物語は目的があって初めて動く

目的があって物語は動く。そんなふうに感じた本日。

勇者物語が物語として動くのは魔王の存在があってこそで。
魔王を倒す!という明確な目的を、魔王は勇者に与えている。
魔王の存在が、勇者に物語をもたらしている。

もし魔王が居なかったら、勇者の物語は生まれなかった。
勇者は今日も平和に暮らしました。終…

 
こんな全部が全部、アクを取り除くことを目的にする必要はなくて。
 
理想を追い求める、道を極める、知らない場所を探検する。
この世の謎を解く、大切なモノを見つける。

いろんな目的が、人生にはあると思う。
登場人物たちは、そういった何らかの目的をもって舞台の上に立っている。
もし目的が無い(見えない)存在は、舞台の操り人形になる。いわゆるモブキャラ。

 
何のために生きるのか?
何のためにそこにいるのか?
何のためにそのような行動をとるのか?

 
目的ある人が舞台役者
目的ない人はお人形。

 

お人形の物語は、茶番というのかもしれない。
誰かの都合のいいように動かされるから。
そこに物語性はなく、流れの描写にしかならないかもしれない。

もしくは、風景画のような文章。
過去に、そういうのを書いたことがある。

 

例えば詩は、情景画に近いものもある。
その時の感情を描写している。
目的ははっきりしない。

でも其処には、共感するものを感じることはある。

 

それらを組み合わせると、良いのかもしれない。
意志のある存在と、舞台背景の描写があわさって、物語が再現される。


新しい発見と過去の遺産

「新しい発見」と世間が騒いでるからといって
流れに乗せられるのはメディアだけで充分だ(‘ ‘*)

過去も未来も時を同じくして、誰かにとってふつうに起こってることを。
別の誰かが「さも新しい発見」のように言うのは今に始まったことじゃない。
それは本人のいる位置にとっては新しい発見なのだろうけれど。
また別の視点で言えば、すでに起こっていたこと。

すでにそこにある。
気づくか気づかないか。

 
この違いは誰にでも起こっている。
他人の用意した舞台に乗る必要があるのか?

ない。
自分で気づくことでも視野は広がる。

 

ときおり専門分野が見せる用語の難解さは、思考を阻害するけれど。
それも過去の出来事になりつつあるかも。

思考の回転が早まるとき、無駄な労力は取り去られる。
どのような技術も、誰かが独占できるものじゃない(o _ o。)

だからあの思考形態は時代遅れになるかも?
 

私は、今回みたいな報道は闇に葬られてもいいと思いました。
ほら御蔭で「存在するかも」に気づいて考察を深める人が居るかもしれない。
後はだれでも再現できるものとして、皆がそれぞれで再発見すればいいと思う。

「それは誰にでも再現できるものである」

 
何も目新しくなんて無い。
過去の技術たちは、誰も特別視されることを望んでない。
ただ、みんなに知ってもらいたいだけだと思うの。


バランス

理想と、目の前の問題。
生きていくための糧、維持しつつ夢を叶えて行くこと。

どっちか一つではバランスを崩すみたい。
両方、いったりきたり。

夢を夢としてみるんじゃない。
現実に引き寄せるための、意志を。

行動を、現実で起こす。
具体的には?

今何を?

 

遠くの目線と近くの目線。
両方の視点で、バランスよく。

すすめすすめ。


夜は音を引き継ぐにふさわしい

暗闇のほうが、音がよく聞こえる。
空気が冷たくなって、音がクリアに聞こえるようになる。

目に見える余計な視野は閉ざされ、音と空気の触れ合う感覚に
全神経が集中する。風が吹けば、そこに何かを感じるのだ。

 

それは誰も居ない庭園。
人一人居ない、秘密の箱庭。

池があり、木々が立ち、12本の小さな塔が立つ広場があり
私はその中で、空間に向けて歌っていた。

歌って、その響きが反響すると同時に。
私は、音に耳を傾けた。

木々がそよいでいる。
水の音が聞こえる。
葉のこすれ合う音が聞こえる。

夜の動物たちの鳴き声。
空を見上げれば星。

そして、月。

満月の夜は明るく、新月の夜はさらなる暗闇。

 
私はその場所で、音を継承することを思い出した。
音は、振動であり、想念でもある。

木々にかさばるコードが、風を通して音となり
私の身体に宿るのだ。

私は私だが、その時、同時に別の存在にもなる。
これが記憶の継承の原型。

まだ、ほんのさわりの部分だ。

 

私たちの多くは、前世の記憶をなくしたまま
真っ白な状態で生まれてくることが多い。

だからこそ、私たちは器足りえる。
純粋な、クリスタルのような存在だから。
そのものをクリアに映し出すのだ。

 

想念は、その想いが強いからそこにあるという。
その想いを受け止めて欲しくて、生まれ変わりたくて、そこにあるという。

では、私たちがそこに耳を傾け
あなたたちの想いを映し出そう。

私たちは、地上の楽園を望む。
あなたたちは、記憶の継承を望む。

双方の願いは、私たちとあなたたちと繋がることで叶えられるのだ。

 
あなたたちの無念の想いは、私たちの器に宿り
私たちを通して生まれ変わるだろう。

私たちに宿ったこの瞬間から、私たちという器を通して
あなたがたもまた、この世に生き始める。共に生きるのだから。

記憶の継承から、あなたたちが成したかったこと。
そして、私達自身が成し遂げたいことが共鳴するのだ。

 

前世の記憶。
そんなものは存在しないという人も居る。

ある意味正しい。

 

前世は、前世ではない。
形を変えて、今目の前にあるのだ。

 

 

マスターの言うとおり、たしかに繋がりこそ大切。
しかし、実際に触れ合う人々だけが全てではない。

ありとあらゆる繋がりが、この一瞬に宿っている。
石や木や水や星、月、空気、風、土。
そして大元を辿れば、地球の基点にも触れ合うことが出来る。

 
私は、全ての声に耳を傾けて、物語を書きたい。


浮ついた心では何も見えない

何もしない、石のようにただ其処にある。
何もない、心は穏やかに、静かに波打つ。

ゆらぎが、ゆったりとしたリズムで流れる時
音がよく聞こえる。

より鮮明に、クリアに、ただ静かに眺めている。

 
感情が動いた途端に、波はノイズをまとって
周りの音は聞こえなくなる、立ち消えてしまう。

目の前の音しか聞こえなくなる。

 

入ってくる情報が少なくなる。
そうではない、望みを大きく持つのなら

冷静に、冷静に(‘ ‘*)

 
全てを記録する器であるのは
それは石のような静寂。

石は記憶する。石の響きと共鳴する、その姿を。自分とするのだ。

 

石は多くの情報をその振動の内に宿している。
過去の層を溯って、痕跡を読み解けば、

古代の記憶を復活させることなど造作も無い。