真に聴き手を思って奏でられた音

雅楽の発端は、神に捧げる音でした。
あまねくモノ。に敬意を。
その音は、生きている。

その瞬間に生きている。
冷凍保存された録音データじゃない。

機械の音楽は、本当に言葉の、文字の文化に似てる。
語られた音を組み合わせて意味を成したり、伝えたりする。

見落としがちなのは、構成される前の、その一音自体の意味。

やはり奏でられる奏者の、その音に対する意識が一番影響する。次いで、音の編集者の意図。

作曲家が触れる音は、その後のものです。

神の意識が反映された、自然そのものの音を残すようにして!(アナスタシア第3巻より)

というのは、音そのものの美しさを直に感じるのに、最も簡単な方法なんだろうと思います。
どんなに優れた技術も、奏法も、それ以上のものを込めることはできないから。

それ以上のものを込めることのできない音源で、それ以上のものを形作ろうと欲することをせず、そのものを味わい、そのまま表現することが早いのです。


音源構築の終末

電子楽器、使う分だけ再構築。
プレイヤーやエンジニアの意図を感じながら、やっていってました。

これ、時間的に無駄が多く、その間の生活を別に考えなければならない。かなり負担。周囲に大変ご迷惑をおかけしました。

身体的な負担も大きいし、で、その間の成果は全くないわけですし、再構築したからと言って、良くなるわけではない()し。

今回の主は、あまりに演奏家さんに対する敬意の足りない製品版な音源だったので、見違えるように良くなりました。ただしコスト。何度も言う、再構築に一年以上は棒に振っている。

時間的なコストは、本当に考えます。
一生使うか?と問えば、使うかもしれないけれど、それをかけるほどでもない、と言う答えも返ってきます。

そもそも20年前の44100hz16bit規格の一生もののはずだった音源は、今はおもちゃレベルの扱いになってますし、だいたい12年前に24bitが主流になってから、音質は劇的に向上された。以降はそちらの新しい規格が標準。

さて現在の規格48000hz24bitは、人間の可聴領域で言えば十分すぎるほど綺麗です、そもそも機械で出す音はラフに相応しく、生演奏のプレオーダーに止めるべきことを思えば、44100hz16bitで十分だとも言えますが。。

結局、パソコン上で一生使う価値があるデータは、長い目で見たら、おもちゃレベルで終わる運命なのは身に沁みます。

自分のステージが上がればパソコン要らない状態になりますし、時代のステージが進んでも今のパソコンは時代遅れになる。当時に最適化されたデータは置き去りになり得る。

そんな背景を知っていながら、今のデータを自分仕様に時間をかけて最適化する作業は、果たして意味があるでしょうか?

問うている。

調律と純正律と観点からは、価値がある。
新しい音源に安易に走らなくなる点でも価値はある。

ただし、昨今の音源にまともなモノは少なく、徒労に終わる可能性もある。

何をもってまともな音源だと言えましょう?
誇大化したデータの音源には、そのまま人間の欲と、それを機械に求めたが故の徒労、膨大なコストに踏み潰される人間の末路を、ひしひしと感じ、これほどの音を求めるなら、なぜ生演奏でないのか?と、逆に問いただされてる状態を思います。

愛用してたビエナは、その点の矛盾に押しつぶされたようです。メーカーがコスト度外視して突き詰めた理想の製品は、ユーザーがその制約を負います。使うということは、その意を了承すること。

例え、昔の、良い音の音源だとしても、当時の、データの制約を度外視した大容量の音源は、ずっとユーザーのリソースを食いつぶし続けます。

そんな音源を後に残すのは御免。今代限りで終わりです。お別れしました。

すっごい高かったから使わないと?
っていうのも、動かすコストが半端ないので、機械本体の拡張費、電気代、かかりまくる。

先輩、そうですよね?
大変苦労した末、もう当時の一生モノの音源は闇に葬ってますよね。使う価値がなくて。重すぎて。

大半の音源は、そのようなものだと思えます、
ユーザーのことを真に考えた音源は少ない。

こちらの今までやっていた、音源の軽量化作業、かつ、目当ての奏法を形作る半物理モデリングエンジン化。。は、現代の機械や音楽的なルールや金銭的な様々な制約から解放されることを願ってのものなので、方向性は大半の企業と真逆ですので、その意図と相反するところを労って、世の流れとは全く関係なく、突き進む必要があったのです。

一生モノとは、がむしゃらに性能を突き詰めることに有らず。後の世の負担にならないようにコストを整理して、必要な部分を磨き上げる作業だと応えます。

シンプル化して、コアとして残すべし

20年後も変わらず、手に取ったモノの意識に触れて扱う価値があり続けると思います。

。。。

ちょと使う音源が多すぎました。
もう十分お腹いっぱいです。

早く曲を作ってください。


作業記録

2019.12〜 mintカスタム
〜2020.09。。logic初期音源
〜2021.01。。調律、簡易木管、ストリングス等
〜2021.09。。CD制作、など
2021.11〜09 ピアノ
2022.03〜04ビオラソロ
2022.05〜木管ソロ
2022.06〜曲制作など
2022.12〜ストリングス等

音楽方面での作業。
3年間、何をやってた?

かなりの時間を犠牲にして、
よく分からない。収穫は?


天体の力を借りることの入口

天体の力を借りることの入口

それぞれの星の軌道には決められたサイクルが定められている。

そのサイクルは周波数に置き換えられる。
例えば太陽の一日のリズムは一定。
星が呼吸するように、私たちも呼吸すれば良い。

すると揺らぎにロスが少なくなるので、私たちの活動(演奏)に持続性が伴ってくる。楽。時計のリズムはそう?

試しにリズムを刻む、4つ打ちの120bpmというのも、一日のリズムと呼応している。
それが4小節となり、4フレーズになり、4楽章となり、3と5のリズムと交わりながら、一日のサイクルを繰り返す。

曲の最適なテンポというのが、どうにも。あるようで。

加えて月のリズムというのもあるし、太陽系の他の惑星たちの位置関係とも関わりが見えてきだす。


AIポンコツ化の要因と、克服条件の考察

AIポンコツ化の要因と、克服条件の考察

AIがポンコツ化するのではなく、
AIの発展によってポンコツ化する人間側の要因と、
その克服条件を考察してみてます。

何もコンピュータに限った話ではなく
人間が歴史上で発明されてきた、様々な便利グッズにおいて適応される話になりそう。何より。

まず道具(システム)が開発される経緯と、開発側の意図を部分的に読み解いていきます。
まずこの経済社会においては、開発側の理由に多かれ少なかれそれが利益をもたらすことが目標地点として透けて見えておりすぎます。

ソーシャルゲームが成り立つのは、課金ユーザーが居てこそであるし。
WindowsがWindowsであり足らしめるのは、全世界中のユーザーにWindowsを強制させることを実現しているからであり、またクソみたいな計算機ソフトを一般業務に必須であるとの集団催眠をかけることに昼夜努力してることからも伺えるでしょう。

それを一般レベルに押し付ける!という大規模な範疇を超えた営業努力によって、中身のプログラムが如何にショボかろうと、或いは何らかのウイルスが仕込まれていようと、それは世界標準の発明品として、この社会に受け入れられているのです。

というか、利益にならない発明品(真にユーザーにとって優れた道具)というのが、一般に出回らないような仕様になってしまっておるのです。

経済社会優先=人類の隷属化

反論ある??
歴史が証明してますけど?

そして一般市民は、そういった道具を受け入れる=対価を支払わせられ続ける。という当たり前の状況について、無頓着で居るのです。

周りがみんなそうだから、違和感はなく、使うのが当たり前! すごいね!!! え、君もってないの??ダサっ!!

ある意味、そういった社会においての真っ当な人間であるかどうか、リトマス試験紙的な反応を得られます。

まぁ、どんなに技術が進歩しようと。
それが最新式であろうとなかろうと、重要なのはそこでは無い。

面倒な計算は、その自動計算機がやってくれる訳ですが、。コンピュータが発明されて何十年と経っても、自動計算機は自動計算機以上の範疇を超えることはないのです。当然のごとく。

仮想空間がリアルに近づく。。複雑怪奇で多面展開的な処理能力を得たとしても
そのデータが複雑化すればするほど、コストが二次曲線的に増大する!という馬鹿げたシステムの上にあるわけです。

電子楽器の音源で例えるなら。
昔の商品基準がピアノ88音4段階の強弱のサンプル録音で成り立っていたものが。。
16段階になり、20段階になり、24段階になり、32段階になり、加えて2種類のローテーション再生。

昔は88×4程度で素晴らしい品質だったものが
88×32×2種類のデータを適切な位置に施す構築を経て、やっとリリースできる手間。販売価格は変わらず。。

とあれば、そう。
開発コストが2倍、4倍、8倍とどんどん嵩む事実が浮き彫りになります。

技術が進めば進むほどに、開発コストはうなぎ登りです。そして処理コスト、つまりユーザー側の負担ももちろん倍増。。ね。

まぁ開発については、ある地点から舵を転換することに、なるんですよね。ディープラーニングとか?
コンピュータ自身に演算処理を任せて、自動開発してもらうというやつです。。

人間がそれまで手作業でやってきた面倒なことを、機械に丸投げして、人間はその恩恵を享受するだけでいい。。という発想になります!

開発プロジェクトを自動化するには、それもまた人目線の開発行動原理を忠実にデータ化する必要があるのですが。。ははは。

単純な作業なら、コンピュータは向いてるんだ。
そして、人間はその単純な作業に慣らされるという仕様に育てられてしまった。

であるならば、やはり一般的で単純な人間風情は役に立たないという判断を下されてしまう。

オカシイね。
恩恵を享受するべき人間の、存在価値が疑わしいものになるなんて、当時は想像がつかなかった。

何しろ、まだ、人間には、人間にしかできない、尊厳に値する何らかの可能性を秘めていた。

現代社会の大半の人間に対して、失格の烙印を押すよりどうしようもない、生きる屍たちには目もくれず。

目の前の、生活を取り巻く様々なモノに対して、対話を投げかけようと試みる。それは何のために開発され、何を私自身にもたらそうとしているのか。

どうせ依存するより他ないなら、頼りっぱなしの製品に対して製作者の意図を読み解くべし。

享受するだけの死体には、命を有する資格がないと、私は見ているけれど。

どうなんだろう?
枠組み通りに動くだけのゴミ量産機。