様子を見るべし2025年
世の中の流れに耳を傾けると、おかしな情勢が瞬く間に流れ。AIのお通りの様子や、流行病の様子など、シナリオの向こう側が透けて見えるようであります。
そのシナリオを推し進める主な道具に、なるほど。端末が利用されているようです。ラジコンのリモコンのように、リモートで。端末の本体は、メーカー側にあることを、まだ表側には知られていないようです。
端末の本体は向こう側にありますので。できるだけそこと関わりを持たず、平和な暮らしを維持することを確かめようと思います。
端末の有り様を通して、現代の縮図を体験しています。
コロナという流行病の告知以降「何もしないこと」が、最も有効な選択肢でした。
これは端末にも当てはまることで、本当に何もしないことが、一番の安全な選択でした。
賽を投げる。
何かを諦めるときの言葉に、神聖な響きを思います。
賽を投げるとは、森羅万象が介在する余地を与える。に等しい。。
これで運命は動き出す。
人だけの社会においては、手放した先に、権力者の采配に委ねる内面的な恐怖を思わせ、なかなか実現に至りません。
何もしないとは。どのレベルで??
リモコンのアンテナを握らされていて、そのままで良いのか?ということには、疑問です。
賽を投げます。
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