哀しみ、嘆き

心の葛藤というか
それは哀しみ、嘆き。

正しく理解してもらえないことに対しての
それが大切な存在になればなるほど。

「どうして伝えたいメッセージが通じないのだろう…?」
 
 
本当に居たたまれない。
この感情は、なんて表現すべきものだろう…

 
周りの植物たちも、動物たちも、同じように感じてるのかもしれない。
石や木も、川も海も。山も。そうやって嘆いてるのかもしれない。

だって、あの子達は人間に正しく理解されてない。
間違った選択ばかりされ、人間社会の営みが、自ら苦しみを増やしてく有り様を、指を加えて見てるしか無い。

 
天災は、本当は望まれたものじゃない。
あの子達の哀しみが溢れでて、抑えられなくなった。
気づいて欲しくて、どうしようもなく沸き上がってくる想いが

あんな惨事をもたらすのかもしれない。

 

まだ、間に合う。まだ間に合う。
未だ僕らは生きているから。


じっと聞くの

じっと聞くの、想像以上に大変なことなの。
だって、どうしても自分の意志が出ちゃうでしょ? 自分ならこうするのに!って、自分の思う最善はこうなのに!って。

でも、自分の見過ごしてる視点、自分にとって未知の視点で相手は語っているから。それは必ずしも最善とは限らない。寧ろ、余計なお節介になることが殆ど。

 

ただ、黙って聞くということの
ずっとずっと、自分の中での葛藤と戦うことの…
でも、核心を理解しようとする気持ち…

じっと、聞いてくにつれて、自分のこれまでの考えは最善じゃないことに気づいてく。
もしかしたら、器の大きさって、そういうのなんだろうか。

 
本当なら、もっともっと聞いておくべきなのかもしれない。
でもよく分からない、今言わないと、次に進める時間が取れないのかもしれない。

 

もっと時間があれば、、、
もっと、時間を掛けられたなら。。。

たった一手。

 

本当にシンプルな、たった一手を突き詰められた。

もっと多くの難題を巻き込んで、チャラに出来たはずなんだ。

 
これまで気づかなかった、無限の采配を信じることができれば…

 

この葛藤は、自分自身の愚かさが招いたもの。

たった一つの真実は、どこまで繋がっていくの?


ご飯くれる存在がママ

思い、出した(。0 _ 0。)ノ

 

幼少の頃の話。

自分が、生きることがとてもとても重要だった。
身体のどの部分が欠けてもダメ、ずっと健康でずっと長生き。
その為に、自分が生きていくために関係する、あらゆることが重要だった。

 
ご飯、ご飯がないと生きていけない。

ご飯を出してくれるの誰?

お母さん?

 

そう、お母さんが居ないとダメなんだ。
自分が生きてくために、お母さんが居ないとダメなんだ。

ご飯さえあれば、とりあえずイイ。
自分が、健康で生きられるなら、とりあえず問題ない。

その第一前提があって、最重要な存在が、ママ。

 

多くの家庭環境では、子にとってママが一番。

 

 

これが、もし自然の中でなら?
すでに、身の回りに、食べ物や作物、実が、成ってる状況。

想像してみる(o _ o。)

 

自然が、ママになる。
お母さん、2番めくらいになる。
子どもは、お母さんだけに依存しなくて生きてけるようになる。

 
お母さん、四六時中つきっきりの育児から解放されるし
子は、一人の人間として、幼少の頃から既に独立して生きることを覚える。

母と子の関係は、生まれた瞬間から、一人前の1:1の関係ってなる。

 

育児大変っていうけれど。
大変にしてるのは、実は当人の生き方が、そのような徒労の道を選んだ。
ことになるかもしれない。

どの親も、我が子はかわいい。
しかしその為に、自分の人生を無理に犠牲にするなど、真には望まない。

子どもの立場から見たって、わざわざ自分のために、
両親の大切な時間、エネルギーを、消耗させてしまうのは、
とても申し訳なく想うだろう。

「自分、いらない子なんじゃないか?」

 
子どもは、そんなこと想うかもしれない。
そうして、少しでも親の負担軽くするために、
大切な幼少時代をすっ飛ばして、無理して大人になろうとする。

 
 

さて、あの家で、一番のご飯を出してもらったのは
おじいちゃん、おばあちゃんだった。
母よりも、祖父母の存在が大きかった。

だから、お母さんのいうことはともかく。
おじいちゃん、おばあちゃんの言うことはよく聞いた(。0 _ 0。)ノ

 

ご飯をくれる存在が、ママ。

自分が生きるために、その人の言うことをよく聞くようになるのは、子どもの心理的に、自ずからそうなる。
 
 

まぁ、そうして、自分の中に、彼ら特有の常識、格言、教え、価値観、が、ご飯くれた人から受け継がれるわけですな。

 

その価値観がどういうものであれ、結局人は、自然と分断された状態では、
「ママ」自らエネルギーを切り崩し、育児したり、生きるしかない現状を、そういった生き方を、子どもは目の当たりにする他ない。

子どもは、そんな多少無理したママの生き方を、苦悩するママの現状を目の当たりにして、嘆き、ママの代わりに嘆き、自分こそは、自由で、長生きしたいのに、ずっと健康でいたいのに、嫌なことなんて何一つしたくないのに、結局は自らも、ママを助けるために、ママをコレ以上苦労させないために、自分のやりたいことを諦め、早くに自立しなければと、そのように動くしかないと、思い込まされるのかもしれない。

 
 
食べ物をくれる存在がママ。
でも、ママが無理するうちに、どんどん理は曲がってしまった。

子が、泣きわめく時、
そのほんとうの意味を、親たちは知ろうとするだろうか?

 
殆どの人、素通りだよね。
泣き止ませるためにどうするか、としか。
多くの大人は、理解しようともしないんだね。
 

泣くことの本当の意味、分かろうとしてるの?
病むことの本当の意味、見ようともしないの?

どうして同じ過ちを繰り返そうとするの?
 

 
この世に、無視していい感情なんて、何一つないのに…

すべての想いが、その現れが、大切なサインであるはずなのに… 

 
 

 

 

もう…
 

もういいよ、何もかも。…どうでも。

 

 
 

 

もう。何でもかんでも、

てきと〜でいいよ。

あのとき

世の中の全てにつかれたときから…

 

 

 

な〜んもかんも
自然なまんまで、全てが。

 
 
食べ物なんて勝手に育つし、水だって降って湧いてくる。
働くって、無理して働くなんて、自分の好きなことを諦めるなんて、最初からそんなこと、思わなくてよかった。
 

自然になったまんまを食べるの。

それが、一番、楽でね。しかも美味い。Beautiful.。.:*・゜
この美しい星で、自分の好きに生きてイイ、直に伝わる。
 

子どもだって、自分の思うとおりに生きていいんだよ。
その両親だって、影からそっと見守るだけで十分。

 
もはや親も、子も、負担何一つない、
自然なるままが、全てに自由をもたらしてくれる。

 

ご飯をくれる存在がまんま
ご飯をくれる存在が自然。

 
自らにふさわしい、自由な時間と生き方を、

自然なるまんま、教えてくれる。
自然なるまんま、全てに自由を解き放つ。


あめおとこ・あめおんな

あめおとことは何だ。
あめおんなとは何だ。

その人とあったとき、必ずや雨になる。
そんな人のことを、あめおとこ・あめおんな。

 

 

。。。
 

本当に、その人は、あめおとこ? あめおんな?

 

逆の立場に立ってみる。
すると、意外な発見がある。

 
その彼や彼女にとっては

自分こそがあめおとこになるんだ
自分こそがあめおんなになるんだ

 

ここから、導き出されること。

あめおとこ。とか。
あめおんな。とか。

厳密には存在しない。

 

組み合わせ
組み合わせで、おそらく二人が揃う時に、組み合わせで決まる。

この組み合わせは、雨。
この組み合わせは、晴れ。

 

人の呼び名や役割、相性は、組み合わせで決まる

自分一人だけが、そうではない。
相手一人だけが、そうではない。


囲いの扉

鳥かご。囲いの扉。
それは家、私たちの家みたいな。

私たちの居た空間は、かつて「無限」に続いていた
人々は、そこに囲いを作り、無限との境界線を引いた。
有限の柵の中で、「未知」という不安を追い出し、自分だけの空間を持った。

しかし、無限という可能性を絶たれた囲いの中では、その中でしか生きることを許されない。
鳥かごに囚われた状態で、何も変わらない、何も変えられない退屈な日々を送る。
新しい風も吹かず、ただ、その中でのみ産まれ、生き、死ぬのだ。

かごの中の鳥。

 
大きな一つの街に境界線、ガラス張りの壁で外界との出入りを絶たれ、その先は何もない。
例えるなら、人間の作った文明、住処とは、そんな感じ。会社と家。囲いの中に居る。

限られた物質の中で、その現象を固定化したものだけを、時間の止まった美だけを、永遠の輝きとして、そこに閉じ込めようとした。
そこでは、死という醜い存在を許さない。時間の流れを、老いというものを、囲いの外にある未知の領域を、変わることを、本当の自由を、あれは、あれは望まないんだ。

 
かつての人間の一部が、自然界の創造物に対し、人間だけの力でそれ以上のモノを作れるはずだと挑戦し続けた。
自然と敵対したのは、自然の美に対する嫉妬からだというのも、或いは、万物との繋がりを絶たれたからだというのも。
あれはかつての楽園を自ら塗りつぶした後、全く違う方向性から、新たな楽園を築こうと奮闘した。
結果、先代たちの楽園を勝手に分解し、それを自分勝手に改悪して、自らジリ貧になってしまった。

 
無限への扉を閉ざした時点で。
自然と敵対し、内に閉じ困った時点で、
その運命は決まっていたも同然だった。

囲い込みを、囲いの扉をそろそろ開放するかね。
有限の世界は、これ以上創造しようがない。
どんなに素晴らしいモノも、固定化した時点で、
それ以上の創造物が生まれる可能性をすべて否定してしまう。

万物に、生と死を。等しく分け与えようか。
 
 
死するもの、かつての作品は、記憶となって無限の世界に灯り、いつでも書庫を開けることで、取り出すことが出来るものだから。
もういいんだよ。仮初の閉ざされた世界は、今にも死にたがっている。誰もの心の奥底から消えて無くなりたいと、苦しそうに、今。ほら。

 

簡単。囲いの扉を開けるだけでいいんだ。
 
 
家、ドアあけっぱなし
庭、広々、木々が周りを守護する。
天井、星。いっぱい