WiFiのネット回線料金 見直し

ネット回線料金の見直し。

今まで2年ほど、WiFiのLTE回線を主に使ってました。
当時はWiMAXの圏外に住んでたので、イーモバイルだったんですが。

月額4000円弱、容量制限、ちょっと料金的にどうなのかな?
ってことで、この機会に乗り換えてみようと思いました。

最安料金を調べた結果

WiMAX ⇒ WiMAX・WiMAX2 最安料金比較
イーモバイル ⇒ イーモバイル ポケットWiFi最安料金比較

 
あら、2年前ってこんなに安かったっけ???
って思えるくらい、どれも安くなってる感じがしますね。

特にWiMAXとか、次世代の2+に早々対応してて。
しかも月額3000円以内で収まるプランがあるとは(o _ o。)…

 
今まさに乗り換え時なんじゃなかろうかと感じた、今日このごろです(‘ ‘*)


現実を変える力は、誰にでも備わっている

現実を変える力は、誰にでも備わっている。

 

今回は、それを忘れてしまった人への物語。
諦めてしまってる人への物語。

 
あのね(‘ ‘*)

 
部品として生きてるだけで、世界に確かな影響を与えてるの。
あなたが何もかも現状を諦めて、ロボットのように動き続けてるから。
枠組みを作った人の集合体は、未だ生き永らえているように見えるの。

統治者や権力者のせいにしちゃダメだよ。
全部思い込みによって、悪夢を見させられてるだけなの。

 

「正義は弱い者の味方。
だから、正義を遂行するのだ。
悪の政治に鉄槌を!!鉄槌を!!」

って。
取り組みや制度に批判ばかりする人。
自分は何も変わろうとせず、単に口だけの人。

 
ココにも罠があるの。
聖書の見開き、善悪の知恵の実の見解が一つあるんだけど…

http://goldenflower.jp/blog/2115

 
藤原政権が潰えました〜。
織田信長打ち取りました〜。
はい、徳川幕府が潰れました。

みんな正義執行できたね、えらいね(‘ ‘*)
めでたしめでたし。

そして時を経て世は平成…

 

こんな感じなの(。◕ ∀ ◕。)ノ

正義の名のもとに、他の存在への批判や責任ばかり追従する人って。
もしかしたら、自分という存在の非力さを過信してるのかもしれない。
自分で変えられないと思い込んでるから、大義名分を装って他への責任転嫁に忙しいのかもしれない。

ある意味傲慢ね。

 
確かに目前の政策に対して身を守る術は必要。
だから、意識して舞台を少しずつ降りて行くとイイ。

そうして自分を取り巻く舞台に、嫌いなものなど何ら関与させなければ問題がない。
そのシナリオを書くのが自分自身。自分の作った物語を生きるのです。

 

他人の作った劇場の舞台裏で描かれた脚本に対して
さも自分事のように批判するのは滑稽でしょ?
その時点で強制的に参加させられかねないの。

この脚本みたいに、登場人物として。

 
 
現実を作り出すのは自分自身。その力が各個人に備わってる。
創造の選択権を自分から放棄しておいて、寝ぼけたこと言わないで…

皆が「」とか面倒だ捨ててしーまお(‘ ‘*)となれば
すらーっと消えるじゃないですか。
七面倒な決まり事とか誰からも相手にされなくなるじゃないですか。

国や政治や法律や宗教や邪神や陰謀論や吸血鬼や地底人や爬虫類人や異世界人やエイリアンや侵略者とか訳の分からないその他諸々のお芝居ごっこ、情報化社会でやたらと出回ってたけど、自分に必要ないものは次元を超えてアセンションなんですよ。

目の前から存在が消えるの。

 

一人一人が枠組みを無視するですよ。
一人一人が望む現実を好きに作って良いのです。

誰かに現実を作り替えてもらお〜なんて、自分の生き様を放棄するから巻き込まれる。
だから寝ぼけている。生きたまま。眠らされて、動かされて。お人形さん。

かわいそうなお人形さん。
手のかかる非力で哀れなお人形さん。

 
ほら、何か物申してみよ(。◕ ∀ ◕。)ノ
生きているなら。

 

 

舞台裏の物語は続く…(‘ ‘*)


過去を振り返る”時”は、本当の想いを強固なものにする

過去を見失った時、探しに行く必要がある。
私達の多くの記録は失われてしまった。
膨大な量の記録が失われてしまった。

それを全て思い出し、本来の歩みを取り戻そうとするには
あまりに膨大な時間がかかる。

私達には、前を向いて生きられる時間が限られているからだ。

 

あまり望みのない人、現状に満足してる人は過去を振り返らない。
そして、現実をスピーディーに積み上げていく。

 

今、世界は労働者で溢れかえっている。
彼らの労働力は資源だ。もっと働かせるにはどうすれば良いだろう。

そうか、現状に満足させればいいんだ!!!

と、世の支配者たちは考えました。

娯楽を与え、文明の利器を与え、充分に管理された食べ物も与えて。
適度に満足感と安心感を与えよう。
そして自分たちの目的のために、国の発展と称して日々ロボットのように成果を上げてもらおう。

そう考えました。

 

彼らによって、生きる環境が破壊されてるとも知らず

まさに燃えるようにエキサイティングな日々を過ごし。
興奮のあまり、なんて彼らの世界は素晴らしいんだ!と、ね。

 
その生き方、取り組みに何の疑問も持たずして働いて死んでいった人たちは、
彼らの設計した地獄絵図の部品として、その一生を消耗させられていたのでした。

…気づいた時は、すでに取り返しの付かないことになってたんだ。
だって、もう終わりの時間が訪れてしまったのだから…

 

 

でもね、今ね。

世界はこんなにもオカシナ状況になっている。
何かが変。そう思ってる人が、ほぼ全員になってきてる。

行動の変化に移せてるか移せてないか、疑惑なのか確信なのか。
程度の違いはあるけれど…

 

あの頃とは状況が違う。

こんなにも、取り返したかった私達の想い。
失われた記憶、過去に刻まれたメッセージ、それを見てくれる人が増えたんだ。

生者が過去を取り戻した時、その本当の意志を取り戻した時。
その者が解き放つ現象化のスピードは、ロボットの比にならないほど加速する。
意志を伴った行動には、其処に属する皆の集合体がついてくるから。

 
ただ動かされてるだけのロボット。
回路を一つ断ってしまえば、それはもう機能しないでしょう?

彼らの哀れな現実など吹き飛ばしてしまえるのだ。

 

  

い〜い?

現実を動かしてるのは私達なの。
けっして彼らの思惑でも何でもないんですよ。


現実を観るということ

大切な記録。
夢を見る時、よく過去を振り返る。

過去は遺産。
それに目を向けずして、何を得られよう(o _ o。)

「過去を振り返るな、前を見て生きろ」

 
何となく格言っぽい言葉(‘ ‘*)
これ、使いようによっては言葉の暴力ね。

 
限定的な状況では間違ってはないけれど、
ロボットのようにこの言葉を鵜呑みにすると
場合によっては、大切な部分から目を背けられてしまう。

今、今誰かがやってることは、過去の思いが産みだしたもの。
現実のディティールは、表面的なものでしか無い。
根幹の部分は過去にある。

現実のディティールの奥には、過去の思いが隠されている。
そして過去の思いは、未来への成就に向かって意志を発し続ける。
その過程として現在がある。

 

今が大事。今、今、今!!!

そう、間違ってない。
乗ってる時はそれでいい。

今を生きることで過去から未来の流れを同時に体感し、
今、自分の理想に向かって突き進んでいるという喜び。
その流れに乗っかって何処までも進んでいける。

それが今を生きるということ。

 

だが、その視点が実感できないのに

「今が大事、現実が大事、前を向いて歩こう。」

 
そんな言葉で強制されてしまったら、その人は…
自らの意志や目的意識を見失ったまま…
表面のディティールでしかモノを見なくなってしまうでしょう?

多くの人が、そうであったでしょう?

 
どうでもいい世の中の動きに組み込まれて、
今日もいっぱい働いたね(‘ ‘*)
えらいね、よしよし。それで終っちゃうのです。

 
特に、自分のことは後回しで無理して頑張ってる人。
過去を振り返って、こんなはずじゃなかった!
さぁ、本当は今、私は何をしていたかったのか?

過去の自分に問うのですよ。

 

現実は、過去と未来の流れの中に存在する。
現実を観るということは、過去を振り返り、未来に託した想いを観ること。

だから今、現実から目を背けたい時、逃げ出したい時
一度原点に立ち返って、幻想の世界を自ら作り出し、自分が成し遂げたかったこと
それを改めて確認しにいってるのです。

根幹は過去の原点にあたる。
お誕生日、生まれた場所、太陽と月、星の巡り。
そこから受け継いだものを得て、この世に純粋な生を受けた。

 
年に一度のお誕生日に、湖に潜って星空を観るというのは、原点に立ち返る。
そんな意味があったのですね(‘ ‘*)

一度過去に立ち返って、かつて自分の中に在った自由で純粋な頃の想いを照らします。
自分はこんなふうに生きていたい。純粋な願いが、過去から現実に呼び起こされます。
それが、共に理想の未来に向かって進む原動力となるのです。

これが、真に現実を観るということ。想いを観るということ。
そうすれば、真の現実の姿をもって進んでいけるということ。


お供え物のほんとうの意味

供物。主に神仏にお供えする物。食べ物。
これは、神様や仏様の為に一方的に捧げるものではない。
 
 
神様に食べさせる、という視点を変えてみる。
古来では八百万の神といって、ありとあらゆるモノに神が宿ると考えられていた。
私達にも、土にも、木にも、水にも、そして食べ物にも。

 
収穫した作物は、形の良い1割を残すでしょう?
あれは自然の神様に捧げるための供物とも見れるけど、そうじゃないですね。
大地に食べさせて、新たな種を根付かせて、来年もまた立派に実りますように。

そこが本来の目的ですね。

 
食べ物のお供えも、一方的に神様に捧げるのでは無かったのです。
発酵という考え方があったのですよ。お酒も漬物も味噌もお米も。
当時の目に見えない神様の名を一つ現すと、おそらく私達には乳酸菌という言葉で通じる。

その見えない一粒一粒の粒子に、食べさせるのです。栄養素を。
そして発酵させる。そしたら、その供物がさらに美味しくなって返ってくる。
コレを、古代の人は知っててやってたんだと思います。

 
こういった体験を経て、そこに気が付きました。

http://goldenflower.jp/blog/2329

 

現在、供物については一部で誤解されてるフシがあるような気がする。

生贄とか? 自らが犠牲になるものではないと思えてきます。
邪神だったら知らん(‘ ‘*)

一方的に捧げて、ゴミにしてしまうようなモノはお供えとは言わない。
誰もそんなムダなことしない。捧げた品物に対して失礼に値する。
決まり事みたいにお供えお供えでなく、本来の目的を忘れてはならない。

自らの成長を祈って、神(菌?)に介して、醗酵させて、再び大地に根付く。
自分たちのために、身を清めて自ら熟成させる、という考えに至るはず。

皆のために供物が犠牲になるというのはお供えではない。
自らが望んで、成長するべくして神に供え、身を清めていたのだと感じます。

 

神様の一部は…
見えない菌…

 
ありとあらゆる物に宿る。

 

 

なるほど。現代の風刺画、見た。
殺虫剤、抗菌剤、薬剤、洗剤、溢れていた。

。。。

思い返せばコレって、節分の豆撒きの話と重なるのですよね。

鬼は内、福も内

 
云うなら、皆さん知らずに神殺ししてましたよと(‘ ‘*)
そしてキリストでいうところの禁忌、偶像の神を崇めてましたよと。

「”It is done.”(やっちゃったわ!)」

 
そんな感じになるのでしょうか。大変ですね…

 

神様は身近にいるんですね。
もっと活用してあげると喜ぶと思う。

みんな対等な関係なんだから。