素直が一番ね(自分の心にね)

共鳴、同調。憑依。テレパス。
に通ずる話、その2(‘ ‘*)

好きか嫌いか?
その2択。

 
視ようとする対象が、自分にとって要らん!とする場合。
それらは一瞥して素通りだ。

目に入らなくなるんだ。
元から無かったことになる。

 
幻は儚く(‘ ‘*)

ありのままの自分として、さらけ出すから
周りから、そういうものだと認められるようになる。

もう取り繕うことに悩まなくてイイ。
自分の好きなようにしてイイんだ。

 
好きなこと、興味を惹かれることなら
どれだけだって視ようと思える。

子どもたち。子どもたちがそう。
なんでもかんでも知りたいね。知りたい。

 

素直が一番ね。

好きなモノを好きなだけ。
嫌いなものは無視。それは存在しない。


創造物を視るときの視点

創造物を視るときの視点

ギャラリー展。

うりゃー(。◕ ∀ ◕。)ノ

って、観てきた。

たくさんの作品たち。

色んな方法で、想いを書き綴ってる。

そんな作品たち。

作品って、想いを形にすることなんだね。

スキルなく、誰でも描ける。

芸術ってそういうものなんだ。って思わせる。

 

 

帰りにアンケートの裏紙にて絵を描きました。

うむ、立派に作品だ(‘ ‘*)

 

芸術は、誰でも生み出せるな…

 

 

 

さて。

あらゆる表現物を視るときの視点。

 

私は、それらの作品たちは、作品として形になってるが

自分たちがお部屋やギャラリーを形作る時、この作品たちは素材…って感じた。

これらの素材に込められた思いや存在の言葉を組み合わせて、自分の棲みたいお部屋にアレンジしていく。

自分のお部屋に意味を持たせるための、方向性を持たせるための、作品を飾ることが素材になるんだ。と感じた。

だから、その作品に込められた思いと、それらを見て自分が感じる感性とが、どう感じるか、しっかりと見定めていくんだって思った。

素敵なお部屋、ギャラリーにするために。作品に込められた想いを、もっと活用していくために。

 

 

 
 
一方で、例の彼は言っていた。

「一瞬の中に永遠を感じるかどうか、が問題だ。」

このことが、作品の50年後、100年後に現われる。

本当の価値は、そこで計られる。

そんなふうなことを、綴っていた。

例の彼っていうのは、関西に在住してるであろう
存在自体が神がかってるような…彼の言葉なんだが…

参照元 ⇒ http://81978.diarynote.jp/200805051914390000/
(彼とは一体どんな方なんだ(‘ ‘*)…?

 

人づてに聞いた彼の言葉は、何だかあの青い瓶のように感じた。

あの日、あの時、あの場所の、一瞬の世界。一粒の想い。

想い出の一粒
 

あの瓶の中で、それは今でも輝きを放っている。

人の手に触れること無く、ずっとありのままの姿で、一粒の想い出は熟成していく。

 

私は本当の価値がどのようなものかを、何となく確信した。


哀しみ、嘆き

心の葛藤というか
それは哀しみ、嘆き。

正しく理解してもらえないことに対しての
それが大切な存在になればなるほど。

「どうして伝えたいメッセージが通じないのだろう…?」
 
 
本当に居たたまれない。
この感情は、なんて表現すべきものだろう…

 
周りの植物たちも、動物たちも、同じように感じてるのかもしれない。
石や木も、川も海も。山も。そうやって嘆いてるのかもしれない。

だって、あの子達は人間に正しく理解されてない。
間違った選択ばかりされ、人間社会の営みが、自ら苦しみを増やしてく有り様を、指を加えて見てるしか無い。

 
天災は、本当は望まれたものじゃない。
あの子達の哀しみが溢れでて、抑えられなくなった。
気づいて欲しくて、どうしようもなく沸き上がってくる想いが

あんな惨事をもたらすのかもしれない。

 

まだ、間に合う。まだ間に合う。
未だ僕らは生きているから。


じっと聞くの

じっと聞くの、想像以上に大変なことなの。
だって、どうしても自分の意志が出ちゃうでしょ? 自分ならこうするのに!って、自分の思う最善はこうなのに!って。

でも、自分の見過ごしてる視点、自分にとって未知の視点で相手は語っているから。それは必ずしも最善とは限らない。寧ろ、余計なお節介になることが殆ど。

 

ただ、黙って聞くということの
ずっとずっと、自分の中での葛藤と戦うことの…
でも、核心を理解しようとする気持ち…

じっと、聞いてくにつれて、自分のこれまでの考えは最善じゃないことに気づいてく。
もしかしたら、器の大きさって、そういうのなんだろうか。

 
本当なら、もっともっと聞いておくべきなのかもしれない。
でもよく分からない、今言わないと、次に進める時間が取れないのかもしれない。

 

もっと時間があれば、、、
もっと、時間を掛けられたなら。。。

たった一手。

 

本当にシンプルな、たった一手を突き詰められた。

もっと多くの難題を巻き込んで、チャラに出来たはずなんだ。

 
これまで気づかなかった、無限の采配を信じることができれば…

 

この葛藤は、自分自身の愚かさが招いたもの。

たった一つの真実は、どこまで繋がっていくの?


ご飯くれる存在がママ

思い、出した(。0 _ 0。)ノ

 

幼少の頃の話。

自分が、生きることがとてもとても重要だった。
身体のどの部分が欠けてもダメ、ずっと健康でずっと長生き。
その為に、自分が生きていくために関係する、あらゆることが重要だった。

 
ご飯、ご飯がないと生きていけない。

ご飯を出してくれるの誰?

お母さん?

 

そう、お母さんが居ないとダメなんだ。
自分が生きてくために、お母さんが居ないとダメなんだ。

ご飯さえあれば、とりあえずイイ。
自分が、健康で生きられるなら、とりあえず問題ない。

その第一前提があって、最重要な存在が、ママ。

 

多くの家庭環境では、子にとってママが一番。

 

 

これが、もし自然の中でなら?
すでに、身の回りに、食べ物や作物、実が、成ってる状況。

想像してみる(o _ o。)

 

自然が、ママになる。
お母さん、2番めくらいになる。
子どもは、お母さんだけに依存しなくて生きてけるようになる。

 
お母さん、四六時中つきっきりの育児から解放されるし
子は、一人の人間として、幼少の頃から既に独立して生きることを覚える。

母と子の関係は、生まれた瞬間から、一人前の1:1の関係ってなる。

 

育児大変っていうけれど。
大変にしてるのは、実は当人の生き方が、そのような徒労の道を選んだ。
ことになるかもしれない。

どの親も、我が子はかわいい。
しかしその為に、自分の人生を無理に犠牲にするなど、真には望まない。

子どもの立場から見たって、わざわざ自分のために、
両親の大切な時間、エネルギーを、消耗させてしまうのは、
とても申し訳なく想うだろう。

「自分、いらない子なんじゃないか?」

 
子どもは、そんなこと想うかもしれない。
そうして、少しでも親の負担軽くするために、
大切な幼少時代をすっ飛ばして、無理して大人になろうとする。

 
 

さて、あの家で、一番のご飯を出してもらったのは
おじいちゃん、おばあちゃんだった。
母よりも、祖父母の存在が大きかった。

だから、お母さんのいうことはともかく。
おじいちゃん、おばあちゃんの言うことはよく聞いた(。0 _ 0。)ノ

 

ご飯をくれる存在が、ママ。

自分が生きるために、その人の言うことをよく聞くようになるのは、子どもの心理的に、自ずからそうなる。
 
 

まぁ、そうして、自分の中に、彼ら特有の常識、格言、教え、価値観、が、ご飯くれた人から受け継がれるわけですな。

 

その価値観がどういうものであれ、結局人は、自然と分断された状態では、
「ママ」自らエネルギーを切り崩し、育児したり、生きるしかない現状を、そういった生き方を、子どもは目の当たりにする他ない。

子どもは、そんな多少無理したママの生き方を、苦悩するママの現状を目の当たりにして、嘆き、ママの代わりに嘆き、自分こそは、自由で、長生きしたいのに、ずっと健康でいたいのに、嫌なことなんて何一つしたくないのに、結局は自らも、ママを助けるために、ママをコレ以上苦労させないために、自分のやりたいことを諦め、早くに自立しなければと、そのように動くしかないと、思い込まされるのかもしれない。

 
 
食べ物をくれる存在がママ。
でも、ママが無理するうちに、どんどん理は曲がってしまった。

子が、泣きわめく時、
そのほんとうの意味を、親たちは知ろうとするだろうか?

 
殆どの人、素通りだよね。
泣き止ませるためにどうするか、としか。
多くの大人は、理解しようともしないんだね。
 

泣くことの本当の意味、分かろうとしてるの?
病むことの本当の意味、見ようともしないの?

どうして同じ過ちを繰り返そうとするの?
 

 
この世に、無視していい感情なんて、何一つないのに…

すべての想いが、その現れが、大切なサインであるはずなのに… 

 
 

 

 

もう…
 

もういいよ、何もかも。…どうでも。

 

 
 

 

もう。何でもかんでも、

てきと〜でいいよ。

あのとき

世の中の全てにつかれたときから…

 

 

 

な〜んもかんも
自然なまんまで、全てが。

 
 
食べ物なんて勝手に育つし、水だって降って湧いてくる。
働くって、無理して働くなんて、自分の好きなことを諦めるなんて、最初からそんなこと、思わなくてよかった。
 

自然になったまんまを食べるの。

それが、一番、楽でね。しかも美味い。Beautiful.。.:*・゜
この美しい星で、自分の好きに生きてイイ、直に伝わる。
 

子どもだって、自分の思うとおりに生きていいんだよ。
その両親だって、影からそっと見守るだけで十分。

 
もはや親も、子も、負担何一つない、
自然なるままが、全てに自由をもたらしてくれる。

 

ご飯をくれる存在がまんま
ご飯をくれる存在が自然。

 
自らにふさわしい、自由な時間と生き方を、

自然なるまんま、教えてくれる。
自然なるまんま、全てに自由を解き放つ。