言葉は、言った側から彼方へと流れていってしまう。
言葉を発した瞬間から、その場に留まること無く流れていく。
まるで水みたいに、時の流れといっしょに、するすると流れてく。
その一瞬の感情のゆらぎが、伝えたいことと一緒に。
相手の耳に届いて消えていった。
気づいた時には既に形がない。
言った言葉は取り戻せない。
なんて扱いが難しいんだろうと思う。
感情や直感に任せて、何かを口走っていたら、その一瞬一瞬のゆらぎに揺られて、自分が何を言ったのか分からなくなる時もある。
たぶん、話すということに慣れていないせいだと思う。
順序立てて言葉の意味を組み立てて、話そうとすると。
思考回路がいっぱいいっぱいだ。
そんな膨大な量の記録を、頭に思い描くことなど出来ない。
文字なら違うけどね。
記憶は紙がしてくれる、テキストファイルがしてくれる。
パーツをてきと〜に転がしておいて
後で好きな様に組み立てられるからさ。
こっちのほうが、構築者としては便利がい〜んだよね(‘ ‘*)
話が饒舌な人ってスゴイよね。
思考回路どーなってんだろう?
もう既に話しの設計図が、頭のなかに組み立てられてるんだろうか。
その設計図に、周りの状況を見て言葉を当てはめてってるだけなのだろうか。
膨大な量の言葉を、頭のなかで思い描いて、その場にあった話を出来る人。
いみがわからん、すげーな。そんなの記憶できるの?
その話題は、いったい何処からでてそーなるんだい?
と、聞いてみたくなった。ある日の午後でした。
食べるのが好き。
食べ物は富の象徴。
という考えがある。
なぜそうなるのだろう?
それは、食べ物は記憶を宿しているからだ。
と、誰かが言ってました。
土地の記憶、土の記憶、降り注いだ雨、太陽の光
それらのエネルギーが凝縮されて、実に宿っている。
それを私達は食べている。
郷土料理という言葉がある。
地産地消という言葉がある。
それを食べることは、その土地の記憶を受け継ぐということ。
その場所の大地を踏みしめ、風の匂いを感じながら
その土地の食べ物を頬張るのだ。
瞬間、土地に根付いた独特な雰囲気や歴史を舌で感じ、自分の記憶の一部にすることができる。その記憶が、自らの財産となり力となる。
富の証は、そのエネルギーからきている。
吟遊詩人は、各地を旅歩きながら、幾土地もの記憶をその身に宿していった。
そして、その記憶を伝え歩いては、その場でお捻りを頂いて生活の糧としていた。
(と同時に、富を構築できる資産=記憶の設計図がとんでもなく増えていた)
と想像できます。
今もね、郷土料理を味わおうと思えば、できると思う。
現地で採れた食べ物をたべると、その土地独自の風格を、身に沁みて味わえます。
それがとても嬉しい。
戦後、大量生産でぐわーって画一化するのは失敗だったね?
記憶が削がれてましたですよ。
はいはい、ふっかつふっかつ(。◕ ∀ ◕。)ノ
そこにはレストランみたいなものがある。
人の作ったモノより、もっと以前から存在してた。
今も私たちの目の前にあるのだと思う。
でも、多くの人達が気づかないまま通り過ぎてるのだと思う。
今は、もっとわかりやすい形で人が作った「レストラン」がたくさんある。
だから、そこに人が流れていく。参拝するにつれてそれが習慣化すると。
少しずつ、以前あった原初の形態を忘れてしまうのだろうか。
飲み物はミネラルウォーターを買うのだ。
これも、人が作ったレストランの恩恵だと思う。
惣菜は店で買う。
これも、人が作ったレストランの恩恵だと思う。
ご飯もレトルトを買う。
これも、人が作った…
水は、以前はそこにあった。
今も目の前にある。雨水。
惣菜は、目の前にある。
春は、野草が美味しい季節。
ごはんは、山や海にいく
木の実や魚が捕れる。
今、目の前にあるもの。
それを、いろいろなモノたちが見えなくする。
お金が使えなくなった時、目の前の自然の恵みを思い出させてくれる。
前回の記事と照らし合わせると
HTML直打ちはすごくイイ。
HTMLは根本の記述にのっとってるから、
サーバー側の技術仕様に影響されづらい。
あと、更新を考えなければ管理がとても楽。
ブログ形式は、生きてる間は良いですね。
でも時間が止まると、色々厄介。
逆にサイト形式は一個一個の更新は重いけど
そのままの形で残りやすい。というメリットが浮かびました(‘ ‘*)
2014年現在の段階。
サイトを運営してると、時々思う。
自分が居なくなった後、インターネット上にもデータは残るだろうと。
これを、WEBサイトとして存続させる場合。
USBメモリに保存しとくか、ドロップボックスのそれとは違って
サーバー・ドメインの契約を継続させることが必要です。
契約が切れた段階で、サイトはネット上から消える…
あとは、手元のPCとかメモリスティックにデータが残るのみ。
まるでこの扱い、アトランティス時代の水晶のようですね(‘ ‘*)
未来に生まれ変わったとしても、
その扱いを知らなければ、データはデータとして機能しなくなる。
なかなか難しいとこです。
まぁ、そのデータが未来に必要か?と言われれば
そーでもないかもしれないし、そーでもあるかもしれない。
ただ、一応これでも未来に価値あるものを残してるつもりなので
うーんそうだなぁ。
データとして皆に配って、必要と感じた人が代々受け継いでいけばいいのかな?
なんて思ったりもする。
運営引き継ぎ?ミラーサイトOK?
そんな感覚・・・
現実的な話、ロリポップとムームードメインの契約をして
ネットマネーのおさいぽチャージを使うと、最大30万円までチャージできる。
それを毎年の支払いに宛てていけば、ロリポ3000円ドメイン950円、計4000円で割って
約70年あまりは存続可能な計算になります。(準備してれば)
まぁ、その時ネットの仕組みがどうなってるかはわからないし
次の技術が発達してけば、ホームページも過去の遺物。
データだけ取り出して、何かできればいいですよね〜。
死後はその瞬間に著作権フリーです。