過去の歴史は無数に存在する
過去は絶対なるものだと、不可変なものだと今まで思ってた。
これまでの歴史は、1本道で、真実は一つしか無いのだと思ってた。
ほんとにそうか?
「いのちのまつり」という本がある。
本の内容は、お父さんとお母さん。
お父さんのお父さんとお母さん。
お母さんのお父さんとお母さん。
お父さんのお父さんのお父さんとお母さん。
お父さんとお母さんのお父さんとお母さん。
お母さんのお父さんのお父さんとお母さん。
お母さんのお母さんのお父さんとお母さん。
先祖をまたぐことで、どんどん存在が増える。
一つの命は、たくさんの集合体の先端に位置するもの。と捉えることが出来る。
それが全てに当てはまる。
祖先を辿って行くと、何処につながるのだろう。
と考えた時、あらゆる存在に。起源に。大元の存在に行き着くのだろうと。
先祖のたどってきた記憶を受け継いで。今存在している。
過去は、過去はどうやって認識されてる?
過去は、思い出として、記憶として、誰かの目線で語られることで、初めて其処に現れる。
話し手で姿形が変わる、目線が違うから。
真実は一つでも、見方によって変わる。
例えば、過去争いがあった時代のことを、
勝者は正義、敗者は蛮族、と、勝者の視点で語られてきた。
これが敗者の視点で見たら、また違う歴史が語られることになる。
どちらが善悪かというのはどうでもいいが、
ここから分かる通り、歴史は一つではないのだった。
過去は、その時代に生きた存在の数だけ無数に存在している。
そのどれもが真実であり、どれか一方の偏った考えに固執してはならない。
過去は一つじゃない。
だから、これが歴史だ!と絶対的に示す書物を前にした時。
それだけが全てではない、と悟るのだった。
人の数だけ歴史がある。
歴史は、自分たちの手で形作ることが出来る。
その意味を、改めて考えるのでした。
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