其処は描かれた場所

2ヶ月少し前、あの子の描いた「時間停止空間」の下で体験した、お部屋での異次元空間の旅。
今日見てきたものは、それと同じことだと感じたのでした。

というのは、実際に存在しないものでも人間の認識に直接語りかけることで、本当に其処に存在するようになるからです。
しかもこの認識というのは、人間その人の創造の範囲内で多様に実現してしまう。
そんなふうな言葉。

アシカが空を飛ぶ世界。
言葉借りちゃった。

例えば、未来への願望が実現するのも。
それを望む先に、語られる全ての言葉が教えてくれるから。
何もかも一つに繋がったなら、それは純粋に一言発してくれるんです。
ただ其処にあるのが、当然のように思えてくる…って。
こんなに簡単な解釈は、無いと思う。

これは鷹の眼が見るの。
数多くある選択肢の中の、最も優れた道筋を示してくれるようなもの。
彼は知ってる。だから、うちも彼の言葉を借りるです。


閉ざされた空間の中で

何人分もの人生の経験が、エネルギーとして一箇所に循環し続けるって言う;
そういう場を垣間見てしまいました。

見るとはしかし認識の違いが出てくるかな。
アレです、其処に在ると間違いなく感じれる。そういう感覚。

 
巫女の姐さんの下で、たくさんの凄い方たち(特に見た感じからして違う)が集まって、うちも恐れながら仲間に入れさせてもらい。その割りに相当楽しんできちゃったりする。お部屋での私。
この空間そのものが、魔方陣の相関図みたいなものですよね。たぶん。
6人とマスターとで、相互作用の働きや相性も見ての、あの配置。
3と3.の対、中央に導かれる七色の光。手のひらのコイン、さらに額のプレートはそこに意識を開け放たせる為のもの。まず、個人という最も小さな単位から場の流れを自然のままに導かせる。そしてそれらが上手く流れると全体が一体として繋がっていく。
あとはマスターが描きたい形を思い、そのとおりに現実の場に反映させるだけ。
場の全体の振動が音で統一されたから、そこで全てが一つの空間としてまとまっていったのです。
んー、皆でやると、ほんとうに凄いものでした。
うちはそこまで驚くほどの変化を実感できていなかったの。
でも皆さん、何か見えたりするもの。えええ;;そうなのか、うちはその感じ取ったものを感じることでしかそれを認識できない;
皆さんはやっぱり何かしら、すごい能力持ってるんだなアって、感動しまくりでした。
皆、エネルギーの影響で熱くなってたです。そしてうちは冷たいまま。。。

皆さんは何かしら見える力があって、うちはそれらを凄いなあって思いつつ。
ちょっとばかり、今日を使って拝借してしまったのでした。
能力は其処に在るもの。うちは他人のそれを経験した。
なので、今日というこの日から、うちもそれなりに見える風なように思うことにします。
やったー♪ヽ(*゚∇゚*)ノ~*:・’゚☆

 
其処には何もない。
ある種、その向こう側の領域での影響をまったく受け付けないとか。
やはり見える範囲でしか見えないの。
でもそれを知ってれば其処に在るのが正しいって、理論的に解釈された繋がりが詠めてくる。
ああ、そういうことなんだなって。確信を持って言葉にすることが出来るです。
そうやってうちでも普通に溶け込んでしまえた底は、いくつもの方の経験が自分の中に根付いたからなのだと思います。こういう機会があるのは、本当に嬉しい。

凄いの、こんなふうな秘密のお茶会。うちにもいつか出来るようになるんですね・・・・
 

そのあとのお歌会。
一時的に、”歌”が自分の境界を越えましたし..
歌だけじゃない、空間の配置も光の振動も、音のリズムとも重なって全てが見える。.
こんな、こんなにまで引き出せる巫女の姐さん。。。凄いの;;
うち、ほんとうに。凄いと思える人なのでした。


ふわふわ

なんだか、いろんな人にお世話になってしまいました。
とかく、お世話に為りすぎるくらい;色んな方たちから助けてもらえたような気がします。
御飯食べさせてもらったり、車乗せてもらったり、飲み物もらったり、お菓子もらったり、あれ、泊めさせてもらったり; みんな知らない人なのに、あれえ;;
6人くらい、いやもっとかもしれないです。
こんなにしてもらっていいんだろうかって云うくらい; とにかく、感謝の言葉のほうが追いつかないほどでした。

えええ;;;;
お陰で、とっても有意義に行動範囲が広がって、一日で十分に廻れたのです。
秘境の門を潜れば、滝の連なる深い森の奥。の、お家を訪問したり。
頂上の山の境目付近で、瀬戸内海を一瞥したり。とにかく綺麗に見えたのです。
昔にお世話になったところにも挨拶行ったり、そんで酒屋さんの食べ物がすっごく美味しかったです。

 
今回もメインは、夜でした。
誰も居ない暗がりの中を一人。
星の下、灯り間はすっごくたくさんあって、流れ星も何回か見かける中。
寒い、寒いけど。此処は自分が望んできた場所で。
自分自身を垣間見るのが割きなのか、死ぬことに対して少し考えさせられました。
こういう場に立って自分自身が見えると、死ぬことがどれだけマイナスな要素なのか;
すっごく感じさせられます。無理は絶対駄目だ。

死ぬって行っても、命果てるとかじゃなくて、今まで憑いてた物に全て身を任せてしまえるような、そんなん。
純粋に、力なんて求めてないのね。自分は…
ただ結果的に、うちは助けてもらってるのです。
其れが無ければ、そんなl;色々知らない人から良くしてもらえるなんて有り得へん。
うちは、どんだけやねんゆうてな。

お陰で、ほんに良くしてもらってます。
共に在るのはたまにきつい事もあるねんけど、こんな自分で居られるのって;
あのときのお陰なのかなぁ。。。


また放浪

今度は、夜桜を見に。
何処かあるかな、見晴らしのいいところ。
きっとまだ夜は冷えるけど、うちにとって特別な場所だから、きっと思い出に残る時間になると思うの。

またしばらく、傍に居させてください。
静かにこの空間に浸って、浸って。
のんびりと限られた時間を楽しんできます。

 
踊ったり、眠ったり、歩いたり、歌ったり、お話したりしながら。
今度は何に会うだろう。

森に潜むのは誰かな。
今度も、また無事に帰れる言葉を、此処に残しておきます。

 
最も偉大な力は自然だって、誰かも言ってましたし。
うちは、それをまた近くで垣間見るだけです。
また少し、お邪魔するね?


一人では無理だ

大切なモノなくしたら、何も出来なくなってしまうそう。
きっと、そうなった場合死んでしまうのね。

生きてても死んでるのと一緒の。
生きてる意味が無いのなら、死ぬことにも無関心になるのかな。
平気で、夜の山奥に身を投げてしまうでしょうな。
クマさんに食べられるように。
せめて、クマさんに対しては生きてる意味を見出したい。

あなたに食べられる為に生きてました…(オオウソ