書は明確な意志のもとに書かれている

書は、明確な意志のもとに書かれている。
中核を為すのは、内容とか書かれてる一字一句とかそれ以前の

「その書を書いた目的」

 

本を読み解くにあたって一番重要なのが、
なぜその本が書き記されたかにフォーカスを宛てることだと思う。

単に事実の側面を書くだけでは、学校で習う教科書の類と同じで何の魅力もない。
そしてそういった文書録は、いつの間にか人々から忘れ去られる。最初から存在しなかったかのように。

 

今、もっとも長く人々に読まれてる本の一つに聖書がある。
あれは、明確な意志のもとに書かれているのだと感じます。

神の存在を世に広めるためのモノ?
人々に善なる知識をもたらすモノ?
それとも、もっと別な何かを意図して書かれたもの?

一つ一つが、それぞれの視点で解読できる側面の一つ。

 
ホントは原文で読むべきものだと思うが…
あれがなぜ、永らく人々に読まれてくるほどのモノとなり得たのか。

記された書には、明確な目的意志があったのだ。と後々感じます。

 

日本語訳では、その意図が完璧に再現されていないとある。
もっと原文、あれ自体に暗号が隠されてるとの報告もある。

 
ホンの内容は、そんなに重要な部分でないと感じたのでした。
書かれてある言葉一字一句より、事実として受け止めるより、
どうしてなぜ?の部分のほうが強く残る。

一節一節の話を通してみた時、個人的な視点での乾燥です。

 

本は、それ自体が宇宙を暗示しているように思う。
独自の世界観を構築して、其の中で様々な登場人物が、様々な想いで動かされている。
自然や星々に記された法則は、それ自体が完璧な宇宙を構築してると思う。
 
そういう本が、人々の記憶に残り続ける。

 

だけど、やや見識が甘い著者の本は、構築する宇宙に矛盾が生じている。
そうなると読者は「真実味がない」と心の表面的な部分でしか読むことが出来ない。
中身を記憶しても、矛盾が存在ごと消失させてしまうから。だから直ぐに忘れ去る。

 

其の点、あの本は違うんです。
どこか違和感を感じるのに、長い間人々に読まれ続けてきた。

その意味するところは何なのか。
書を書き記したものの意図が、パズルの中に見いだせるのかもしれない。

 

この世の謎。


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