物語は目的があって初めて動く

目的があって物語は動く。そんなふうに感じた本日。

勇者物語が物語として動くのは魔王の存在があってこそで。
魔王を倒す!という明確な目的を、魔王は勇者に与えている。
魔王の存在が、勇者に物語をもたらしている。

もし魔王が居なかったら、勇者の物語は生まれなかった。
勇者は今日も平和に暮らしました。終…

 
こんな全部が全部、アクを取り除くことを目的にする必要はなくて。
 
理想を追い求める、道を極める、知らない場所を探検する。
この世の謎を解く、大切なモノを見つける。

いろんな目的が、人生にはあると思う。
登場人物たちは、そういった何らかの目的をもって舞台の上に立っている。
もし目的が無い(見えない)存在は、舞台の操り人形になる。いわゆるモブキャラ。

 
何のために生きるのか?
何のためにそこにいるのか?
何のためにそのような行動をとるのか?

 
目的ある人が舞台役者
目的ない人はお人形。

 

お人形の物語は、茶番というのかもしれない。
誰かの都合のいいように動かされるから。
そこに物語性はなく、流れの描写にしかならないかもしれない。

もしくは、風景画のような文章。
過去に、そういうのを書いたことがある。

 

例えば詩は、情景画に近いものもある。
その時の感情を描写している。
目的ははっきりしない。

でも其処には、共感するものを感じることはある。

 

それらを組み合わせると、良いのかもしれない。
意志のある存在と、舞台背景の描写があわさって、物語が再現される。


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