知りたいのは自分の居場所と、その蛍の在りか。
もしかしたら他の言葉で云っているとも思えます。
一人の流れ者が、歌を歌いながら荒野を悠然と歩んでいる。
それは何処へ?
何のために、何を歌いながら?
連れは? 一人? 何を持って、それはどうして?
一つの心情描写だけで、それを知るのに事足りる。
あらゆる理由がその絵には潜んでいる。
単なる訳のわからない事柄のように思えて、バラバラに見えるその光景。
実は真実を映し出してるかもしれない。
一枚のカードに私はそう当てはめます。
同時に、この3日間歩んだ記録はこの一枚に見定めます。
私は探求者です。
私は観察者です。
私は正直者です。
私は愚か者です。
彼から語られる言葉は、謎だらけ。
もし話しかけられたら、次々と溢れ出てくる迷言雑音をふらりと飛び交わし。
ともに音楽を奏でましょうか。
まァ彼は大人が苦手なんですよ。もう堅苦しゅうて話も通じんでさ。
なにを難しい顔して悩んでるか知れん。面白うなか。
こういう語りは、小さな子供のほうがよっぽど賢く受け止める。
だから彼は子供が好き。自分も子供で居たいと思う。
子供とはとても話が合うし、一緒に居て楽しいと思える。
だから私は子供が好き。自分も子供で居たいと思う。
私は、”The Fool” 0番目の言葉です。
蛍。蛍が川辺に飛んでいるのですか。
私はずっと以前に見たっきり、それを忘れてしまったのか分からないです。
う~ん、とっても綺麗なんでしょうね。
言葉には出来ないでしょうし。
想像でしか思い出せない私には、とうてい。
蛍ですか。
ほんの少し、その光景見せてくれないかなぁとか。
ささやかな願い事ですね。
この時期だけなのかな。
絵を通して、どれだけ素晴らしいものなのか見てみたい。
見てみたい? 見てみる。
蛍さんに、蛍。う~ん、光って、たくさん、閉じたり、止んだり。
一斉に。その中で、うち、ちょっとだけ眠りながら、雨の中の、音とか聴きながら。
想像してみたいなァ。一夜限りの光景かなぁ。もう一度みたいなァ。
話は、何処から何処までも現実から鏡が離れてて、一体今自分が何を話しているのかすら輪郭が思い浮かばないように。
私の癖かな。
ん、また何か云ってるなァ。。。そんなふうに思うのです。
昨日から、大切なことに気がつきました。
別に応えてもらう必要なんて無かったんだ。
って、それに何の話だったか覚えてないんですものね。
そう思ったら、なんだか楽になって。
そもそも、日記に意味がなくなってきてるしなァー
湖のりんごの木は、今日は堀の深い怒ったような気難しい表情をしてました。
これは単に葉っぱの影が、幹へ人の顔のように映っただけなのだけど。
深夜、誰も居ないはずの庭園でそれと少し会話するのにも、不思議と怖さはありません。
どうして怒ったように見せるのかが、気になって。ただそれだけです。
それとね、何の因果か分からないけど、いつもはこの湖の夜の庭園には私以外誰も居ないはずなのよね。けれど、今日入り口付近で仰向けに倒れてるおじさんが居ました。
死んでないけど、隣を無視して通り過ぎても表情一つ動かさない。
とりあえず、無視してとっとと奥へ向かったものの、気になってまた途中で引き返したのです。
入り口付近には、いつもは見かけないテントが貼ってありました。
中で何人かのおじさんが寝静まってました。
うち、やっぱり気になって近づいてみる。すると何か反応が返ってきます。
「。。。。。」
「こんばんは、此処に居るのは。あの〜、いつからです?」
んで、うちが見回りの人でないの分かると、どうやらその人たちは登山帰りで泊まるとこなくてテント貼って寝てたらしいです。
此処に来たのは初めてだって。。。
「おじさんたちなんも悪させんけんね。」
「はやくお家にかえってね。たのむから」
歩き屋さんたちはそんなふうな事を云ったので、うちはあきらめて湖の奥でのんびりすることにしました。これはいつものとおりです。
今日はいつもと比べて車の音が多くなってたのと、パトカーが一台通ったのと、あと、入り口の傍に車が2台停めてあったことと。どうも騒がしい夜だったように思います。
何があったんだろう。。。
お水にも、場所や地方や国やら、はたまた水底に潜む神秘のものまで、至るところに違った表情が隠されるものだとも思えます。
同じ場所でも、青空や夕焼けに染まる瞬間など、時間帯によっても見え方が全く異なる。
さてさて、お水よ。おみず。
ほとんどの生き物は、大部分から此れを含むのが知られてるよ。
お水は、そうなの。その瞬間瞬間ごとの周りの光景を一時的に映し出すものでもあり、もしくはその後、奥深くに潜めるものとなるのです、たぶん。
へい、一口にお水といわれましても、パスタを茹でるに適した水というのはそれらの要素がふんだんに培われたお水なのですよ。。
お水が、たくさんのそれまでの経験を含んでいて、パスタはぐつぐつ茹でられながら、お水の味そのものを吸収していくのです。カラカラに乾いた乾麺だからこそ、水分と一緒に中で溶けられた塩分(茹でるときに予め入れておく塩。お水に対して1%量)、ミネラル、そしてその水が今まで通ってきたあらゆる痕跡が、パスタの中に流れ込むはずなのです。
パスタの味は、単に小麦粉その他の味だけではなくなる。この瞬間に、茹でられたパスタの麺がだんだんとあざやかな照り具合を見せて、”アルデンテ”となるのでした。
そ、お水は硬水と一般的に呼ばれてるお水を使うと良いのですー。
ほどよく純粋に近い水、軟水では、逆にパスタの魂が水に還っていきますので、パスタは干からび成仏となる。
さ、これでこの記事を読むあなたは、今回はマスコミによってお水の知識を植えつけられてしまったわけですな。
そんな私からは。美味しいパスタが茹で上がりますようにと、いくつか言伝をお送りしますね。
さ、次回はいよいよソースのレシピです。