欲望の正体

欲望。

これがどういう影響をもたらすか、何となく理解できた。

まず起点の思いがある。「生きる」ための欲望。

「食べ物に困らないように」
「ずっと健康でいられるように」
「お金に困らないように」

 
こうしたい、そうなりたい、ああされたい。
自分の中に足りないものがあって、それをどうにか掴もうとする行動!
自分自身の力で達成できるのであれば、そのように行動すればいい。

 
しかし相手があっての欲望となると、人は可笑しな行動をしてしまうみたいだ。
「自分がして欲しい行動を、相手に対してする側に立つ」無意識に行動してしまうようだ。

人によく思われたい、がその典型。

愛されたかったり、必要とされたかったり、理解して欲しかったりすると。
足りない愛を、依存を、不十分な理解を相手に押し付けてしまう。
自分がそのつもりがなくても、相手を引きずってしまう。遠ざける行動をしてしまう。

 
逆に「相手にそうしたいと思う行動を、自分がされる側に立つ」ということもあり得る。

 
なるほど。なぜか。。
思いを叶える方法を自分自身で見つけられない場合は、誰かの存在を経由する必要があるからか。と推測。

 
自分に理解がない場合、相手を理解することは難しい。
ならば自分を理解せしめる行動を、相手から引き出す必要があるわけだ。

健全な医者でしか、患者を治せないように。
不健全な医者は、患者を診てるようで、実は自分が治療される側に立ってる場合が多い。

 

患者さん。
治して欲しい!と思って、医者に見せに行くと、大抵悪化する。医者を治す側に立つから。自覚在る?
今の世の中世知辛いから、こういうちぐはぐな状況はたくさん生まれてしまってると思う。

けれど、自分と相手と。確かな関係を築けていれば。いずれなるようになる。
不十分な理解によって、自分が反対の行動をしてしまってることに気づけたなら、其処から変わる。

因果応報で「やっとことは還る」から。

 
矛盾が解かれることで、想定以上の逆流の力が、これまでの望みを叶える方向に働くだろう。
今まで自分の中に足りなかったものが満たされて、自信を持って生きる力に変わる。

今後、自分が治す!という意志で医者の意見を聞きに行くと、治療を自分に活かすことができる。快復に向かっていくだろう。
 

 

欲望の正体は、矛盾。苛まれるもの。
足りない自分に、自分が何をしでかしてたのかに。
気づき、紐解かれることで、望みを叶える力に変わる。


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