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過去は絶対なるものだと、不可変なものだと今まで思ってた。
これまでの歴史は、1本道で、真実は一つしか無いのだと思ってた。
ほんとにそうか?
「いのちのまつり」という本がある。
本の内容は、お父さんとお母さん。
お父さんのお父さんとお母さん。
お母さんのお父さんとお母さん。
お父さんのお父さんのお父さんとお母さん。
お父さんとお母さんのお父さんとお母さん。
お母さんのお父さんのお父さんとお母さん。
お母さんのお母さんのお父さんとお母さん。
先祖をまたぐことで、どんどん存在が増える。
一つの命は、たくさんの集合体の先端に位置するもの。と捉えることが出来る。
それが全てに当てはまる。
祖先を辿って行くと、何処につながるのだろう。
と考えた時、あらゆる存在に。起源に。大元の存在に行き着くのだろうと。
先祖のたどってきた記憶を受け継いで。今存在している。
過去は、過去はどうやって認識されてる?
過去は、思い出として、記憶として、誰かの目線で語られることで、初めて其処に現れる。
話し手で姿形が変わる、目線が違うから。
真実は一つでも、見方によって変わる。
例えば、過去争いがあった時代のことを、
勝者は正義、敗者は蛮族、と、勝者の視点で語られてきた。
これが敗者の視点で見たら、また違う歴史が語られることになる。
どちらが善悪かというのはどうでもいいが、
ここから分かる通り、歴史は一つではないのだった。
過去は、その時代に生きた存在の数だけ無数に存在している。
そのどれもが真実であり、どれか一方の偏った考えに固執してはならない。
過去は一つじゃない。
だから、これが歴史だ!と絶対的に示す書物を前にした時。
それだけが全てではない、と悟るのだった。
人の数だけ歴史がある。
歴史は、自分たちの手で形作ることが出来る。
その意味を、改めて考えるのでした。
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- 2014年07月01日
生命のリズムは、それぞれが違う周波数を宿している。
人にとって、時間とは相対的なもの。
太陽のリズムと月のリズムの間で、相対的に感じ取っている。
木のリズム、石のリズム、地のリズム。
気のリズム、意志のリズム、血のリズム。
相対的なものだ。
時計の秒針の音は、まるで結界だった。
すべての生命のリズムを、一定の規格にしばりつけるような感覚。
昼と夜では時間の流れ方が違うのに。
心臓の鼓動は、そのスピードを絶えず変化させてるのに。
秒針の音は、一定間隔で刻む。
まるで電磁波のようだった。
あそこだけ「時の流れ」が止まっている。
ゆらぎが無くなっている。
故に結界。
時計の秒針の音は、生命のリズムを狂わす結界。
夏至の明朝、私は時計の針を停止させた。
偽りの神の名
というより、名が不完全なる証というべきか。
たしかにそれは事実の一部なのだが、
それを唯一絶対と思った時点で、真実からは遠ざかってしまうイイ例ですね。
様々な書物には、いろいろな神様の名があります。
色々な神様の名、かな文字もそう。
一音一音が神の名を型どったもであるから、神名(かな)文字って言うんですよ。
神はすべての存在であり、日本語で言えば50音全てが集うことで、日本の神名としては完全となる。
唯一絶対の神に名はつけられない。
名をつけた時点で、それは神の一部に限定されてしまうから。
仮に「あうん」と名付けるなら、その神は「あ,う,ん」の集合体で50音の一部だ。
「あ,う,ん」三文字は、それぞれが神の一部。
ただ、教義とか聖典の一部の記述がおかしいのは、
自分の名づけた神を唯一絶対と思い込んでしまうフシがあるところだ。
他、47文字のかな文字が迫害される瞬間ですよ。
「あうん」しか言えなくなるじゃないですか〜。
あうんあうんあうん〜。
苦しそう(o _ o。)…
まぁ、日本語の神名(かな)で例えるならこんな感じ。
唯一絶対の神とは、全て。それを分断して崇める時点で、
神の領域を縮小させてしまってるのと同じ。
さて、そういう見解を持ってして。
「神の名」と対話するのです。
それの意志を見る。
カイムの話で、なぜ神は「ハハウエ」という一部の「神名」を名乗ったのか?
追放前の楽園では、神は名を語らなかったのに、だ。
過去記事 ⇒ http://timelessberry.com/blog/298
かの「ハハウエ」は、その権力を利用して子らをそそのかしたのだと思う。
ホントは神の一部の存在である「ハハウエ」を唯一絶対、
と思い込ませることで、真実を歪めることが出来た。
「〜教」の唯一絶対とされる神の名は、そういう意味でまずい存在だ。
実際それが、人類の歴史において、争いを生む道具として利用されている。
弟アベロは、それに服従して「いい子」を演じていたが
兄カイムは、なんとなく見破っていたのかもしれない
善悪など存在しなかった場所に分別が生まれ、歪んだ世界が出来てしまったことを。
人類の歴史はそうして作られた。
「天地創造」
その意味は、格差社会の始まり。
正しい事実の集合体でも、組み合わせ次第では真実をねじ曲げてしまう。
本の内容を見るとき、読むべきは書かれてある事実じゃない。
その本の集合体が、何を意図して書かれてあるか?という点に注視する。
だって例え内容が正しくても、意図によっては、ここまでいびつな世界が出来上がってしまうのだから。
聖書に書かれてあることは、そのことをも含めて教義となっている気がする。
あれは私にはパズルに見える。
あれは、そのままの形では真実をねじ曲げて解釈しかねない。
あれは、わざと誤解しやすいような言い回しで書かれてるフシがある。
それが今の世界の有り様を示していると思えば、疑いようがない。
自然は、まるで一つの生命体のようだと感じた一つ前の記事。
もしかしたらアナスタシアさんたち森に住む人は、
自然とともに生きることで、生命はなぜ存在するのか?
自分の生きる意味、生命が存続する仕組み、その目的…
それらを確信を持って感じ取っていたのかもしれない、
と思いました。
関連記事 ⇒ アナスタシア-響き渡るシベリア杉-
自然が、多くの生き物からなる集合体であるように
人の体もまた、一つ一つの細胞からなる集合体。
この一つ一つの細胞、生きている。細胞一つ一つ生き物だと捉えられる。
すると、細胞一つ一つに核があり、中心軸が存在し、それらがそれぞれの役割を果たすことで
大きな集合体である人が生命活動を維持できている、ことが分かる。
細胞、一つ一つに個性がある。
望まれて其処に存在している。
大いなる存在が、その一つ一つにもっと目を配らせて働きやすい環境を作れば
より、個としてのパフォーマンスは向上するだろう。ということも分かりました。
そういえば、以前アンデルセンでこんな言葉を聞きました。
「原子と原子は隙間だらけだからね。」
あれはもしかしたら、この事をさらに原子単位で見たセリフなのかもしれない。
たくさんの物語の中に描かれた創造のアイデアは
それをより具体的にイメージさせてくれます。
一つ一つの細胞が生きている。
そこに空気と水と星。記憶が入る。
一つ一つがエレメント、精霊や妖精がみえる♪ヽ(。◕ v ◕。)ノ~*:・’゚☆
物語のフィルターを通してみた場合ね。
イメージの世界だから何でもありですね。
すると、彼らにも心があるから、性格もあるから、というのが理解できる。
じゃぁ、その子たちがもっと動きやすくさせてあげたら
解き放ってあげたら?
腕を、腰を、身体を、頭の天辺からつま先まで。
もっともっと解き放ってあげたら?
イメージの創造は、5感からくる。
みる、ふれる、あじわう、かおる、きく。
一つ一つの細胞で、全力で感じる。
まず、パーツ。
「みる」ことで、ふれる、あじわう、かおる、きくを同時に行う。
「ふれる」ことで、みる、あじわう、かおる、きくを同時に行う。
「あじわう」ことで、みる、ふれる、かおる、きくを同時に行う。
「かおる」ことで、みる、ふれる、あじわう、きくを同時に行う。
「きく」ことで、みる、ふれる、あじわう、かおるを同時に行う。
共感覚ってあるね。
あれを全ての感覚それぞれ、独立させた状態で行う。
その後、組み合わせる。
みるふれる
みるあじわう
みるかおる
みるきく
ふれるあじわう
ふれるかおる
ふれるきく
あじわうかおる
あじわうきく
かおるきく
今度は3つ。
そして5つ解放。
第六感は、その複合から生まれてくると思う。
それぞれを完璧に。自立させて、100%の力を発揮させて、組み合わせる。
依存は駄目だ。だからそれぞれ独立した感覚を鍛えていく。
これで、個としての能力もアップするはずだ。
この、一つ一つの細胞に語りかけて感覚を研ぎ澄ませる、
自分の場の中で行うといいかも。私にとっては森のなか。
木と湖の共存する場所。星も綺麗に見えます(‘ ‘*)
湖が星を照らし、自分の姿を映し、一つ一つの細胞を映しだしてくれる。
自分を取り巻く全ての存在と対話する。
アナスタシア第一巻に書かれていた内容は、
生まれた日の誕生日に、こんな感じのことをしてたのだろうか。
お誕生日は特別な日。そのときの星の配列が細胞の記憶。
自分をもっと知ることのできる、特別なタイミング。
参考記事 ⇒ 旧暦のお誕生日
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- 2014年06月10日
当たり前の話です(‘ ‘*)
自分一人、個として生きる最低限の環境をイメージしてみたら、分かる。
最低限、食べ物が実り、眠る場所を確保する。
一区画の土地、作物の実り、木の実、野草。雨水。
身近なもので賄えば、あとは十分な暮らしが出来るでしょう。
他の何も必要とせずとも生きていける。
それを別の記事に書いてきました。
http://goldenflower.jp/blog/2423
その光景から、誰が明日生きるためのお金を必要とし、老後のお金を心配し
子どもたちの未来を心配し、今必要とする以上に稼ぐ焦燥感に迫られるだろうか…
と、告げます。
個として動けば、そんな愚かな状況は招かない。
でも、人は集団になると簡単に愚か者となる
集団が愚かというのも、構成された社会体制の中心が愚か者だから、
そこを軸とした集団に属せば、そうならざるをえない訳ですね。
常識とか法律とか正義感って、簡単に人を騙せますからね(‘ ‘*)
よくここまで弄り倒せたなって思います。
灰色の世界。辺り舞う銀色。
通常ではありえない光景を、今目の前にしてる。
都会の光景をよくよく思い返してみると、近くに食べ物は実らない!
遠くから物資を運んでこないと生きていけない。
でも、人は食べ物なくても仕事を求めて集まって来る。
そういう場所に仕事があるからといって、
ごちゃごちゃした密集地帯で平気で暮らすし。それ生きるために必要?
どうして、周りは道路だらけなんだろう。
よく分からない既成品のオンパレードなんだろう。
工場? コンビニ、チェーン店、高級ブランド?
そういうところがなぜ物価の中心になるのだろう。
いや、お金はそういうトコまわっていいのだけれど。
最低限生きていくために、地に足のつかない所でお金を稼がなければいけないのは、
そういうふうにしてしまった今の社会は。どこか歪だ。
歪みが歪みを生み、生きづらい社会体制、搾取の横行がはびこっていた。
この記憶は、後の世にどう語り継がれるだろうか。
忘れてイイ…とは言えない。でも、こんな記憶に再現する価値はない。
物語性はあるかもしれない。こんな大変なことがあったって。
そして、愚かにも具の頂点を極めた存在は、手厚い因果応報を受けて崩れ去ってしまった。
残された人々は、以前にも増して力強い生命の力を思い出し
かつてのその時以上に、光溢れる大地となった。
こんな結末でよろしいのかしら?(‘ ‘*)
確かに、ここまで愚かな場面はそうそうお目にかかれないだろう。
この状況から復興するには、かなり頭をつかう。知恵も借りなければならない。
ここまでグチャグチャにされた地盤を修復できる程の知恵を集められたら、
それはかつて以上のモノを実現する足がかりにもなるかもしれない。
発酵力がそうだ。
今話題の放射能を乗り切るには、コレが必要不可欠だ。
そういえば、放射能が浄化されるには何十万年もの歳月が必要だとか。
言ってたな。
。。。あれをリセットする手立ては、もう発見されてる。
原発屋には扱いきれない技術だけども… 相反するもの。
たぶん、科学者たちは生命の力や影響力を過小評価しすぎた。
だから抗生物質で、どうあっても対処できない細菌が出来上がってしまうし
遺伝子組み換えの植物は、自らの種を殺すようになる。
自然の摂理とは、かくも芸術なのか(‘ ‘*)
自然は集団というより、個の生命に近いな。と感じた。
其処に根付く一つ一つの命が、臓器だったり細胞だったり血液だったりするのだ。
全てが必要とされて、一つの自然の形をなしている。
小手先の科学技術では、とうてい太刀打ち出来ないのだ。
科学は、それ自体は愚かじゃないけど。
集団で常識として認知されてる「科学主義」は、愚かなり。
一つの生命から切り離した臓器は、もうその役割を保てない。
その視点では、永遠に繋がりを理解することは出来ないのだ。
分断された社会集団は、このまま散り散りに散ってしまう。
代わりに、本来のあるべき姿が戻ってくる。
集団は機能を失い、個の偉大さが目覚める。