早く曲を作ってください。