2日連続コンサート、なんと贅沢な週末なんでしょう(‘ ‘*)
昨日のバイオリンソロにつづいて、今日は九州交響楽団によるオーケストラ編成。
ドラクエで有名なあの、すぎやまこういちさんの手がけるコンサートでした。
バイオリンの先生が案内してくださったんですよ。
もうこんな素晴らしい演奏会に…感激(o o。)
オーケストラ編成なんて生で聴くのは、おそらく初めてのことで。
隣でMUSIC MATERIALの涼さんが、オーケストラについて事細やかに説明してくれて
こういう編成で作れるんだなぁと、学ばせていただく(o v o。)
木管
中央に、ピッコロ、フルート、クラリネット、オーボエ。
金管
その奥にホルン、トロンボーン、トランペット、チューバ
弦楽器
ハープが左側
前側にバイオリン1、バイオリン2、ビオラ、チェロ、奥にコントラバス
左奥がパーカッション
ティンパニ、シンバル、タンバリン、洋太鼓、鉄琴
今回のコンサートが始まる前の様子。
何となく楽器の位置が見えてくるかも?
オーケストラ編成の時はオーボエの音を基準にして
他の楽器もそれに合わせて調律していくようです。
今まで、金管とかあまり使えてなかったけれど
これもアンサンブルストリングスのような音使いで、
金管楽器を使ってあげると良いことがわかった。
音のメリハリがまたすごく
盛り上がる所で一気に音量がぶわ〜って。
ストリングスは、ホントに最初繊細に空間を飾り付けるくらいの小さな音色なのが
盛り上げ方、ティンパニやシンバルとともに、金管や木管のアンサンブルが加わって
コントラバスの低音が後押しして、ぶわ〜.。.:*・゜
*・゜゜・*:.。..。.:*・゜(n‘ ‘)η゜・*:.。. .。.:*・゜゜・*!!!!
圧巻ですね…
要所要所で、楽器の役割が入れ替わったり
アンサンブルがソロに切り替わったりと
場面の変化に応じて音楽の表情がどんどん変わっていく。
始終音を追うのが楽しみで、あっという間に終わってしまった、
そんなコンサートでした。
ドラクエは、やったことないが、これ実際にプレイしてたらまた違っただろうなぁ。
生演奏ですよ、もう迫力からして段違い。素晴らしかった。
演奏終わった後に聞いた話ですが、
すぎやまこういちさんはファミコン時代
ドラクエの曲をフルオーケストラ編成で一度書き上げてから
ファミコン音源(3音のみ)に絞ることをしてたんだって。
当時、ファミコンのBGMからして力の入り方が違うのだと。
その奥深さを改めて実感したのです。
すぎやまこういちさん、すごい人だ…
途中、客席でお隣に座っていただきました。
そうだ。
この音楽は、楽器の一音一音が、すぎやまさんご自身の手で描いたものなのだ。
それを、今。自分たちは聴き入って、かつてのドラクエの世界観を一緒になって味わってる。
自分には、とても新鮮で、感銘を受け続けてるこの音楽たち。
すぎやまさんご自身は、どんな想いで演奏を聞いてらっしゃるのかな?
そんなことをふと思いました。
今日、すぎやまこういちさんの音楽に触れて
お隣で顔も合わせて頂いて、お話も聞けて。
なんとまぁ興奮に満ちた一日だったでしょう。
このような素晴らしい演奏を聴けて
本当に感動ものでした(uu*)
久留米のそよ風ホールにて
行ってまいりました。
そもも、バイオリン始めた大きなきっかけは
綾子さんのラピュタ、Let it goの演奏動画
バイオリンって、こんなに表情豊かに奏でられるだ!と
曲の演奏途中で調弦までしちゃうのだから、なんとまぁ!!
ひと目で虜になり、3ヶ月くらい前にバイオリンを始めた。
そのまさか、いきなり生の演奏を聴く機会に恵まれるとは。
実際に聴いてると、何と楽しそうに弾かれるんだろう!
すっごく元気を分けてもらえましたよ*:・’゚☆
それに演奏するときはもう大迫力の空気感を醸し出してるのが
合間のトークになると何とも可愛らしい(‘ ‘*)♪
つい周りもほっこりな空気になって。
アーティストなのにアイドルでもあるふうな。
すっごく多彩で、魅力的な方でした.。.:*・゜
いつしか、あんなふうに色彩豊かな演奏を出来るだろうか。
DVD買ったので、早速イメトレしてみるのです(。0 _ 0。)ノ
きゅるるっるいいいいん♪ノ(‘ ‘*)w
みゅーるるりぅりぅらー♪ノ(‘ ‘*)w
女性のピアニストが奏でる美しいピアノの演奏の中
優雅に午後のティータイムのひとときを味わっておりました。
ショパンのプレリュードから始まり、叙情的な風景を力強く再現するメロディと伴奏。クラシックの音というものは、昔の時代の再現なんだなぁとのんびり聞き入っておりました。過ぎ去った時代の、かつて其処にあったものが、厳粛な形で目の前に浮かんでいる。
誰かの過ごした記録が、第三者の手で。
実に、音だけが時代を逆行し、私達は別の世界に来ているかのようだ。
さて、演奏1〜2曲目が終わって時間が元に戻った時。
お客さんで、紳士的な風貌のおじいちゃんがお店にいらっしゃいました。
「おお、今日はピアノの演奏がありよるとね。何を演奏しよったと?」
気さくて、優しい声で、そして貫禄のある穏やかな響き。
聞けば彼も75の年で、ピアノを始められたんだとか。
孫をびっくりさせてやろうと思って始めたら、つい夢中になって7年も続けているとおっしゃいます。
「私はビートルズが好きでねぇ。お姉さんは何を弾くとね? 得意な曲を何か演奏してみてくれるかい?」
おじいちゃんが演奏者のお姉さんに尋ねます。
「私は主にクラシックなんですが、そうですね。こういうのはどうでしょう?」
といって徐ろにカムパネルラという曲を弾きだす。
めまぐるしい旋律で、空間を一変させる。音符が連続して鍵盤を高鳴らせる。
「歓迎」に交え「同じピアニストとしての挨拶」も含めたような響き。
おじいさんの言葉で、ピアノコンサートの空気が一変した瞬間でした。
時代はクラシックから一気に現実に引き戻され、紳士風のおじいさんとピアニストのお姉さんとの対話形式で
次々と活きた会話がメロディとして奏でられていく。
場が一気に盛り上がるのです。
そのピアノの旋律と言ったら、もう見事としか言いようがなかった。
これが、音に意志が宿るとでもいうのだろうか。力強さに加え、明らかに目的を持った音の対話。
おじいさんも、その演奏には感嘆の一声をあげます。
「素晴らしいねぇ。あなたの演奏が聞けてよかった。休憩中だったろうにごめんなさいね。ささ、そこに座ってケーキでも。」
と、演奏者さんに椅子をすすめ、その合間に今度は彼自身がピアノの前に座る。
まさかの展開!
そう、75歳からピアノを始めて7年。
誰もがこのおじいさんが、どれほどのピアノを弾くのか興味津々でした。
そして奏でられる、メロディ。
「きよしこの夜」
穏やかな伴奏と、一生懸命にメロディをなぞる右手の音が、ゆっくりと引き出される。
少し辿々しいながらも、とてもご高齢の方が弾いてるとは思えないような。
しっかりとした足取りで、
ラーシラーファー♬
ラーシラーファー♬
この時、コンサートというのは演奏者さんの技術で魅せるものではないのだと感じた。
このおじいさんの演奏には、優しい旋律の背景に物語がある。
孫をびっくりさせてやりたい遊び心。
幾つになっても挑戦を忘れない心。
それを積み重ねて続けてきた7年間、
今。おじいさんの演奏によって彼自身の生き様が再現されている。
これこそが心動かされる演奏になるのか・・・と、感じるものがありました。
そして、さらに心躍ったのがその後の連弾ですよ。
演奏者のお姉さんが提案したのです。「一緒に弾きましょう!」と。
普段のコンサートでは絶対にありえないような展開が、目の前で起こっている。
並んでみると、おじいさんとお孫さんのような・・・
左手の伴奏をお姉さんが、右手のメロディをおじいちゃんが。
おじいちゃんの優しいメロディに合わせて、ピアニストならではの鮮やかな伴奏が1つに調和していく。
この光景は。。。すごかった。
「私はピアノ7年やってて、こんなことは初めてですよ」
おじいさんは感激していました。
プロに謙遜ない演奏が、2人の手によって織り込まれていくのですから。
まさかの展開。そして2人とも、何と穏やかで楽しそうに演奏しているのだろう。
私達その場にいる人全員その雰囲気に包まれて、素晴らしい空間を共有できた気がします。
これが、音楽の楽しみというものなんですね。
このようなコンサートの場に居座ることが出来て、本当によかった。
輝かしい一日の記録でした(‘ ‘*)♪
グランドハープの演奏会。
大きさが人の身長ほどもあり、ものすごく大きいのです。
ポロン、ポロロン。
ハープの弦は47本。全て白鍵盤の音で成り立ってる。
調を変える時は、足のペダルで切り替えてその音程を半音上げたり下げたりする。
あの優しい音色の響きは、そうやって成り立ってるんだなぁ。
流れるような旋律は、ドレミファソラシの連符で。
それが曲調によって音階が少し切り替わるのみ。基本がコレなんだなぁと学びました。
楽器を知ると、曲作りに活かせますね。
それと、音の響きは。
弦を鳴らして、その余韻の音がどこまでも続き、
他の弦の音と共鳴して、音の空間にハーモニーが出来る。
だから、ピアノで言うペダル。サスティン?
ハープの音を鳴らすとき、余韻の音まで意識するといいんだなって思いました。
ポロン、ポロロン。
流れるような旋律で。
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- 2014年11月19日
シェイクスピアの戯曲、第十二晩目の出来事。
舞台の上で演じることを想定した、台本。脚本ともいうのでしょうか?
ほぼ台詞のみで物語が表現され、台詞ひとつひとつ、独特の言い回しが耳に残ります。
ユニークな掛け合いの連続で見えてくる登場人物の人柄、その目的、人間関係。
物語の中枢は、人間関係を元に構成されていて
その心の、意志のぶつかり合いが歪を、小さな物語の種を生み、
それらの物語一つ一つが絡み合って解け、大舞台の幕が閉じられる。
まるでパズルのようだとも思いました。
そうだ、物語はパズル。
登場人物はピースの欠片で、意志がその形を示し、
然るべき場所に辿り着くよう、舞台が動こうとする。
意志のぶつかり合い、ピースとピースの欠片がぶつかることで、お互いに生まれる動き。
欠片は役目を与えられた。例えピースが合わなくても、それ自体が物語を生む。
いがみ合いはスムーズな進行の足かせとなるが、
白紙のページに傷として残ることで、舞台にコード、音を響かせる。
その音は、物語の裏に隠されたメッセージを暗喩する。
ささやかな、ささやかな。
まさかと思った。
物語は、情景描写がなくとも物語になる・・・
役者たちが登場人物に成り代わってその台詞を詠み上げることで
かくも表現すべき舞台背景を演出することが出来るのか?!
彼の物語は、最初に登場人物ありき・・・
そのピースの欠片を、時の運命が彼らを動かし、一枚の絵画を築きあげるのだ。
Finaleは、見事な大団円であった。
運命の輪が、正しい位置に収まったのだった。
ここまでの物語の経緯に、人々の葛藤を思い、音楽を感じ、時間の流れを共にする。
戯曲が戯曲である所以は、此処にもあるのか、と思った。
曲作りも似たような感じだ(‘ ‘*)
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- 2014年10月23日