光の速度の思考
思考は言語で成り立っている?
言語で認識しながら思考をするとき、
思考の速さは話すスピードに合わせないといけなくなる。
それが言語の最大の障害。
ここを超えるには。
より周波数の高い光の領域。
イメージで思考化する癖を身につけること。
思考は言語で成り立っている?
言語で認識しながら思考をするとき、
思考の速さは話すスピードに合わせないといけなくなる。
それが言語の最大の障害。
ここを超えるには。
より周波数の高い光の領域。
イメージで思考化する癖を身につけること。
昨日の記事(3)は読み飛ばしていい。
PC言語の解説とか文字数の無駄だった。
実践編に入る。
まず自分の意識がどこに向いてるかを自覚する。
次いで、何か成したいことや、望むことに焦点を合わせる。
それを成すのに必要なものは?
と虚空に問いかける。
すると、現状に見合う「情報」の一覧が、開かれた範囲で返ってくる。
問いかけ方によっても応えは違うし、誰に(どこに)問いかけるかでも応えは変わる。
あらゆる答えを、自分の中で検証する必要がある。
そして体感したものが自分にとっての真実となり、目的の手がかりを掴める。
言葉や文字だけ見るのもいいけど。
さらに精度を高めるための、体感、確信、それが自分に合うか合わないか。
というのを、一瞬で感じ取るような訓練をする。
それぞれが同じような情報に見えても何かが?違う。というのを感じ取る。。
今のネットの中で例えれば
様々な検索エンジンtwitter、Google、DuckDuckGo、等の上位20件ずつくらいのページを一斉に開いて、ほぼ流れで全ての情報に目を通すなど。
此処で「得たい答え」を優先して拾おうとする自分に気づく。
すると反対側の意見は無視される。
ok
そうして、自分の発する意識と共鳴する情報群と触れ、自分の(正しさ)を確信するに至る…
待て。
「自分は間違っていない」とか「安心」のために外部の情報を頼るのか??
それは望ましい情報との触れ合い方ではない。
情報は、自分では力の及ばないことを自身で成し遂げるための、「道」を切り開く道具だ。
不安のシグナルを発したまま、海に飛び込むんじゃない!!
混沌に飲まれるぞ??
必要な答えは始まりに用意されている。自分が何を成すべきか!どうしたいのか。
明確にすることだ。
必要な情報は、その意識と共鳴する。
内面を意識しろ。強くあれ。
スマホの仕組みとか、周波数帯のお話前に、
言語よりも原始的な、モールス信号から触れた方がいいのかな?
とんとんつーーー
ーー ーー ーーーー
棒と空白による合図です。
遠く離れてる人同士が、サインを送り合うあれを再現してみる。
無事かー?→(ー ー ーーー?)
大丈夫だー!
→(ー ー ーーー!)
トラブルがおきた!
→(ーーーー! ーーーーーーー!! ーー ーーー!! ーーーーーーー ーーー ーーーーー!!!)
落ち着け、取り決め通りの合図を通達しろ。何があった??
→(ーー! ー ー ー! ー!? ーー ー!? ーーー!? ー ー ーー?!)
電気的な通信のやりとりというのは、おおよそこのような感じ。
言語としては最底辺級の情報量しか送れない代わりに、手軽に、遠くまで飛ばせる、再現性が高い、といった利点がある。
烏言語、にも例えられてる…
前もって必要なパターンを双方の間で決めておけば、その範囲に限りコミュニケーションができる。
弱点は、取り決めた合図以外の伝達ができないこと。
さらに複雑なパターン(情報の詳細まで詳しく)を伝達するには、それ相応のコストを必要とすること。
これの延長上にあるのが、コンピューター言語ということになる…
もともと単純な情報量しか表せない烏言語を、パターンを複雑に絡ませて、練り上げて、工夫したら絵みたいにもなって
http://www.dokoaa.com/1otu.html
築き上げたコードの山を量産して、右往左往して、相当な設備とコストを費やし、やっとなんか、誰かの作った動画が見れてる、みたいな今の現状。
→youtube
横道に逸れました。
今話したのは、コンピューター言語は単なる合図(シグナル)でしかないという例えです。
スマホ端末に流れてくる無数のシグナルは、取り決められた合図(プログラム)によって変換されて、画像になったり、文字や音声になったり、して初めて、私たちが情報として認識できる。といった具合になります。
いや、そんなん今更ですね。はい。
しかし此処で思い返すことが、何でわざわざ「分かりづらいコンピューター言語」を扱って、情報のやりとりをせねばならないのか????
という制約。
だいたいの人は、ただ与えられた道具として使わされてるだけ。
機械とか意味分からずで、よもやユーザーの方が都合のいいように(企業に)使わされてる一面があります。
キャリアのスマホ端末とか、不必要なゴミアプリばかりで疲れます。
もともと意味不明な言語なので、扱いづらいわけですが…
でも正気に戻れたなら、他人の作った複雑怪奇な言語ルール()とか、破り捨ててokなんよ?
自分が扱いやすいように編み直すとか、表現やコミュニケーション手段には一切の制限がありませんから。
(‘ ‘*)
昔の、言語が生まれたときも、おそらくそうだったと思います。
人の言語の場合は、コンピューターのそれよりは幾らかマシな部類ですが、やはり言語のルールを知らないと、その響きが殆ど無意味なものに終わってしまうため、かなり苦労して学ばねばならなくなりました。。。
最初にぶつかる試練が、言葉を知らない赤ん坊とどうやってお話すればいいのか??という。
いえ、えと。
赤ん坊さんにしてみれば、お母さんもかしら。
はい、そうです。
何となく、はい。
すやすや。
今日はおかあさんご機嫌。
安心、安心♪
じー。じーーー。
きゃっきゃ!♪
ぶーぶー!
あーぅ、あーー!
(‘ ‘*)
ぱち、ぱち。
ちゃんちゃん♪
とりあえず、どのようにして情報の解釈が行われてるか?を、スマホ端末を例に上げてみました。
どんなに複雑でものすごい情報も、一粒のーから連なっているものに過ぎない。
画面の外に目を向けてください。
ー シグナル。です。!
情報の最小単位が、その辺に無数に漂う「シグナル」ということです。
制約の枠を超えた何らかのサインが、そこにあります。
認識するところから一始まりです。
シグナルを認識したら、それがどうやって脳内に変換されるか…
次は周波数帯に応じた情報の階層について、触れていきたいと思います。
私たちが普段、認識してる言語の実態は「音」。
およそ人の耳で聞き取りやすい周波数帯(200~500Hz前後)のフレーズに、伝えたいことや想いを込め、声にして解き放つ。
これが今の時代に使われてる言語の階層…
…
この状況を例えるなら、電話(或いはメール)機能しか持たないスマホ端末で、コミュニケーションしてるようなもの。
言語というものが人間の意志疎通を主とするとき、逆に情報量を制限される側面があったなどと、
誰が思う?!
。。。
本来のスマホ端末は、言語や文字だけじゃなく、写真や動画やVRのような仮想空間ごと、相手に伝えたい情報のイメージをダイレクトに、より鮮明に届けることができる。
これが人間同士のコミュニケーションにもいえることで、言語階層だけでは、伝えられる情報に限りがある(しかも乏しい)ものでしかない。
人類が劣化した歴史の背景に、まず言語文化が取り上げられてしまった…
言語文化はある部分において便利なのだが、伝達手段が言語に偏重されてしまえれば、後の世に伝わる歴史など、消し炭のような情報量でしか無くなってしまうんだ。
今日の、誰が、自分のルーツを辿って、父親、母親の経験、記憶、祖父母の、曾祖父母の、一族が生きてきた集落や、暮らしぶりを、当時の体験を、より鮮明に受け継ぐことが出来ているのだろうか…
言語を超えた記憶の継承。
これは人間に本来備わっている機能の一部と出てるが、如何せん周囲の誰もその扱い方を知らない(存在すらも認知できてない)ので、今日でそれを可能とする人を見つけ、立証することは難しい。
しかし、今では馴染み深くなったスマホ端末(=およそ人間の脳を真似て作られた機械)の仕組みを知る事で、言語を超えた伝達手段を、車輪の再開発のごとく編み直すことはできる。
少し仕組みに触れてみる。
周波数帯を利用した情報のやり取りの、仕組みに触れる。
私たちが普段使ってる「言葉」は、その響き自体には意味が、殆どない。
げんご、gengo…
(‘ ‘*)???
一つ一つの言葉は、その人の「体験」に紐付けられている。その人の体験に紐付けられた範囲で、言葉の意味が現れる。
教えるというよりは、一緒に体感したり、遊んだりすることで言葉が身に付く。
例えば。「スマホ」という単語。
この響きを約20年前の人類に提示した場合…「?????」という反応が返ってくるだろう。
昔の人にはスマホに関連する「体験」が無い。見たり聞いたり触ったことがないので、言葉のみで「スマホ」の完全なイメージを伝えるのに限界があるという事例。
また、現代の各人でも解釈が別れて、iPhoneを使ってる人には「スマホ」でiPhoneのイメージだろうし、逆にAndrなんとかの人にはandロイドだろう。
言葉の性質というか、言葉のみの伝達には、ある種の限界と解釈のブレが発生しうる所を、心に留めておく必要がある。
言葉だけでは、双方の間の体験や経験から共感できうる範囲までしか理解されない。
言葉は、それ単体で意味を成してるのではない。
人は言葉だけで意思伝達を計っているのではない。
そこに体験、体感を添えたり、することで、伝達の精度が飛躍的に高まっていく。
HN:鈴鳴 ると