月食を眺めていて、これは月を眺めてるわけではない・・・と感じた。

水面に映る月をみて、まるで2重の月を見ていると感じるように。
あれは水面を見ているわけではない、水面に映る夜空の光景を見ているかのように
もちろん中には水底を覗きこむ者も居るだろうけど、
大部分の存在は、無意識の内に水面に映る虚像の方を見ている。
月は、地球の影を映していた。
あれは地球の影。月食を通して月面に映る地球の影を見ていたんだ。
だから、あの月の瞳が地球の瞼で覆い隠れる時、
自らの瞳も閉ざし、その瞬間に世界から虚像の光が失われる。
見ているのは、自分自身になる。
月に語りかけた音が自分自身の中に響いて、自分自身の存在が鮮明に感じられるようになる。
月が教えてくれた。
この世界を見ている私たちは、実態を見ているわけではない。
自らの瞳に映った相手の幻影を、自分の瞳という「鏡」を通して認識しているのだ。と。
自分が認識している光景は、相手の実態を映し出してる虚像。
月(鏡)を見ているようで居て、実は月(鏡)に映る地球を見ている。を置き換えてみると何となく理解できる。
今、自分が見てるものがどういうものなのか、改めて考えさせられた。
月の瞳とは、見ているものの影を映し出す瞳。
自分自身が普段見ることのない世界(つまり自分自身の姿)を
月が鏡となって見せてくれるもの。
月食は、その規模が大きくなって、
まさに自分自身を含む地球の裏側を映しだしてくれるものだった。
と。。。
あれを目の当たりにすると、地球が丸いこと。
それから地球が太陽と月の間を動いてることを、よくよく実感できる。
それから、普段気づかなかった視点が開けて。
相手を見ることは、自分自身の「鏡」を相手を通して見ることとも認識できた。
なぜ月の満ち欠けが地球に影響するか。
この視点で一瞬だった。
地球に棲む生命にとっての太陽と月の位置の影響が、そのままあの形に現れるからだ。
地球のバイオリズムを、月という鏡が映しだしてくれている。
私たちが月をみる時、やはり月の満ち欠けが自分たちのバイオリスムを指し示している。
それが、地球上に棲むすべての生命にとってのバイオリズムに当てはまる、大規模なモノになっている。
月の満ち欠けが、そのまま地球上の生命を、潮の満ち引きを、それによって風の流れまでを、暗示してる。
といっても月が動かしているわけでもない、地球自身が動かしているそのバイオリズムを、月が映しだしてくれているということ。
だって、実際に回っているのは地球だもの。
月は、常に地球に同じ面を向けて、地球と一体となって一緒に動いている・・・
月はずっと同じ面を向けて、地球自身を映しだしてくれる、鏡。
月を見ることで、地球の動きを見るのです。
相手の瞳に映る自分を見ることで、自分の動きを悟るのです。
これが月食から学ぶことの一つかなと思いました。
私の瞳に映った月食の話はこのような感じ。
他にも、違う人の月食のお話を色々と聞いてみたいものです(‘ ‘*)
- 1件のコメント
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- 2014年10月08日
時間を置くと、過去の自分とは違う視点で振り返ることが出来る。
何かを生み出す時、描きたいという想いと、遺したいという想いが合わさって暴走する。
一点集中だから視野が狭く、だから自分の目線至上主義でどんどん話が進む。
ずっとどこまでも突っ走っていって構わないと思う。
ただし、後になって別の自分になった時、他人の視点でそれを解読することが出来るようになる。。
別の視点だと、自己目線至上主義では???なところが結構出てくるのだ。
そこを、2回目になぞるときに補完していく。
3回目、4回目となぞるうちに、もっと補完できてくる。
でも、元がきちんと筋道立ってないといけない。
もともと描くということで、全体像はっきり、進む道もはっきり。
どこまでも書き進んでしまえばイイ。
一気に書く。
あとで直す。
コレに尽きる。
大切な存在に分け与えたいと思ったとき
自分を高めることをする。心のすすを払い、一心に磨くことをする。
そうすることで、分け与えるものが光り輝いてくるから。
それが大切な存在のもとで生き続けることを思えば、手は抜けないのだ。
魂の込もった作品は、誰かの記憶の中で生き続ける。
この輝きは、色褪せることなく魂に刻まれるだろう。
愛が自分の大切な存在へと分け与えるものだとすれば
分け与えることは同時に、自分の存在した証を真に受け取ってもらうこと。
その記憶を、より光り輝くものにするために、自分のすべてをその一瞬に賭ける。
自分のすべてを、自らが手がける作品に込め、生命を吹き込む。
大切な存在に役立ててもらうために、それが自分の存在した証とするために。
分け与えることで、存在の証は積み重なっていくだろう。
故に愛は創造であり、その瞬間に自分のすべてを掛けて打ち込むものだ。
と、解釈するのでありました(‘ ‘*)
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- 2014年10月02日
神聖なる泉にて。
その泉の前に、力を求めるものが居た。
彼は力を願った。
白蛇にそのお願いを託していた。
すると白蛇は泉の中に潜り、龍の姿になって現れたではないか。
人の背丈より少し大きいくらいの龍の姿。それは言った。
我の生き血を吸うが良い。さすれば我の力をその身に宿すであろう。
そう言った龍の瞳には悪意、明らかに別の意図を宿していた。
彼自身の心の奥に宿していた悪意が、龍の姿となって現れていたようにも思えた。
血を吸え。まるで吸血鬼のようだと思った。
これはもしや、龍の力に乗っ取られるということのか・・・
その血を吸えば、膨大な力を得る代わりに龍の力に支配されてしまうのだろう。
白蛇とは龍の映し身であったのだろうか?
聖なる存在ではあったと思うが、まるで泉のように。
その者の性質を映す鏡のような存在だったのだろうか。
白蛇が滅多に姿を表さないのは、常に何かを映し続けているからかもしれない。
純粋な白として現れるのは稀なのか。何かを暗示しているかのようだった。
巡る箱庭を作ったのが、2004年の9月29日。あれから10年。
遠い昔のことのようで、今でも当時のことを鮮明に思い出せる。
何もなくて、音だけの世界。
ずーっと浸っていた。湖の音。
ざぁー。ざぁー。
あれから10年。
色々な情報が集まって、それでも肝心なものを遺すには足りないでいる。
もっと注意深く観察する必要がある。
あそこはもうひとつの現実。
理想を叶えるためのパズル。
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- 2014年09月30日