音楽製作を、インストゥルメント音源製作からやる。
やりますか?
大きな問題点があります。
楽器一つ作るのに様々な試行錯誤が要ります。
ピアノ、7回くらいはゆうに作り変えてようやく。
期間は半年ほどかかり、その間何もできませんでした。
これ以上ない仕上がりかつ、製品版では実装不可能と思われる純正調律を実現した。
が、調律を変える=他の既存音源と共存が難しくなる。
ということで、普段使いの音源全てを一から作り直し。
およそ一年半ほど時間を溶かしております。
で、いざ、曲作る際に。
そ、演奏して初めて、うまく行ったところとおかしな所と露出するので、今度は楽器の修正に追われます。
最新版の細かな音源ほど、編集作業が大変なものとなります。
曲作るのではなかったのかな??
しばらく、楽器を違和感なく鳴らす、というところに意識を持っていかれました。
その間、作る曲は、出音確認用の曲になってしまい、作品づくりで最も重要な、何のために作るか?がおざなりになってしまっております。
音源は選りすぐりの響きに仕上がったし、扱いやすい万能なものとなりましたが。
で、曲を作るとき。
色んな音源からジャストな音色を選び出して曲に当てはまる。
というのが、偶然にぴったり合った時の高揚感が。
自作音源の中でしか作れなくなると、遭遇できなくなりました。自作に囚われると、世界が限定的なものになります。
大問題だ。
あくまでも自作音源は普段使い用の、厳選に厳選を重ねたもののみにして、これからは膨大な数の既存音源との共演を目標にうごくべきか。、ふむ。、
こだわって調整したピアノ音源が、
そもそも、今回の曲調に合ってない可能性。
普段作らないような雰囲気のなので、うっかり。
当初パスしてた他の既存ピアノ音源の中に
最適なのがある模様です。
ピアノ音源、複数使い分ける人多いの、こういうことなんね。
普段と違うスタイルで、別視点の良さを再発見できてよろしい。
本命ピアノの可能性も深まる。
最後の仕上げは曲終わった後かな。
経済至上主義が、ゴミを量産させる背景
一般に知れ渡るモノや知識などは、ガラクタで溢れかえっている。
ガラクタにも再利用可能なものと、粗大ゴミでしかないものとあるが、ガラクタはガラクタ。
経済は、人に依存させることで回る故に、経済成長によってますますガラクタは溢れ、人人の生活をガラクタで雁字搦めにした。
それ故に、この社会はゴミのような扱いに等しくなっている。
地上はガラクタで覆い尽くされた。
本当に大切なものは何なのか。
私は、比較的再利用可能なガラクタを仕事に利用してるけど、この状況すらも、本来に相応しくない。
Windowsを見よ。粗大ゴミだ。
なぜあんなものが大半の人に行き渡っておるのだ??
答えは欠陥品だから。
お店が売り上げを存続させるには、そこそこの頻度でぶっ壊れて買い換えてもらわねば、ならんから。
得てして、数年で壊れる欠陥品を、メディアや業界全体は大プッシュするのだ。、
家も設備もそう。
ということは、それ以前の世代の、物事の判断基準もそうであったということです。
一般市場には、まずそこそこの欠陥品や隷属品しか広まらず、欠陥品の良し悪しを選び抜く価値感や知識しか知れ渡らず、
また、人人に莫大な対価を要求するものしか、人間社会の構造からは生まれてこない。
こういった社会を歴史が作り上げた。流れは加速する。
もう証明するまでもない。昨今の現状が全て物語る。
一般の教養や歴史は無価値であり、誰も引き継ぐに値しない。
こうなった以上、必要なものは自分で編み出すしかない。
全て可能。可能なことしかない。
妥当。
有事の際に、真っ先に切り捨てるものがSNSか。
メディアももちろん、ゴミ箱行きだ。
国家権限で使用中止にできる国とは、なかなか。
通信障害は、今後も歓迎すべきだろう。
これらがハナから役に立たないことをよく知らせてくれる。