新しい発見と過去の遺産

「新しい発見」と世間が騒いでるからといって
流れに乗せられるのはメディアだけで充分だ(‘ ‘*)

過去も未来も時を同じくして、誰かにとってふつうに起こってることを。
別の誰かが「さも新しい発見」のように言うのは今に始まったことじゃない。
それは本人のいる位置にとっては新しい発見なのだろうけれど。
また別の視点で言えば、すでに起こっていたこと。

すでにそこにある。
気づくか気づかないか。

 
この違いは誰にでも起こっている。
他人の用意した舞台に乗る必要があるのか?

ない。
自分で気づくことでも視野は広がる。

 

ときおり専門分野が見せる用語の難解さは、思考を阻害するけれど。
それも過去の出来事になりつつあるかも。

思考の回転が早まるとき、無駄な労力は取り去られる。
どのような技術も、誰かが独占できるものじゃない(o _ o。)

だからあの思考形態は時代遅れになるかも?
 

私は、今回みたいな報道は闇に葬られてもいいと思いました。
ほら御蔭で「存在するかも」に気づいて考察を深める人が居るかもしれない。
後はだれでも再現できるものとして、皆がそれぞれで再発見すればいいと思う。

「それは誰にでも再現できるものである」

 
何も目新しくなんて無い。
過去の技術たちは、誰も特別視されることを望んでない。
ただ、みんなに知ってもらいたいだけだと思うの。


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