偽りの神の名

偽りの神の名
というより、名が不完全なる証というべきか。

たしかにそれは事実の一部なのだが、
それを唯一絶対と思った時点で、真実からは遠ざかってしまうイイ例ですね。

 

様々な書物には、いろいろな神様の名があります。
色々な神様の名、かな文字もそう。

一音一音が神の名を型どったもであるから、神名(かな)文字って言うんですよ。
神はすべての存在であり、日本語で言えば50音全てが集うことで、日本の神名としては完全となる。

 

唯一絶対の神に名はつけられない。
名をつけた時点で、それは神の一部に限定されてしまうから。

仮に「あうん」と名付けるなら、その神は「あ,う,ん」の集合体で50音の一部だ。
「あ,う,ん」三文字は、それぞれが神の一部。
ただ、教義とか聖典の一部の記述がおかしいのは、
自分の名づけた神を唯一絶対と思い込んでしまうフシがあるところだ。

他、47文字のかな文字が迫害される瞬間ですよ。
「あうん」しか言えなくなるじゃないですか〜。

 
あうんあうんあうん〜。

 

苦しそう(o _ o。)…

まぁ、日本語の神名(かな)で例えるならこんな感じ。
唯一絶対の神とは、全て。それを分断して崇める時点で、
神の領域を縮小させてしまってるのと同じ。

 

さて、そういう見解を持ってして。
「神の名」と対話するのです。

それの意志を見る。
カイムの話で、なぜ神は「ハハウエ」という一部の「神名」を名乗ったのか?
追放前の楽園では、神は名を語らなかったのに、だ。

過去記事 ⇒ http://timelessberry.com/blog/298
 

かの「ハハウエ」は、その権力を利用して子らをそそのかしたのだと思う。
ホントは神の一部の存在である「ハハウエ」を唯一絶対、
と思い込ませることで、真実を歪めることが出来た。
 

「〜教」の唯一絶対とされる神の名は、そういう意味でまずい存在だ。
実際それが、人類の歴史において、争いを生む道具として利用されている。

 

弟アベロは、それに服従して「いい子」を演じていたが
兄カイムは、なんとなく見破っていたのかもしれない
善悪など存在しなかった場所に分別が生まれ、歪んだ世界が出来てしまったことを。

人類の歴史はそうして作られた。

「天地創造」

その意味は、格差社会の始まり。

 
正しい事実の集合体でも、組み合わせ次第では真実をねじ曲げてしまう。
本の内容を見るとき、読むべきは書かれてある事実じゃない。
その本の集合体が、何を意図して書かれてあるか?という点に注視する。

だって例え内容が正しくても、意図によっては、ここまでいびつな世界が出来上がってしまうのだから。
聖書に書かれてあることは、そのことをも含めて教義となっている気がする。

あれは私にはパズルに見える。
あれは、そのままの形では真実をねじ曲げて解釈しかねない。
あれは、わざと誤解しやすいような言い回しで書かれてるフシがある。

それが今の世界の有り様を示していると思えば、疑いようがない。


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