読書
書物には人柄が現れるな。って思った。
書いた人の視点が、書いた人の世界観が、文章で再現されている。
どんなふうにモノを見てるか、それを見て何を感じ、思うのか。
そこから、どのような理念で行動していくのか。
一つ一つ、見ることが出来る。
読書。
読書量の多い人は、もしかしたら
色んな人の視点を内包してる、優れた人になるのかもしれない。
。。
視点にもよるけど。
読書。
色々な人の人生、生き様を追体験する。
1章を一瞬で。
そして自分の中で物語を再構成する。夢の中で。
書物には人柄が現れるな。って思った。
書いた人の視点が、書いた人の世界観が、文章で再現されている。
どんなふうにモノを見てるか、それを見て何を感じ、思うのか。
そこから、どのような理念で行動していくのか。
一つ一つ、見ることが出来る。
読書。
読書量の多い人は、もしかしたら
色んな人の視点を内包してる、優れた人になるのかもしれない。
。。
視点にもよるけど。
読書。
色々な人の人生、生き様を追体験する。
1章を一瞬で。
そして自分の中で物語を再構成する。夢の中で。
特定の未来を知ってるものが居たとして
過去に渡り、その世界の存在たちに、予め危険回避を知らせる…
その結果、どういった結末が待っているのだろう。
という追体験をしてみました。
未来は、予言できるのか?
既に起こったことのように?
いんやー、無理だべ〜。
。。。
通常の視点では、障害を予測して避けるのは難しい。
難しいから、誰にでもその背丈にあった障害がやってくる。
それを乗り越えることで、今後、それを回避する実力がつくのだろうと思う。
未来を知ってる存在が過去に渡って
この時、こういうことが起こるから。
事前にこうしたらいいよ。ああしたらいいよ。囁くと
その場はいいかもしれない。
だけど、障害を乗り越える実力も無く、
ただその場しのぎの対処を続けるとどうなるのだろう。
すごく失敗する気がする。
失敗したのだろう。
実現したい未来があって、その道を進む途中。
今、目の前には、自分にとって必要な現実が訪れている。
その意味を、見ようとする。
因果応報かなぁ。
〜だから〜なる。
突き詰めていけば、分かるようになる。気がする
未来を予測するなら、相応の目線が備わってから。
現実を見る。
過去は絶対なるものだと、不可変なものだと今まで思ってた。
これまでの歴史は、1本道で、真実は一つしか無いのだと思ってた。
ほんとにそうか?
「いのちのまつり」という本がある。
本の内容は、お父さんとお母さん。
お父さんのお父さんとお母さん。
お母さんのお父さんとお母さん。
お父さんのお父さんのお父さんとお母さん。
お父さんとお母さんのお父さんとお母さん。
お母さんのお父さんのお父さんとお母さん。
お母さんのお母さんのお父さんとお母さん。
先祖をまたぐことで、どんどん存在が増える。
一つの命は、たくさんの集合体の先端に位置するもの。と捉えることが出来る。
それが全てに当てはまる。
祖先を辿って行くと、何処につながるのだろう。
と考えた時、あらゆる存在に。起源に。大元の存在に行き着くのだろうと。
先祖のたどってきた記憶を受け継いで。今存在している。
過去は、過去はどうやって認識されてる?
過去は、思い出として、記憶として、誰かの目線で語られることで、初めて其処に現れる。
話し手で姿形が変わる、目線が違うから。
真実は一つでも、見方によって変わる。
例えば、過去争いがあった時代のことを、
勝者は正義、敗者は蛮族、と、勝者の視点で語られてきた。
これが敗者の視点で見たら、また違う歴史が語られることになる。
どちらが善悪かというのはどうでもいいが、
ここから分かる通り、歴史は一つではないのだった。
過去は、その時代に生きた存在の数だけ無数に存在している。
そのどれもが真実であり、どれか一方の偏った考えに固執してはならない。
過去は一つじゃない。
だから、これが歴史だ!と絶対的に示す書物を前にした時。
それだけが全てではない、と悟るのだった。
人の数だけ歴史がある。
歴史は、自分たちの手で形作ることが出来る。
その意味を、改めて考えるのでした。
食べるのが好き。
食べ物は富の象徴。
という考えがある。
なぜそうなるのだろう?
それは、食べ物は記憶を宿しているからだ。
と、誰かが言ってました。
土地の記憶、土の記憶、降り注いだ雨、太陽の光
それらのエネルギーが凝縮されて、実に宿っている。
それを私達は食べている。
郷土料理という言葉がある。
地産地消という言葉がある。
それを食べることは、その土地の記憶を受け継ぐということ。
その場所の大地を踏みしめ、風の匂いを感じながら
その土地の食べ物を頬張るのだ。
瞬間、土地に根付いた独特な雰囲気や歴史を舌で感じ、自分の記憶の一部にすることができる。その記憶が、自らの財産となり力となる。
富の証は、そのエネルギーからきている。
吟遊詩人は、各地を旅歩きながら、幾土地もの記憶をその身に宿していった。
そして、その記憶を伝え歩いては、その場でお捻りを頂いて生活の糧としていた。
(と同時に、富を構築できる資産=記憶の設計図がとんでもなく増えていた)
と想像できます。
今もね、郷土料理を味わおうと思えば、できると思う。
現地で採れた食べ物をたべると、その土地独自の風格を、身に沁みて味わえます。
それがとても嬉しい。
戦後、大量生産でぐわーって画一化するのは失敗だったね?
記憶が削がれてましたですよ。
はいはい、ふっかつふっかつ(。◕ ∀ ◕。)ノ
生命のリズムは、それぞれが違う周波数を宿している。
人にとって、時間とは相対的なもの。
太陽のリズムと月のリズムの間で、相対的に感じ取っている。
木のリズム、石のリズム、地のリズム。
気のリズム、意志のリズム、血のリズム。
相対的なものだ。
時計の秒針の音は、まるで結界だった。
すべての生命のリズムを、一定の規格にしばりつけるような感覚。
昼と夜では時間の流れ方が違うのに。
心臓の鼓動は、そのスピードを絶えず変化させてるのに。
秒針の音は、一定間隔で刻む。
まるで電磁波のようだった。
あそこだけ「時の流れ」が止まっている。
ゆらぎが無くなっている。
故に結界。
時計の秒針の音は、生命のリズムを狂わす結界。
夏至の明朝、私は時計の針を停止させた。
HN:鈴鳴 ると