孤立
時々、自分が誰だったかを忘れる時がある。
誰だっただろう、繋がりが無いとすぐさま忘れ去る。
もう本当の名前さえ、まともに思い出せない。
時々、自分が誰だったかを忘れる時がある。
誰だっただろう、繋がりが無いとすぐさま忘れ去る。
もう本当の名前さえ、まともに思い出せない。
サクラMMLからLogicに転向して早5年。
作曲以外のことで夢中になってた時期でもあり
料理に没頭したり、生活に関連する姉妹サイトの方を作りこんでたり。
微妙に創作活動が疎かになっておりました。
その間もWebプログラミング系のなんちゃらを色々やってたので
ほんの少し、ソースコードの内部事情を学ぶ機会も得てたり。
文字が、ウェブサイトを構築する。文字が、外観を設計する。文字が内容を作る。
これが、ホームページ。HTMLとCSS言語、ただの文字の組み合わせで、作品ができる。
ずーーーーっと、こういったことをやってきました。
ので、一つデザインを起こすにしても、メモ帳ひとつあればよかったのです。
記述スタイルもどんどんシンプルになって、無駄なソースも洗練されていった。
文字だから、キーボード一つで気軽に変更できるし、コピー&ペーストも思いのまま。
しかも、別の場所から特定の命令文「キーワード」も難なく引っ張ってこれる。
そして最も優れた特徴として、軽い! 動作が軽い! めちゃくちゃ軽い!
保存も容量を食わないし、手軽に編集できてしまう。スゴイ。
文字が自在に扱えるなら、どんな高機能なビジュアルエディタより、断然メモ帳なのですよ。そういえば生活スタイルだって、シンプルライフは動きやすくていい感じだ。
(こんな感じで ⇒ 必要最小限の持ち物で暮らす
こういったことが、自分にとって作曲ソフトにも言えるのでした。
Logic,すごく高機能で音もよく、ミックスからアレンジからオーケストラ編成から何でもできるが
音を鳴らす一手一手が重く、非常に無駄なエネルギーを費やしてました。
自由度が思うように出せないというのは致命的で
流れるような旋律が描きづらくなり、それを書くのにすごく手間取ったり。
細かなベロシティの調節が面倒だったり。
これが、以前使ってたサクラだと、文字一つ。タイミングも、数字1つで簡単OK。
なんて軽いのでしょう、音色変更とか命令とか定義とか自在に掛けるんですよ。
音色の拡張性のなさと表現力の少なさが欠点ですが。下絵にそんなものは要らん。
むしろそれ抜きで過去は曲を書いた。十分な機能を果たしている。表現の拡張性は他で補えばいい。
とにかく、何かを書き始めるにとって、気軽にアイデアを文字で音にできるサクラは、素晴らしいのです。

ほんとにメモ帳みたい。
これで音楽が作れるってスゴイじゃないですか〜(‘ ‘*)
公式サイト ⇒ テキスト音楽サクラ
残念なのはMac OSに対応してないことなんだが…
上記の画像は、むりくりMacアプリで動作させてる。
なので文字の感覚がオカシイし動作にも不具合が起こる。
Winじゃないと使いづらい…あうー。
はよー、Macでサクラ実現しないだろうか…と切に願うのであった。
とりあえず、過去のMMLファイルを一旦整理しようと思います。
昔のソースコードより、今のほうが綺麗にかけるから。整理して。
MMLからMIDIの楽譜に変換したものを、Logicに読み込ませて最終仕上げという工程に行こうと思う。
まずはソースコードを見やすくして、自分の描くMMLのスタイルを洗練させていこう。
トラックごとに、そして各場面ごとに区切り、横一列で音のなるタイミングがわかりやすくなるようにする見込み。
次に、記述スタイルのテンプレート化。
決まったパターンで描けば、後で見た時にまとめて編集しやすい。
過去の分は、どれもバラバラの書き方だったから、後で見て???
これは頂けない… 整理必須。そして、MIDIに変換した時、Logicに読み込ませやすくする工夫も必要。
音色の互換性とか、コントロールチェンジのいじり安さとか、その辺をLogicとMML側で調整する必要がある。
やってみよう。
言葉は、言った側から彼方へと流れていってしまう。
言葉を発した瞬間から、その場に留まること無く流れていく。
まるで水みたいに、時の流れといっしょに、するすると流れてく。
その一瞬の感情のゆらぎが、伝えたいことと一緒に。
相手の耳に届いて消えていった。
気づいた時には既に形がない。
言った言葉は取り戻せない。
なんて扱いが難しいんだろうと思う。
感情や直感に任せて、何かを口走っていたら、その一瞬一瞬のゆらぎに揺られて、自分が何を言ったのか分からなくなる時もある。
たぶん、話すということに慣れていないせいだと思う。
順序立てて言葉の意味を組み立てて、話そうとすると。
思考回路がいっぱいいっぱいだ。
そんな膨大な量の記録を、頭に思い描くことなど出来ない。
文字なら違うけどね。
記憶は紙がしてくれる、テキストファイルがしてくれる。
パーツをてきと〜に転がしておいて
後で好きな様に組み立てられるからさ。
こっちのほうが、構築者としては便利がい〜んだよね(‘ ‘*)
話が饒舌な人ってスゴイよね。
思考回路どーなってんだろう?
もう既に話しの設計図が、頭のなかに組み立てられてるんだろうか。
その設計図に、周りの状況を見て言葉を当てはめてってるだけなのだろうか。
膨大な量の言葉を、頭のなかで思い描いて、その場にあった話を出来る人。
いみがわからん、すげーな。そんなの記憶できるの?
その話題は、いったい何処からでてそーなるんだい?
と、聞いてみたくなった。ある日の午後でした。
食べるのが好き。
食べ物は富の象徴。
という考えがある。
なぜそうなるのだろう?
それは、食べ物は記憶を宿しているからだ。
と、誰かが言ってました。
土地の記憶、土の記憶、降り注いだ雨、太陽の光
それらのエネルギーが凝縮されて、実に宿っている。
それを私達は食べている。
郷土料理という言葉がある。
地産地消という言葉がある。
それを食べることは、その土地の記憶を受け継ぐということ。
その場所の大地を踏みしめ、風の匂いを感じながら
その土地の食べ物を頬張るのだ。
瞬間、土地に根付いた独特な雰囲気や歴史を舌で感じ、自分の記憶の一部にすることができる。その記憶が、自らの財産となり力となる。
富の証は、そのエネルギーからきている。
吟遊詩人は、各地を旅歩きながら、幾土地もの記憶をその身に宿していった。
そして、その記憶を伝え歩いては、その場でお捻りを頂いて生活の糧としていた。
(と同時に、富を構築できる資産=記憶の設計図がとんでもなく増えていた)
と想像できます。
今もね、郷土料理を味わおうと思えば、できると思う。
現地で採れた食べ物をたべると、その土地独自の風格を、身に沁みて味わえます。
それがとても嬉しい。
戦後、大量生産でぐわーって画一化するのは失敗だったね?
記憶が削がれてましたですよ。
はいはい、ふっかつふっかつ(。◕ ∀ ◕。)ノ
そこにはレストランみたいなものがある。
人の作ったモノより、もっと以前から存在してた。
今も私たちの目の前にあるのだと思う。
でも、多くの人達が気づかないまま通り過ぎてるのだと思う。
今は、もっとわかりやすい形で人が作った「レストラン」がたくさんある。
だから、そこに人が流れていく。参拝するにつれてそれが習慣化すると。
少しずつ、以前あった原初の形態を忘れてしまうのだろうか。
飲み物はミネラルウォーターを買うのだ。
これも、人が作ったレストランの恩恵だと思う。
惣菜は店で買う。
これも、人が作ったレストランの恩恵だと思う。
ご飯もレトルトを買う。
これも、人が作った…
水は、以前はそこにあった。
今も目の前にある。雨水。
惣菜は、目の前にある。
春は、野草が美味しい季節。
ごはんは、山や海にいく
木の実や魚が捕れる。
今、目の前にあるもの。
それを、いろいろなモノたちが見えなくする。
お金が使えなくなった時、目の前の自然の恵みを思い出させてくれる。
HN:鈴鳴 ると