存在自体が神がかってるね

定義するというのは、

より具体性を増す代わりに
無限の可能性を見えづらくもする。

 
空間という、切り取られた枠内に
時間という、定義を入れた

 
そんな世界の中に要るから、
私たちは世界を認識しやすくなってるのだろう。
有限にして認識しようとするから、この世界に制限が生まれていた。

 
が…

 
空間も時間も、実に無意味な計らいだ。際限がない。
どこまでも続いてる、そして循環している。無限。

 
此処は無限なのだから、無限の中での「存在」自体が神がかってると感じた。
「いつ」から「そこ」にあるのか、始まりも終わりも無いのだから。
全ての存在が、神がかっている。絶えず循環している、際限がない。
 

それらは、生きているということだ。


時間の概念は存在しない

流れ続ける。
物質の粒子が流れ続ける。

この視える光景全て。
粒子が流れ続けている。

 
その粒子の流れには、法則があった。
刻々と変化する一定のリズム。
そのリズムの中で、時間というものを定義された。
 
時間は、元々存在しない。
勝手に定義された。元々存在しない。

循環する。
循環している。延々と。

お日様が、月が。水が。

 
「天井から水が降ってくるなんて、スゴイじゃないか」

と雨の日、そう思った。

 

時間、時間という枠を外せば、リズムがよく視えるようになるかもしれない。
物質が、粒子が、流れていく様子が。目の前の光景、粒子の集合体。何処へ向かう?
望ましいベクトルに収束しようと、流れは加速する。

 

流れは波打ちながら、進んだ。
波、時間よ、相対的なものだよ(。0 _ 0。)ノ

早い波
ゆっくりの波。
中間の波。

 
全ての振動がぴったりと並ぶ瞬間に、扉は開かれた。


+と-の落差がエネルギー

「極端」は、時として大きな力を生む。

物事は2面性だから。

波動の波は、+の領域と-の領域を行ったり来たりする。
どの存在も基準点があって、その両側を行ったり来たりしてる。
行ったり来たりの幅が大きいほど、多くのエネルギーが産み出されている。

落差なんだ。+だけじゃ不完全なんだ。
+があるということは、どこかにマイナスも存在してる。

 
+1−0=1

では、視点として不完全、自然には存在し得ない見方。
人間社会の歪さは、ここから分かる。
(一方通行って、広大な敷居を広げないとエネルギーが生み出せんし、いずれ限界も来るんだ)
今の人間社会に、終わりの兆しが見えているのはこんな理由。
 

+1ー(−1)=2

マイナスの領域まで視野を広げれば、単純にエネルギー総量を2倍に把握できる。し、
ーから+、+からーに転じる動きによって、+1〜−1の領域だけで無限のエネルギーを生み出せるわけ。

 

 

うまい話には毒がある…という一例。
これは、物事のメリットしか見えてないから、想定外のマイナスに備えられず、潰された結果でしかない。
当人の認識の甘さが問題。

 

このように視るべきだ。
毒と合わせて、全てを受け入れ、自らの糧とする覚悟を決める。 
メリットと対のマイナスまで飲み込めれば、その存在ごと何かに活かせる。

 
先にマイナスを受け入れられる器を用意すると良いかもしれない。
すれば、対象の+の領域まで無理なく引き出せるから。

人はどこまでのマイナスを受け入れられるだろう?
どれほどのマイナスを受け入れられるかが、その人の器なんだろうか…と最近考えてた。
極端なマイナスは、視点を変えれば、大きく突き抜けらる力を宿してるんだ。

波。全体で一つの波。


視るのは音の響き、揺らぎ

オーラが視えるって言う方が話してくださった。

 
************

この世界で感じられるものは、全て波動で出来てる。
目に見えるものは光の反射。その光も波動、振動が波打ってるもの。太陽の光だってそう。揺らぎ。
音だって空気の振動。振動があるから音として感じることが出来る。

感覚とは、すべて波動なんだ。振動なんだ。
今話してる言葉だって、言葉である以前に振動なんだ。

 
僕らがどこで観てるかって言うと、言葉の意味だけではない。表面を視るだけじゃない。
振動そのもので「感じて」いる。この視点なんだ。感覚を解き放つことで自然と感じてくるものなんだ。

*************

 
ああ、思い出した。
以前、どんなふうに物事を見ていたか。

ずっと表面の現実を見てばかりで、いつしか忘れ去ってしまってたんだな。
昔、自分はそういう音の感覚で見てたんだ。

だから、オーラが視えるという視点がどういうことなのか
何となく想像できる。

 
彼はこうも言っていた。

 

観たいものがあったら問いかけて視るんだ。
心のなかで問いかけて視るんだ。

『〜ですか?』って。

 
そうしたら、相手の表層より奥に秘められた感情が、ダイレクトに伝わってくる。
自分の感覚として。それは怒りなのか、哀しみなのか、喜びなのか、ワクワクなのか、言ってる言葉と本心の食い違いとか、真実かどうかとか。

問いかければ、シンプルに視えてくるものなんだって。
この感覚なのだ。

 
彼はこの感覚を介して「視た」だけで、
どういう関連性をもって今の相手の状態なのか、分かるそうだ。

 
そこまで痕跡を感じとれるのか>!?!
対:人は、優れたるや。

たぶん、本人の聞く耳、興味ある箇所、知りたいと思う所が、突出して視えるように成るのだろう。

 
私には、目先の感情はあまり目に映らない。
空間を感じている。場を感じている。
舞台の流れを感じている。そっちのが得意。

 
人の気持ちを考えないから
それ以外の部分がよく視える。

感性、人それぞれなものね。


死を糧に生きる

構築物。墓標。命なき物。

どうせいつかは崩れ去るんだ。
壊れるの、早いか遅いかの違いでしかない。
私は躊躇わずに取り去るだろう。

底に眠った土地の記憶を、復活させるんだ。
生きた作物が再生を重ね、より美味しくなってく方が断然良い。

 
死者は、生者のために存在する。バイパスをつなぐ。
先達の死を糧に、生は充実していく。