人間に自由意志はあるのか?

心はどのような在り方であってもいい。
と、されている。

人は誰でも、自分で選んで、決めていい。

しかしいつからか、大多数が自分自身で決定することを恐れるようになったと見受けられる。
(誰かの言ったとおりにする方が安心らしい)

人間としての魂を、すでに無くしているのか。例えるなら人形。のようだ。

今、人間の殆どは社会に縛られ、お金に縛られ、端末に縛られ。

人は使われている。
血のにじむような代償を支払いながら。機械(ガラクタ)を最新式に買い替え使われ続けている。

。。。

うちは何のために、
端末の電力*通信コストの激減方法を探求してたんだろ。

未来の社会構造のため?
もうぶっこわれてるのに???

。。

囚われていたのは、自分自身だとも感じる。

最初から、そんなものは必要ない。と思えたなら、もっと違う大事なことに目を向けることができた。


親愛なる夜へ

星たち、虫たち、草や木たち。

夜になると、この場所から見えるもの全てが、自分自身と繋がっている(何らかの関わりを持っている)ことを感じ取れる。

人工的な気配は自分以外に殆どない神聖な領域。

ここ10年、邪魔な物を悉く棄てることに意識を集中して生きた。
棄てるには覚悟が要る。

まず親。
次に友達。
お仕事に会社。
そして人間社会。

蓋を開ければなんてことない。
歴史上、始まりの時から存在しなかったものばかり。
人が生きるのに必要なものは、始まりの時に在るもので十分。

現代人並みの暮らしというものが、次第に無縁のものになりつつある。それでいい。

此処には相応しくない。
浪費の思惑だらけの、文明の利器は。

何かのノイズを絶つと、元に戻れる感覚に近づく。

。。

消えるべきもの、まだ手元にある。

かろうじて、ネットワークを繋いでたものも、そろそろお役御免な気がする。


光の速度の思考

思考は言語で成り立っている?

言語で認識しながら思考をするとき、
思考の速さは話すスピードに合わせないといけなくなる。

それが言語の最大の障害。

ここを超えるには。

より周波数の高い光の領域。
イメージで思考化する癖を身につけること。


言語の壁は錯覚…意識との共鳴を自覚

昨日の記事(3)は読み飛ばしていい。
PC言語の解説とか文字数の無駄だった。

実践編に入る。

まず自分の意識がどこに向いてるかを自覚する。

次いで、何か成したいことや、望むことに焦点を合わせる。

それを成すのに必要なものは?
と虚空に問いかける。

すると、現状に見合う「情報」の一覧が、開かれた範囲で返ってくる。

問いかけ方によっても応えは違うし、誰に(どこに)問いかけるかでも応えは変わる。

あらゆる答えを、自分の中で検証する必要がある。

そして体感したものが自分にとっての真実となり、目的の手がかりを掴める。

言葉や文字だけ見るのもいいけど。
さらに精度を高めるための、体感、確信、それが自分に合うか合わないか。

というのを、一瞬で感じ取るような訓練をする。

それぞれが同じような情報に見えても何かが?違う。というのを感じ取る。。

今のネットの中で例えれば
様々な検索エンジンtwitter、Google、DuckDuckGo、等の上位20件ずつくらいのページを一斉に開いて、ほぼ流れで全ての情報に目を通すなど。

此処で「得たい答え」を優先して拾おうとする自分に気づく。
すると反対側の意見は無視される。

ok

そうして、自分の発する意識と共鳴する情報群と触れ、自分の(正しさ)を確信するに至る…

待て。

「自分は間違っていない」とか「安心」のために外部の情報を頼るのか??

それは望ましい情報との触れ合い方ではない。

情報は、自分では力の及ばないことを自身で成し遂げるための、「道」を切り開く道具だ。

不安のシグナルを発したまま、海に飛び込むんじゃない!!
混沌に飲まれるぞ??

必要な答えは始まりに用意されている。自分が何を成すべきか!どうしたいのか。

明確にすることだ。
必要な情報は、その意識と共鳴する。

内面を意識しろ。強くあれ。


言語の壁を取り払う3、情報の最小単位(シグナル)について

スマホの仕組みとか、周波数帯のお話前に、
言語よりも原始的な、モールス信号から触れた方がいいのかな?

とんとんつーーー

ーー ーー  ーーーー

棒と空白による合図です。

遠く離れてる人同士が、サインを送り合うあれを再現してみる。

無事かー?→(ー ー ーーー?)

大丈夫だー!
→(ー ー ーーー!)

トラブルがおきた!
→(ーーーー! ーーーーーーー!! ーー ーーー!! ーーーーーーー ーーー ーーーーー!!!)

落ち着け、取り決め通りの合図を通達しろ。何があった??
→(ーー! ー ー ー! ー!? ーー ー!? ーーー!? ー ー ーー?!)

電気的な通信のやりとりというのは、おおよそこのような感じ。

言語としては最底辺級の情報量しか送れない代わりに、手軽に、遠くまで飛ばせる、再現性が高い、といった利点がある。

烏言語、にも例えられてる…

前もって必要なパターンを双方の間で決めておけば、その範囲に限りコミュニケーションができる。

弱点は、取り決めた合図以外の伝達ができないこと。

さらに複雑なパターン(情報の詳細まで詳しく)を伝達するには、それ相応のコストを必要とすること。

これの延長上にあるのが、コンピューター言語ということになる… 

もともと単純な情報量しか表せない烏言語を、パターンを複雑に絡ませて、練り上げて、工夫したら絵みたいにもなって

http://www.dokoaa.com/1otu.html

築き上げたコードの山を量産して、右往左往して、相当な設備とコストを費やし、やっとなんか、誰かの作った動画が見れてる、みたいな今の現状。

→youtube

横道に逸れました。

今話したのは、コンピューター言語は単なる合図(シグナル)でしかないという例えです。

スマホ端末に流れてくる無数のシグナルは、取り決められた合図(プログラム)によって変換されて、画像になったり、文字や音声になったり、して初めて、私たちが情報として認識できる。といった具合になります。

いや、そんなん今更ですね。はい。

しかし此処で思い返すことが、何でわざわざ「分かりづらいコンピューター言語」を扱って、情報のやりとりをせねばならないのか????

という制約。

だいたいの人は、ただ与えられた道具として使わされてるだけ。
機械とか意味分からずで、よもやユーザーの方が都合のいいように(企業に)使わされてる一面があります。
キャリアのスマホ端末とか、不必要なゴミアプリばかりで疲れます。

もともと意味不明な言語なので、扱いづらいわけですが…

でも正気に戻れたなら、他人の作った複雑怪奇な言語ルール()とか、破り捨ててokなんよ? 

自分が扱いやすいように編み直すとか、表現やコミュニケーション手段には一切の制限がありませんから。

(‘ ‘*)

昔の、言語が生まれたときも、おそらくそうだったと思います。

人の言語の場合は、コンピューターのそれよりは幾らかマシな部類ですが、やはり言語のルールを知らないと、その響きが殆ど無意味なものに終わってしまうため、かなり苦労して学ばねばならなくなりました。。。

最初にぶつかる試練が、言葉を知らない赤ん坊とどうやってお話すればいいのか??という。

いえ、えと。
赤ん坊さんにしてみれば、お母さんもかしら。

はい、そうです。
何となく、はい。

すやすや。

今日はおかあさんご機嫌。
安心、安心♪

じー。じーーー。

きゃっきゃ!♪

ぶーぶー!

あーぅ、あーー!

(‘ ‘*)

ぱち、ぱち。

ちゃんちゃん♪

とりあえず、どのようにして情報の解釈が行われてるか?を、スマホ端末を例に上げてみました。

どんなに複雑でものすごい情報も、一粒のーから連なっているものに過ぎない。

画面の外に目を向けてください。

ー シグナル。です。!
情報の最小単位が、その辺に無数に漂う「シグナル」ということです。

制約の枠を超えた何らかのサインが、そこにあります。

認識するところから一始まりです。

シグナルを認識したら、それがどうやって脳内に変換されるか…
次は周波数帯に応じた情報の階層について、触れていきたいと思います。