石碑のことば

ぐるんぐるん、周りが大草原。
辺り一面を見渡せる小高い丘に、古代文字の刻まれたいくつもの岩たちが、何らかの意味を成して連なってる。

ここに来た時、草原に波のようなうねりを見た。畝はこう立てれば良いんだ。水や風が蛇行して行ったり来たりしながら進んでいく紋様がみえた。

溶岩の流れや、水の流れが、長年かけて描いた芸術なのかもしれない。

平地では、今いる地点が点のようにしか認識できないけれど、少し高いところに行けば麓全体が見渡せる。全体の中の、その地点の特徴、どのような流れの中に位置して、どういった役割を担ってるかが、何となく。小高い丘は周囲を見渡せる場所だった。

目の前の存在、延長線上の姿が遠くに映し出されて見えた。

流れが見えてくると、その先はどうなっていくのかも、想像の先に映し出されてくるから。

ここは一点にして時空間を周囲全体に見渡せる場所。中心にピラミッドのように天に続く光の道が編まれてる。

中心の石を巡ると、文字が至るところに刻まれてて、一周する毎に物語が連なって詠まれていく。

歴史を感じる…

という難しい話をすぱーんと横においといて(。◕ ∀ ◕。)ノ

石の上は気持ちよかったです。
虫たちの声、鳥たち、風の映える音、石に響く、お日様の光に温められた石は暖かく、うとうと。

いつまでもここに居れる。
全部が開けてるから、心地よいのです。

夢の中で、石たちの言葉を聞くのかな。
感覚が、心地よいの感覚が、恩恵なのだと気づくでした。

あれこれ考えるのが勿体無かった。
この場所は心地よいのです。

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人間はどうあるべきなの?

人は、大きく二種類に分けられる。

自分を優先する人。
周りに合わせる人。

人間はどうあるべきなの?
と問うた時、自分を貫くべきだというのと、周りを尊重すべきだというのと、二パターンある。

で、人はそのように行動する。

人間はどうあるべきなの?
の答えは、そんな所にはなかった。

周りの環境が問題なのだ。
自分のやりたい事に対し、周囲が敵や障害になる場合。

自分を優先するなら周りを蹴散らしながら問答無用で進むし、そしたら調和もクソもあったもんじゃねぇ、村八分上等だ(。0 _ 0。)ノ

それでも自分の信念を貫くことが重要だとなる…孤独と周りへの敵対心を以って生き、彼の地の菜園もそのような性質を帯びる、周りから手のつけられん危険人物と見なされるであろう。

一方で、周りと合わせることを選ぶ人は、世の中の秩序に封じられたまま自分を見失って果てる。本当の自分は何処にいるの??

周りが障害だらけなら両方がダークサイドに落ちて舞う。環境が問題だったのだ。

もしも、ありのままの自分を認められる環境だったなら、安心して自分を貫けるし、自然と周りに調和できる生き方を見出だせるだろう。

自分が満たされること
或いは満たしてあげること

まずそこじゃないかな?って思うよ。と山暮らし大先輩の言葉。自然と優しい気持ちが生まれてくるんだって。

なるほど(‘ ‘*)

子どもの生育環境を垣間見る。
菜園にも、自然の草や木や花にも当てはまる。
動物を飼う、猫にも鳥にも虫にもそうだろう。

どれほどを受け入れられる場所にしていけるか??

ありのままの存在を認められる環境作りが、自然と自らの望ましい生き方と観る。

食いもんいっぱい実りますにゃ〜(。0 _ 0。)ノ


新曲「未だ見ぬ神々の楽園」について

こちらにアップした新曲 ⇒ 展示曲
サブタイトルは「Aletheia-アリシア-」

創作物語の舞台(?)がイメージ元になっております。
第二章「錬金術士の記憶」

 
アリシアの見た情景。
かつての星々に存在した楽園の姿。

それを再現するのは石。
石に刻まれた記憶。

 
記憶は石や木の年輪に宿る。
輪っかがレコード。楽譜の役割。

それらの譜面から一部を取り出し、素材にして、様々な素材を掛けあわせて新たな生命を創りあげる。新たな楽園を創りあげる。

曲作りと、音楽に重なり、自分の世界を錬成することは
植物や石の音階を組み合わせて、植栽の配列を考え、譜面を作ることに似ている。

 
しかし現実の素材は、

草や花、作物で2年。
果樹で5年。
高木(陽樹)で10年。
高木(陰樹)で40年。

くらい揃えるのに時間がかかる。

譜面はあるんだけどな。
現実化までがな…

 

そんな感覚です。

「アリシア-未だ見ぬ神々の楽園」

 

あ、制作話についてでした。
実に、従来通りGM音源で作ってました。サクラMMLで。
譜面自体は、今年2月には完成してました。

で、Logic音源に切り替えるじゃないですかー。
音がガラッと変わるじゃないですかーーー・・・
うわ、!一個一個の音がクリアに聞こえるのにイメージと遠くなった!!!

 
やっぱアレじゃ。
サクラMMLの規定でやってたらいつまで経ってもダメだ。
Logic音源で最初から作る癖。

というより、Logicのハイクオリティ音源で、どれほどの音が出せるかを第一に把握しとくべきだったのだ!

ここのサイトが役に立ちました。

http://desktopmusic.net/plugin.php

 
最初に、音を把握し、素材としてリストに揃える所からはじめなければならない。
これは、庭園を作る時の「必要な物リスト」を抜き出すファーストステップに重なる。

 
なぜ今までやらなかったのか??
サクラMML基準で考えてたから。
ホントはもっとたくさんの表現方法や素材があるのにね。

これまでの常識に囚われると、山暮らしは通用しないのです。
ふぇええ・・・・

で、把握することを始める。
一個一個の音を、遊び半分でぐるるるるってやって。

こうかー、こうなるのかー。はいなー。
で、雨降り時期に入って遊んでおったのです。

はー、やっと新曲がLogic音源に対応できた。
よし、アップしたぞ(。0 _ 0。)ノ←今ここ


植物の音階

葉っぱ。
葉っぱの形。
葉脈
幹の形
主枝と横枝。
そして根、音。

一つの植物は、すべての部位が一定の紋様(音)で共鳴し合い、力強い生命力を形作ってる。

楽器に置き換えてみる。
太陽の光や風、水が「息」だとすれば、吹き込まれた息は葉っぱの葉脈の形に響く。笛みたいに、微細に、けれども大小様々な領域で鳴り響く。

光合成で得た栄養は、葉っぱの音を宿してる。その音と共鳴するように根に響き、その音と共鳴するように成長する。

私たちは収穫した実や葉っぱを食べて生きてる、明日はその音のエネルギーを宿すことになる。

日本人が米のDNAに近いのは、体質に米が合ってたからじゃない、私たちが米の音に染まったのが正確。

稲の葉脈は真っ直ぐに並行で、一本線は交わらず。その為、水田栽培などは、稲を真っ直ぐ何列も植えている。その形だと稲の音に共鳴しやすい。

麦もとうもろこしもそうだと思う。

しかし、胡瓜や南瓜はかなり違う。
大きなウチワのような葉っぱを付けた茎がツル状に伸びる。

稲が主旋律の弦だとすれば、これはハープとか曲線の音で、アルペジオみたいなふうに見える。ウリ科の特徴。
背の高い稲やとうもろこしの茎に絡ませながら成長させると良い。

大豆やエンドウなどの豆類は、鞘の中にできる。葉っぱも丸くて可愛い。ハーモニカとか笛みたいに。コードを押さえる指使い。
平行に植えたイネ科の合間に、コードを抑えるように植える。

イネ科+ウリ科+マメ科

コンパニオンプランツとしての相性も優れる。
オーケストラ編成一部のプリセット完結。

植え方次第で畑の畝が楽譜となる。


言葉なき対話

剣で語ったり、鍬で語ったり。
先輩の懐石を味わえたり。

言葉に在らず、何物かを通じて語られる…里山に越してきて、ようやくの体感だった。

なぜ日本人ははっきり物を言わないのか解った部分があった。

なるほど、一から十まで言葉にするのは無粋というか。

言葉の源は目の前に出されているのであり、二度手間言う必要はない。どこをどう伝わるかは受け手次第であり、それでよいのである…と。

日本語のわびさびを思う。
人は、自分の感性の範囲で世界を捉えるのが自然。

自分の世界観はこうだ!
と相手に伝するとして、言葉でも何でも双方の共感できる部分でのみ通ずるのだ。

そうすればお互いの世界観を壊すことなく、平穏な対話となる。

ようは感性の問題。
さらには実際の言葉より多くのイディオムを宿らせた対話となれる。

越してきて間もない頃、先輩の言葉は解りづらかった。
いったい何を想って言ってるのか、言葉がまるで別世界にあるかのようだった。

先輩は憂えてた。
なぜお茶を出される意味を考えないのか?と。

自分からすれば、???だった。
お茶はお茶。

しかし、出されるからには何らかの理由がある。そこを判らななければ話にならない!と…

そういえば、塔の崩壊によって人は言語の壁が生まれたという。お互いに言葉が通じなくなった本当の原因は何だったのか??

便利で快適!おご馳走!
人は美味しいとこだけ甘んじることに慣れ、裏の事情を知ろうともしなくなった。

気持ちが通じないとは、裏事情が判らないということ。
判らない人間には、何をやって(言って)も有り難みがない、無駄がね(‘ ‘*)

そして匙は投げられる。

結果、その人が意図しない方向に流され(自分で勝手な誤解して)失意のどん底に陥るとして、それは当人の感性の問題になる。

匙の心遣いが伝わらない人間に、誰が真摯に向き合えようか。

子供時代、大人からしてもらうのが当たり前になってたると、いずれの時に苦労する。甘さは毒。

人の温情は当たり前ではない。
その意味を汲み取り、応えられるようにならねば人でなし。

形式だけじゃお遊戯会…
味わう感性の学びや。