クローゼットの中は別世界!

先日、不思議なお店に巡りあった。
マルチェロっていう

白い壁、木の香り、お香の香り。
窓もない、外から遮断された空間に
まばゆく照らす柔らかなオレンジ色の灯。

ここは異空間だろうか…?
演出するのはオルゴールの不思議なメロディ。
揺らめく影絵。白い布越しに、敷き詰められた星のオブジェ。
グラスが溢れ、星屑が天井に散らばっている。

天井に溢れる星々
 
 
別の場所では灯りが天使のオブジェクトを写し、ゆらゆらと、それが白の壁に影となって現れている。

天使の影絵

 
此処は、いったい何のお店だろうか?
 
不可思議な、現実とはかけ離れた空想の世界が、目の前に現れている。
いきつけのパン屋の店員さんと偶然、道端で出会って、時間があるからと一緒にお店巡りしてた。

そのときに連れて行ってもらった場所だった。

 

看板ない、お店の名前もわからない。
白い壁の建物。外から2階にあがる階段があって
中に入ると、まるで洞窟みたいに、遮断されたトンネルの階段。
天井の灯りが上へ上へと誘い出す。他は何もない。

上に登ると、屋上に出た!
外の景色は、街中なのにどこか静かで
お店の入り口はどこ?!

分からない、注意深く辺りを見ると
角の方にひっそりと扉が見える。
小さな、人一人通れるかどうか、というくらい狭い扉だった。

そこを潜って、階段を降りて行くと
仄かな木の香りに、不思議なオルゴールの音が…

目に飛び込んできたのは、淡いオレンジ色の灯りで照らされた白い壁と木の空間。
そして冒頭の記述に戻る、そのような世界観の中に紛れ込んできてしまった。

本当に不思議だった。
その不思議さが、何とも心地よい空間だった。

 
連れてきてくれたパン屋の店員さんとお店のマスターは古くからの知り合いらしく
世間話を通じて、この独創的なお店の出来上がるまでのエピソードを、ざっくり聞くことも出来た。

 
そのお店、最初は世間に受け入れられるようなお店作りをしてたらしい。
それでずっとやってる内に、だんだんと自分が壊れていくような気がした。

少しずつ、自分の描きたい空間、遊び心、空想をカタチにするということ
何より、来てくれたお客さんの記憶に残るような、他にないようなお店作りにシフトしていった。

お店は、空間。空間を自在に描く遊び。
ここに自分の演出したい世界観を形作っていくのだ。

 
特に驚いたのが、クローゼットだった。
壁越しにおかれたクローゼット。ただの家具かと思ってたら。

違ったんだ。

 
クローゼットの扉を開けると、何とその先に通路が現れたではないか!!
本当に異世界に通じているかのような扉だ。

中をくぐると、その先に小さな小部屋があった。
何もない白い壁の空間に、中央には同じような淡いオレンジ色の灯り。
エアコンがあって、空間の真ん中に向けて風を送り続けている。

その風の当たる先には天井から吊るされたメリーゴーランドのオブジェ。
商品である服が4着掛けられ、真ん中に灯を囲んで影絵となるように、くるくるくる。

まわる、服が風で回ると同時に、メリーのオブジェがくるくるくる。
白い壁に影ができ、それがオルゴールの音と一緒に回っている。

他は何もない、ただそれだけの空間。
秘密の小部屋は、何もない、ただそれだけの空間。

 

なんてことでしょうか。
意味不明なその演出、誰が見るとも知れない。
だけど、奇妙な配置で回り続けるメリーの影。

それだけのために、この異空間は模られている。
不思議だった。これがお店を作った人のこだわりか!と理解するのに一瞬だった。

 
この小部屋は、まったく売上にもならないスペースの無駄遣いだというが
この閉ざされた秘密の場所に、なぜかいつまでも居ついていたい感覚を覚えて

ここで、物語を書いたり、音楽を描いたりしたら
きっと独創的な世界観が描けるだろうななんて空想に浸りつつ。

 
不可思議なお店に訪れることで
未知の世界を冒険した一日になりました。

すごかった。
そんな一日。

クローゼットの中は別世界。

 

(参考)マルチェロさんのホームページ
http://www.krank-marcello.com


新年の更新(小説関連とか)

あけおめです。
ここ数年、決まって年の瀬には雪が降るイメージです。

ちなみに冬至の朝も雪が、街灯の光に反射しながらキラキラと吹雪いていました。
とても綺麗な一年の始まり、初日の出だと感じた(‘ ‘*)

1月1日は、ただの1日だという認識で
どちらかというと冬至の朝が自分の中では1年の始まりです。
太陽基準。まぁ、よいよい。

 

お正月はいつものごとく寝正月なわけでして
永らく触ってなかった「巡る箱庭」の方を手直ししてました。
ここ2ヶ月くらい、設定ミスで展示曲が聴けなかったみたいで;(失礼

素材曲も一新したので、曲の入れ替えしてます。
未公開曲「星の案内人」も巡る箱庭の展示曲の方に新しくアップしてます。
この曲は、自分の中では1〜2番目くらいの納得の出来なので、是非聴いてみてください。

 
あと、自動で音楽が鳴るようにしました。
やはり同時に音を鳴らすと、BGMの情景がそのままイメージに入ってきやすい。
文章物語と共に。今はまだ8話だけど・・・

10年の歳月をかけて、まったく進んでないように見えるけれど。
ここ1年で大分、またアップデートされた感じです。

 

以前、シェイクスピアの戯劇を詠み上げた時
言葉の踏む韻のリズムによって音楽を奏で、文章が耳に残りやすく鳴ることを書いた。
今回は、短文でどれだけ多くのインスピレーションを伝えられるか。。ということを書き残します。

両方を意識すると、文章の質がより高まっていく感覚がある。
詠むのは意外にエネルギーを使うから、少ない労力で、多くを伝えられるように。

 
多く…とは。その言葉に宿る想像の可能性のことであろうか。
読み手の想像力を喚起させ、一音一音で引き出す感じ。

昔の時代の短歌とか、詩のやり取りとかで鍛われる感覚もある
短文で多くを伝える。音感のリズム。いまだ正直、なってないから。

未だまだ。
 

この記事見る限りほら。
思いつくままぐわ〜〜〜って書き連ねるとこんなに長くなっちゃいますからぇ

*・゜゜・*:.。..。.:*・゜(n‘ ‘)η゜・*:.。. .。.:*・゜゜・*!!!!

日々精進っす。
あと寝正月は寝て過ごっす。

昨日は夢”あめ”の中、氾濫した川で魚釣りしたよ(‘ ‘*)
色んなものが流されていきましたw


こんな舞台の夢を見た

生き別れの双子の兄が居た。

何処かの屋敷の当主である主人公は、明晰な頭脳とその腕前をもってして
数々の難解な事件を解決に導いてきた。

しかし、どこかのタイミングで事件の捜査中に返り討ちに会い、生命の危険が身に迫ろうとした時のこと。

突如としてワープゲートが開き、別世界のパラレルワールドへと足を踏み入れてしまった。
そこは弟である自分が死んでいて、双子の兄が生きていた世界だった。

兄も自分と同じように探偵稼業をしているようだが、自分とはまるで格が違う。
その頭脳も冷静さも、武術の腕前も完璧と言っていいほど、非の打ち所がない。

自分はどうしてあの世界で生き残ってしまったのだろう。
どうして兄が死ななければならなかったのだろう。何一つ向こうのほうが優っていたのに。

主人公はそんな葛藤の中、兄であるパラレルワールドの屋敷の当主に接触を試みた。

 
テーマは「自己愛」

 
ラストは無事に元の世界に辿り着き、
兄にはない自らの才能を発揮して未来を築いていくのだが・・・果たして。

登場人物は、あと7〜8人くらい必要だな。

執事の「セバス・チャン」は確定だ(。◕ ∀ ◕。)ノ
なぜ執事の名は常に「セバスチャン」なのか、それは舞台が定める謎の剪定。


説明口調の描写って

なんか説明口調の下りがあるじゃないですか。
この「名所」はウンタラカンタラでこういう過去があってスペックはこれくらいで初めての印象はこんな感じでこれからこの「名所」でこんなことができたらいいな〜期待感含めて7行半くらい文字がだら〜って続いてるやつ。

あれ、なんというかチープな印象を受けてしまうのでした。
芸術的な文体の綴りから一変、説明口調の長文が入ると、高音質のクリアな音源から突然チープなFCサウンドでメロディをベタベタに演奏しだすかのような。
なんとも三文小説のようになってしまいあがる。

 
もちろん、ストーリーのあらすじを綴ったり舞台背景を手っ取り早く読み聞かせるにはそれが一番。
説明口調で案内役の登場人物にでも喋らせればイイ。

 
しかし、こういう箇所は読み飛ばしの格好のカモ。
めんどくさいから読み飛ばしますよ。

描写はどのみち、物語の進行していくうちに少しずつ見えてくるものだし。
一気に見せずに、少しずつ視点を変えながら発見していくことで、
あたかも共に未知の場所を探索したような気にもなる。

 
とりあえず舞台設定は下書きの段階で書いておくけど、描写はどんどん削って後で調整していったほうがいイイかなと思うようになった。書き綴るのは、語り手の視点で注視スべき箇所のみの方がスマートで良い。世界設定とかの描写は、進行に関係なければどーでもいいものだ。

という感じで、色々と修正点が多いようです。


十二夜を詠みあげた感想

シェイクスピアの戯曲、第十二晩目の出来事。
舞台の上で演じることを想定した、台本。脚本ともいうのでしょうか?

ほぼ台詞のみで物語が表現され、台詞ひとつひとつ、独特の言い回しが耳に残ります。
ユニークな掛け合いの連続で見えてくる登場人物の人柄、その目的、人間関係。

物語の中枢は、人間関係を元に構成されていて
その心の、意志のぶつかり合いが歪を、小さな物語の種を生み、
それらの物語一つ一つが絡み合って解け、大舞台の幕が閉じられる。

まるでパズルのようだとも思いました。

そうだ、物語はパズル。
登場人物はピースの欠片で、意志がその形を示し、
然るべき場所に辿り着くよう、舞台が動こうとする。

意志のぶつかり合い、ピースとピースの欠片がぶつかることで、お互いに生まれる動き。
欠片は役目を与えられた。例えピースが合わなくても、それ自体が物語を生む。

 
いがみ合いはスムーズな進行の足かせとなるが、
白紙のページに傷として残ることで、舞台にコード、音を響かせる。

その音は、物語の裏に隠されたメッセージを暗喩する。
ささやかな、ささやかな。

 

まさかと思った。

物語は、情景描写がなくとも物語になる・・・
役者たちが登場人物に成り代わってその台詞を詠み上げることで
かくも表現すべき舞台背景を演出することが出来るのか?!

 
彼の物語は、最初に登場人物ありき・・・
そのピースの欠片を、時の運命が彼らを動かし、一枚の絵画を築きあげるのだ。

 
Finaleは、見事な大団円であった。
運命の輪が、正しい位置に収まったのだった。

 

ここまでの物語の経緯に、人々の葛藤を思い、音楽を感じ、時間の流れを共にする。
戯曲が戯曲である所以は、此処にもあるのか、と思った。

曲作りも似たような感じだ(‘ ‘*)