言語の壁を取り払う…1

私たちが普段使ってる「言葉」は、その響き自体には意味が、殆どない。

げんご、gengo…

(‘ ‘*)???

一つ一つの言葉は、その人の「体験」に紐付けられている。その人の体験に紐付けられた範囲で、言葉の意味が現れる。

教えるというよりは、一緒に体感したり、遊んだりすることで言葉が身に付く。

例えば。「スマホ」という単語。
この響きを約20年前の人類に提示した場合…「?????」という反応が返ってくるだろう。

昔の人にはスマホに関連する「体験」が無い。見たり聞いたり触ったことがないので、言葉のみで「スマホ」の完全なイメージを伝えるのに限界があるという事例。

また、現代の各人でも解釈が別れて、iPhoneを使ってる人には「スマホ」でiPhoneのイメージだろうし、逆にAndrなんとかの人にはandロイドだろう。

言葉の性質というか、言葉のみの伝達には、ある種の限界と解釈のブレが発生しうる所を、心に留めておく必要がある。

言葉だけでは、双方の間の体験や経験から共感できうる範囲までしか理解されない。

言葉は、それ単体で意味を成してるのではない。
人は言葉だけで意思伝達を計っているのではない。

そこに体験、体感を添えたり、することで、伝達の精度が飛躍的に高まっていく。


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