支配とは

支配とは、それを服従させることではない。
支配とは、それを知ること。存在を隅々まで知り尽くそうとすること。

誰もが全てのことを知り尽くすことはできない。
だから、人は何人も支配されることがない。ただ一人、自分自身を除いては。

 
自分自身を知ること、自分自身を掌握することで、
自分自身を思うがままに動かせるようになる。

人もそう。その人を知り尽くそうとすればするほど、その人のことが視えるようになる。
自分から特定の何かを働きかけることで、想定する反応を得られたりする。

 
〜すれば
相手はこうするだろうか?
こう感じるだろうか?

支配とは知り尽くすこと。
存在を掌握すること。


意識を向ける場所

何処に意識を向けてるかで
普段の行動が変わってしまう。

いつの間にか変わる。

何処に意識が向いてるのか?
それは、今の状況にそぐわうのか?
無理があるとき、意識が別の方向に飛びすぎてるかもしれない。

現実は、より良い方向に変化させたい。
気持ちが先行してこそ、変化の行動は起こせる。
ただし無理なく、段階を追ってこそ、スムーズに移行できる。

100%をいきなり方向転換でなくて。
1〜2割から少しずつ、少しずつ、土台を築きながら。
今の生活にも、意識の余力を残しながら。

 
少しずつ、少しずつ。
意識の配分を、コントロールしていく。


縄文の人は、樹を植えていたか

夢を見た。
木の実は、毎年豊作不作が在る、安定しない。
縄文の人、その土地の木の実が不作の時は、どうしてたのだろうか?

「木を植えないの? 自分たちが暮らしやすいように。色々な樹を植えないの?」

と尋ねた。

 
「私たちは自然のあるがままを受け止める。自分たちの都合のいいように改変しようなど、とんでもない。最悪、食べ物を求めて移動するしか無いだろう。」

 
と、当時の人達の考えを再現するかのように、夢のなかで言われた。

  
この時、想った。
もし先住民たちが、自然の言いなりでしかなくなったのなら、
彼らが北へと去ったのは、自然の意志だ。と。自然は、彼らの考え方を良しとしなかったのだ。
 

「人は、自らも自然の一部である」
この考え方が抜けているのだ。

 
自分たちの縄張りだけでも、自分たちと自然とその動物たちが暮らしやすいよう、色々な手助けをしてあげると、土地との繋がりは強まる。
好きな樹を植えたり、花を植えたり、その植物たちを素材に色々なアイテムを作ったり・・・

土地は、そこに棲む生き物たちの役に立ちたいと常に思ってる。
人は何のためにいる?? 自然のあるがままなど役割放棄もいいとこだ。
人は自らを活かすために。土地を活かすんだ。
植物たちを活かす、動物たちを活かす、微生物たちを活かす、が活かす。

人は、自然を偉大だと畏れるあまり、自分たちの価値を蔑ろにしては行けなかったのだ。
自らも自然の一部として存在を敬えば、或いは、今も楽園は続いていたのではなかろうか。


孤独

あの書庫。10年少し前からのこと。
孤独の中で書いてたのね。
誰も来ない、誰もいない。

寂しい。

 
誰かを求めていながら
書庫に篭もりっきり。

孤独の中で、視えない虚空に手を伸ばしていた。
視えない虚空に、創造を描いていた。

「私はどうすればいいの?」

 
そんな気持ちで。

だから、読み返すと、少し切ない想いが蘇ってくる。
宵闇、星、一人。明かり。閉鎖的な空間で。

何もない、何もないがある。


存在自体が神がかってるね

定義するというのは、

より具体性を増す代わりに
無限の可能性を見えづらくもする。

 
空間という、切り取られた枠内に
時間という、定義を入れた

 
そんな世界の中に要るから、
私たちは世界を認識しやすくなってるのだろう。
有限にして認識しようとするから、この世界に制限が生まれていた。

 
が…

 
空間も時間も、実に無意味な計らいだ。際限がない。
どこまでも続いてる、そして循環している。無限。

 
此処は無限なのだから、無限の中での「存在」自体が神がかってると感じた。
「いつ」から「そこ」にあるのか、始まりも終わりも無いのだから。
全ての存在が、神がかっている。絶えず循環している、際限がない。
 

それらは、生きているということだ。