真に聴き手を思って奏でられた音

雅楽の発端は、神に捧げる音でした。
あまねくモノ。に敬意を。
その音は、生きている。

その瞬間に生きている。
冷凍保存された録音データじゃない。

機械の音楽は、本当に言葉の、文字の文化に似てる。
語られた音を組み合わせて意味を成したり、伝えたりする。

見落としがちなのは、構成される前の、その一音自体の意味。

やはり奏でられる奏者の、その音に対する意識が一番影響する。次いで、音の編集者の意図。

作曲家が触れる音は、その後のものです。

神の意識が反映された、自然そのものの音を残すようにして!(アナスタシア第3巻より)

というのは、音そのものの美しさを直に感じるのに、最も簡単な方法なんだろうと思います。
どんなに優れた技術も、奏法も、それ以上のものを込めることはできないから。

それ以上のものを込めることのできない音源で、それ以上のものを形作ろうと欲することをせず、そのものを味わい、そのまま表現することが早いのです。


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