夜の蝶

夜はとても音が響く。
きこえるきこえる、木の葉の散る音。

そこでは仄かなアカリが視界を遮る。
暗闇。僅かな光のブレが、脳裏に焼き付く。
ああ、だから。

夜のネオンは、繊細な夜の情景を見えなくさせてるんだ。
代わりに、分かりやすい綺羅びやかさで視界を遮る。
明るければ、怖くない? うんん、其処には何もない。

 
だから、灯りを消すのです。
静かに。耳を澄ませてみる。

繊細な夜の移ろい。
細やかな闇の情景。

星の灯り、木立ちの鼓動。
死者の幻霊、植物たちの囁き。
夜の蝶、虫のさざめき。

 

小さな音が聞こえる。
感情の波は捨てる。
暗がりの中でただ其処に居る。
聞こえてくる。

私は、人里から離れた夜の森の、本当の姿を知って。
真っ暗闇で何も見えなかった頃の、情景を思い出しました。

都会の裏山は、まだ明るすぎるのです。


夢の情景に隠された言葉

一個前の夢の記事。

あれ、あの時出会った天然石が見せてくれた情景だったのだろうか?
と思った瞬間、こんな言葉が流れ込んできました。

「人は、自分の内にある記憶の中でしか存在を感じることが出来ない」

 
どういう事かというと、私の見た断片的な情景は
それは私が認識できる範囲で、私というフィルターを通して映った情景。

本当は、石が何かを伝えたかったとすれば
表面的に目に映る情景を「真実」とするのではなく
底に隠された意図に目を向ける必要がある。

 
なぜいつも行ってる裏山が出てきたか?
おそらく、私の知る範囲でそこが一番存在が近かったからだ。
石は裏山の天辺という位置から、其処に意図する言葉を伝えようとしてくれている。

そこから続く狭い洞窟の先で、原石が埋まっている。
これは、私の記憶にあるラピスラズリ館の情景に続いている。

そして、私を其処に連れて行ってくれた人たち。
あれは、その人達じゃない。その人に近しい存在であると思い直す。
たぶん石さんが私に分かるような姿でやってきた可能性もある。

何となく思う。
楽しそうな感じだった。

 

夢は誰かの思念も影響を与えるだろう。
それを読み解くのは、自分自身のフィルターだと、
でもって、より的確な場所にたどり着くには
フィルターを外して考える必要もある。

記憶にある情景だけが全てではない。
石は違う時代を生きても居るのだから。

あれはガーネット。
火をイメージさせる石。

そういえば昨日は、火星が接近してた日だった。


石たちの夢

久々の夢日記。

降り立ったのは裏山だった。
裏山にはいつも行ってるが、そのときは

「◎◎◎(えらいひとw」さんと一緒に連れてってもらった。
なんと。ヘリコプターで。

そしたら、ヘリコプターでしか行けない天辺に降り立って。
其処から入れる秘密の洞窟があったのです。

ん?
こんな場所があったのか?

 
入って行くと、

「この辺りマグマで焼かれた石があるんだよ。宝石みたいに」

と言われてて、でも見えない。(なんでそんな詳しいんだろう?0

しばらく歩くと、ものすごく狭い通路に出た。
太ってる人は通れないよ(。◕ ∀ ◕。)ノ

頑張って通る。
すると、その壁には行く種類もの宝石(の原石)が埋まってるのです。
この壁だけ異様に違う雰囲気だった。キレイだった。

狭いけど。。

 
赤色の石を一つとって、通り過ぎました。

ら、なんか其処は博物館の裏口(通行禁止のロープがあった)につづいていた。
あららら。。こんなところにつながってる。

よしよし、あの場所に行きたければココを通ればいいな。
なんて思ったり。

 

帰り際、何やら別のルートを通るようであの場所には戻らなかったけど
えらく鮮明に覚えてる情景だったなぁ。

あの方達は、こういった道を知ってるんだな〜とか。
どうしてうちを連れてってくれたのかな〜?とか。

 
ルートを知れるのは良いことです。
次はヘリでなく飛んでいけるわけだし。

 

あの壁の石たちは、石が見せてくれた情景なのかもしれない。
そういえば、あの方たちのお家には、立派な石が飾ってあった。

アメジストだ。


バーチャルアクター

もし私が〜だったら・・・
もしも〜だったら。私の世界はどのように変わっていただろう。

と想像することが稀にあります。

 
ココは、物語を創造するときの最初の一歩。

多分、人生とは自分のそれだけを生きてるのではなく
それまで関わってきた人や食べ物や生き物たち。
全ての存在と関連しあって存在してるものだから。

人は自分の中に、たくさんの生きた情報が詰まってて。
人は一人では生きられなくて、それはつまりその奥の数えきれないほどの存在と共に合って。

 

もし私が〜だったら・・・
もしも〜だったら。

この仮定は、私という媒体が内に宿る存在を「表現」する。にも似ている。
そのとき、内に宿る存在は、現実において生を得る。

想像が現実に影響を及ぼす。

 

すると私は言う。
これは作り物の私だ。

だから何だ。それも私だ。

0歳から100歳までの人の記憶に残るお話。
男の子の立場と女の子の立場
境遇、人生、見聞きしたこと。
限られた範囲でのすべてが私の内にあり。同時に全てが私自身である。

想像したことは、すべて現実に反映させられる。
人はほんとうの意味で一人ではない。常にそれらと共にある。

 

もしも私が〜だったら。
という人生を同時に歩むことで、積み重なる経験値は倍に膨れ上がる。

そんな夢を見ました。


最初に言葉ありき

言葉とは、音の響き。
最初に、音の響きがあった。

それが言葉だ。

 
何かを伝える時、私たちはまず言葉を口にする。
その言葉に込められた響きが、相手に伝わる。

言葉に込められた響き。
音に響かせた想いが、言葉の中心にある。

 

最初に想いありき。

 

人とコミュニケーションをとろうとした時
おそらく、学校で習ったような正しい文法、正しい言葉遣いは必要ない。
あれはかえって、意志を伝えようとする本来の役割から私たちを遠ざける。
海外語のお勉強などは、特にそうだ。

そもそも、正しい言葉遣いというのは存在しない。
すべて後付のもの。

 
私たちは知っている。
根本に立ち返ることで、それを思い出す。

最初に言葉ありき。最初に音ありき。

その一音に込められた想いが、人を動かす。