話すの苦手とか致命的じゃな。
まず語彙が思いつかん。
あれでしょ、これでしょ。。
あの言葉の言い回し何だったかな〜(‘ ‘*)
ちくたくちくたく。
ちーん(。◕ ∀ ◕。)ノ
そんな感じ。
本音は、心から直ぐに語られる。
言葉は、なぜに頭で考える?
今まで、ずっと言葉を選んできた。
お話するときも、何かを書くときも。
それは、ありのままに伝えきる決心がつかないことから。くる。
本心、それは、相手に伝えるべきでないと判断すれば語らず。
逆に、ここまでなら伝えられると判断した時、その境界線に応じて文脈を作り変える。
そんな感じ。
頭で考えていた理由は、そのまま伝えきる度胸を持てないからだ。
自信がない?
とかかもしれん。
傷つけるのが怖い?
かもしれん。
争いが怖い?
そりゃ、面倒事は避けたいわな(‘ ‘*)
よって、本心の中の、攻撃的な部分や、否定的な部分、相手に伝える必要のない、自分にとっての真実の有り様とか…は、沈黙で語るのですよね;;スルーの方向で(‘ ‘*)
マスターから注意されました。
「言わんと分からんやろーモン(笑」
まぁ、大切な人たちとの語らいならば。。。
少しずつ、少しずつ、地を出していけるのでしょうか。
では誰かのお話を聞いていて、本心を有りのままに伝えるとどうなるのか(。◕ ∀ ◕。)ノ?
今まで面倒くさくて「そうなんですね、そうなのかぁ」で話を終わらせてた部分(笑)が…
(。◕ ∀ ◕。)ノ「なんで? ねぇなんで!? どうして?! ねぇったら、ねぇ!」
(ねぇ、ねぇ!? それなんで? どうして? わかんない、ねぇ、なんで??)
あ、こりゃ・・・
幼少の子のセリフそのままではないか(o _ o。)
そうか、周りの人のお話の内容とか
世の中は意味の分からんことだらけだもんな。
子供の感性だと、聞きまくるよな。。。
大人になって、自分と無関係なことは知らんってなってからか。
自分一人で十分に生きていけるし成長もある、と判断。
違う世界のどーでもいい話とかシャットアウトだもんな。
無意味なこと(自分と無関係なこと)で延々と話を聞くのは面倒くさい。
いつの間にか沈黙、聞いたフリ、言葉喋らずだったわけか。そうかそうか。
本音を語れない理由、こちらから伝えきれない理由。勇気が持てない理由。
それ「おっはなっししよーー!!!!」って心が全然足らんかったわけか。
人間が怖い
というか嫌われるのが怖い。
他人から嫌われるのが嫌で、嘘の仮面を今日被る。
嘘の仮面を自分が被るから、
他人のことも、仮面を被った偽りの表情として視えてしまう。
そんな中で、自分は正しくあろうとして、何が何なのか分からなくなった。
この日、おそらく彼女の居る世界に、僕も居た。
彼女と、彼女のお父さんと、彼女のお母さんと、自分とで喫茶店に居る。
朝ごはんに誘われ、昨夜少し彼女と揉めた分の仲直りと、家族でそのフォロー。
この時、彼女のお父さんから直々にアドバイスを受け、最初に周りを受け入れることが正解の第1ステップだというのを納得して聞いていました。
その時、そこで思考がキャパオーバーした。
それを受け入れる時、自分が何が何だか分からなくなってしまった。
(まぁ、「周り」の有り様自体が、最初よく分からないものだし)
。。。。。
家に帰り着いた後、買ったばかりのオーブンの、ガラスの外面を割ってしまった。
ちょっと躓いただけで、ボロボロと崩れ落ちてしまった。
これは普通のガラスの割れ方じゃない、脆すぎる!
外面が割れた今、中面が丸見えだ。
混乱した。
高かったのに、前回も初期不良ですぐ交換だったのに、既に二度手間なのに。
結局1回も使わないまま、外面が割れた状態になってしまった。
また交換? これで3回目? しかも今度は自己負担?
。。。
。。。
このままで行こう(‘ ‘*)
うん、使える。
むしろこっちの方が安全じゃね?
(脆いガラスで覆うくらいならこのままで)
割りきった。
だが、ここで終わらない。
混乱した想いを拭えないまま、風呂に入る。
うちでは、洗濯も同時に手洗いだ。
今度はうっかり、ズボンに携帯を入れたままだった。
携帯が沈没した。すぐ引き上げた。
が、電源が入らなくなってしまった。
中のメモリはどうだろうか?
明日、確認せねば。
。。。
なんか、自分が何やってるか分からなくなった。
もしかしたら今日、そんなこんな干渉が起こったのかもしれない。
これ、彼女の見てる世界の一部なのかもしれない。
何をやっても上手くいかない。
タイミングを外される。
自分を分からなくさせられる。
ふんだり蹴ったり。
それでも必死にあがく。泥沼。
なぜだ!
今は動くべきじゃないことを、時が教えてくれている。
今は落ち着いて頭を休める時だと、何かが囁きかける。
何がマズかったか。
振り返ればここか!?
100%「受け入れる」なんて、そうそうあり得ないんじゃないか。
個人ならまだ分かる、だが、対複数の場合は厳しい。
すべて「受け入れる」という言葉を鵜呑みにしたらば…
1:1の関係なら話し合いで調整可能だが
1:集団での場なら、自分が集団の波に飲まれる、自分自身を分からなくさせられるケースが殆ど。
複数人に対し、イキナリすべて受け入れるのは、個人の器じゃキャパオーバーになってしまう。
集団とは実は、身近な家族にもなるだろうか。父と母、と子ども。
この時、子どもに対し、父と母が結束してこうだ!っていうと、本当にそうだと信じて疑わなくなってしまうみたい。狭い常識、思い込みというのはこうして作られるのかもしれない。
自分は、こうでなければならないと、錯覚してしまうから。
待て! 自分の意志はどうなんだ? どこまで許容できるんだ?
生まれた時から、子どもは一人前の人間。
自分で考え、選択し、行動する力を持つ。
始まりの時から「ありのままに、自分の意志に忠実に生きる!」という
一つの存在としての、純粋な想いを宿している。
自分自身の想いを軸に、父や母の言い分をどこまで許せるか、どこで許容出来なくなるか。
線引を明確にすることが大切。それが「自分の意志」を護ること、「自分をしっかり保つこと」に繋がる。
外面が割れようと、周りの気分が沈もうと。
ありのままのその状態に意味を見出せる、想いの強さが培われる。
どんな時も落ち着いて、自分の想いを胸に、そのものを冷静に見つめるんだ。
ありのままに相応しい答えを、もう一度練り直す(o _ o。)
・・・・
ああ、あの子には自分の考えというものが見れない!
そうなんだ! 最初はあったはずのそれが。
複数人の場で言い聞かせることを繰り返すうちに、自分の考えが正しいかどうか分からなくなり、それならばいっそ、両親たちの教えが間違いなく正しいのだ!と思い込んでいるのかもしれない。そうやって自分の考えを捨てて来たのかもしれない。
一見、言い聞かせる言葉は正しい、が落とし穴。
この先自分は、どんなふうに生きればイイの?
親が付いていないと、何も正しくできなくなる。
だから、あんなに家族が大事。じゃあ、皆居なくなった後は???
今日の場合も、確かに彼女のお父さんの言い分は正しかったんだけど
あの時、あの場において、自分の受け取り用は「YES」しかあり得ない状況だった。
子ども(この場合は私)の意志関係なく「全てを受け入れろ」と同等の場面が織り成されてしまってた。意図せず(?) なっちゃってた。
あの場合は「彼女」を受け入れることが第一なのだからそれで正解なのだが、あの状況で「周りも」含めるとなると話が違ってくる。(その中には生命に関わる危険も孕む)
考えれば諸刃の剣だった。
結束した大人に対して反論のしようがない。
父と母が結束して子どもに言い聞かせるのは、子どもの意志を蔑ろにする、ひっっじょうに危険な行為だということを身をもって体感したんだ。それこそ「常識」に食い破られてしまう。
集団で言い聞かせることは、あってはならなかったんだ。
それを受けた本人は、他人本位な正しさを前にし、多数決でYESを矯正され、自分を殺されてしまうから。
どんな場合も言い聞かせるのは、1対1の場合でのみ許される行いなんだ。と考えさせられた。
これは、自分を育ててくれた母と、それからマスターが常にそうであった。
1対1の関係であるから、しっかりと教え、伝え合うことが出来ていた。
マスター、周りにお客さんや顔見知りの人が居る時は、私のどんな粗相も見て見ぬふりだ。
絶対に、マスターと私の二人だけの時。1対1で話し合う場合にのみ。
ある時の振る舞いに対し、お叱りの言葉やアドバイスをいただけていた。
そして必ず、後の言葉にこう続く
「〜〜、と俺は思うぞ」と。
一意見として、選択の自由を与えてくれていた。
ああ、自分は救われていた。
殆どの話し合いの場で、自分と親が対等だったと気づいた。
だから親がどんなに叱っても、怪訝な表情を見せても。
自分は自分の考えを、しっかり持てていたんだ。
あ〜これこれ(。◕ ∀ ◕。)ノ
多くの子供たちの総意だよね。
負債ガッポリ、俺ら関係ないっすわ〜(‘ ‘*)

さて、表面的には、国の政治?に問題が在るように見える(のかな?)
時の「権力者〜」の下りは、まさにそれ。
なんか、いつの時代も変わらない。
歴史は繰り返す、その名の通り、変わってない。
ただ、よくよく掘り進めてみると
根本は、もっと単純な問題に行き着く。
上記の、この訴えは、
子供たち一人ひとりの嘆き(‘ ‘*)
「ゆとり」だの
「年金」だの
「戦争」だの
大人たちが、勝手に決めた問題に対して。
自分たちの都合に合わせて、叱咤し、子どもたちに言うことを聞かせようとする部分に対しての。
子供たち一人ひとりの嘆きに通ずる(‘ ‘*)
子育て、教育、そうじゃない?
大人たちの作った、社会のルールが在って
そのルールに、枠に無理やり押し込めるように、
子供たちを雁字搦めにして。
家単位で見ると流れが掴みやすい。
赤ちゃん、お母さんや親の言うとおりにするしか生きてけないから
自らの心を殺してまで、いい親でいようとして。いい子でいようとして。
子の支配は、そうして次世代に受け継がれていく。
いよいよ許しがたい範囲を超えた時
歴史では、次々と革命が起こった。
時の権力者、つまり大人たちに対して、
その子供たちが、支配に抗って打ち負かした。
そして、勝利を掴んだ子供たちは、
また同じように次世代の子供たちに対して、また一から
自分たちの作った「一方的な正しさ」の枠に押し込めようとした。
問題の根本が、まったく理解されてなかったんだよね。
だから、表面の姿形が変わっただけで、歪みが全く正されなかった。
大人だ。
いつの時代も、一世代〜前の常識が、邪魔をする。
自分や、子供たちに、約束されていたはずの自由を。
不躾にも憚るのは誰ぞ?
先祖代々の呪いであるかの様よ。
教育、常識、固定観念、ルール、制度。
消・去・
そう、全ての大人が、頭足りないんだよ。
どの時代でも、子供のほうが、赤ちゃんのほうが、これからの未来に対して優れた感性を持っておろう。
その感性を無視して、自分たちの枠に、過去の常識に、社会通念に従わせようとすることの、愚かさよ。
訳の分からんルールに囚われたならば、
幻影に振り回され、ついぞ自分を見失ってしまっただろう?
それは、自由を奪われた子供時代からの嘆きから始まり、
今、最も分かりやすい形で、問題が現れている。
ある意味、子供時代から、大人の、そして社会の愚かさを確信させられた。
それがために、誰もが引き篭もることにした。
大人たちが何を言おうと、子には関係ないしな。
個は個で、好き勝手して生きていけるしな。
周りが邪魔なだけ、あ〜めんどくせ〜、って感覚。
親の、子に幸せに生きて欲しいって気持ちは、汲んであげるよ。
大人は、子供の為を思って、手取り足取りレールを敷こうとしてるのは、
気持ちだけは汲んであげるよ。
でもね、それ。
迷惑以外の何物でもない
本気で、ほっといてくれ、って感じだ。
全、親に対してそう想うよ。
ほっといてくれ。
親がどう思おうが
何を考えようが
子には関係ない
子を矯正させようとするなら、
子の全存在を以って、詩がもたらす大罪を、親自身へ。
全ての「親」に対して、死ね。
あめおとことは何だ。
あめおんなとは何だ。
その人とあったとき、必ずや雨になる。
そんな人のことを、あめおとこ・あめおんな。
。。。
本当に、その人は、あめおとこ? あめおんな?
逆の立場に立ってみる。
すると、意外な発見がある。
その彼や彼女にとっては
自分こそがあめおとこになるんだ
自分こそがあめおんなになるんだ
ここから、導き出されること。
あめおとこ。とか。
あめおんな。とか。
厳密には存在しない。
組み合わせ
組み合わせで、おそらく二人が揃う時に、組み合わせで決まる。
この組み合わせは、雨。
この組み合わせは、晴れ。
人の呼び名や役割、相性は、組み合わせで決まる
自分一人だけが、そうではない。
相手一人だけが、そうではない。
どうしようもないことで不安になって、何になる?
どんなときも、できる範囲のことをするだけ。そこだけが結果に繋がる。
無理して、境界線を踏み越えても、後が大変。
そこは他の存在たち、自然な想いに委ねよう(o _ o。)
どちらにしたって
できることするしかない。集中。
不安に思ってる暇、無い。。ない。。。。(。0 _ 0。)ノ