1町分の広さは存外狭い
山の開墾は存外狭い
およそ9000平米
荒地の開墾は、当初終わりの見えない道のりに思えました。
竹林
クヌギ林
笹地帯
沼地
申し訳程度の畑。
笹や竹で道が塞がれていたのを、少しずつ開いて6年。
なんと、全てを踏破した。
1人で始めてたのが2人になり、同志に恵まれ遠くからもお手伝いに何時間もかけて来てくれたりで。
後半どんどん開かれて参りました。
結局道具はあまり必要なく、この身一つでどうにかなる感じだったかもしれません。機械もほぼ入れないままいけました。後から草刈りをしなかったので、何度か草刈り機でヘルプしてもらいました。美味しいご飯も作ってもらえてました。畑は任せパなしでした。差し入れも、運命を共にありがとう。
道具はあった方が便利だけど、身一つでどうにかする状況からも得る感覚が豊富で。
草でも竹でも枯れ木でも、刈るべき場所、倒すべき場所は、既に枯れて折れやすくなっている。それらは次世代を育む土壌になる。サイクルを手助けする感触で。
何もわからないながら、道を開いて、笹を刈って、溝道を掘って、風を通していきますと、少しずつ荒地の草の生え方が変わり、窮屈だった景観が穏やかな装いを醸し出してくれる。
窮屈な杉林は、竹林に徐々に押されて勢いを無くす。
最近、皮むき間伐というのも習った。子供でもできる。
竹だらけの竹林は、下の再生作業を進めるうちに、少しずつ古い竹が朽ちて、下草が生えるようになっていってた。直接触らなくても、繋がった場所は何かしら変化でてくる。
これから竹を切り倒さねば。。と意気込んでたら、ほぼ朽ちた竹を倒すだけで、大きな木が何本か窮屈そうに立ってるが見出されて、この木が大地を育ててくれるなぁと思いつつ、周りの絡まった蔦や竹の破片などを取り除いてスッキリ。
浅い根っこしか入らない場所も竹の端材が積み重なって、新しい苗床を作ってくれてるように思う。
これです!
徐々にメンテナンスフリー。
お山の、さまざまな命の営みが、その場所を活性化させていくのを、身近に感じるのです。
決して一人でやってるのではない!!
お山は、それ自身が良い状態になろうとする流れの中に居ます。少し助けてあげるだけで、ずっと良い状態になることを体感しました。
どうして継続的な人間のお世話がいる?
そんなことはない。広大な敷地のお世話は最悪1人でも可能。どうにかなるまで時間かかるけど。。
人間が手を加えないとどうしようもない状態にしてしまったならな。
所狭しと杉や檜ばかりで埋め尽くした林は、人間や動物の食べ物もなく、下草もなく、水も保水できない。
だから、人が杉の間伐などをして手入れをせねばならない。近隣は放置林が目立つ。換金目的は結局こうね。
手入れが行き届かなくて、放置して荒れる。
という状態なので、山は人が手を入れ続けねばならないという錯覚に陥る。そう?
放置してれば良いんですよ。自然は常に再生の最中にあるので。
山は全ての命が健全に生きる上で必要不可欠の場所で、それが荒れてる今の状態は、悲しいのだけど。
どうして手に終えないなどと抜かすの?
企業に売り渡すなどアホの極みですよ。
基本的に企業は、利益になることしかできないようになってるので。
山は人間の価値基準で計ることなどできない。
遠くの企業が、その場所に住む全ての命のことを思って、その土地に接することができますかね?
自分たちの代でぐちゃぐちゃにした地上の遺産、誰も生活できない引き継げないような、状態にしたのは??
どういった仕組みでこうなりましたか??
考えてね。
最も、手入れを続けないとどうしようもない仕組みなんてのは、この世から消え去る運命なのですが。
次はコンクリートの分解ですかね?
プラスチックやビニールもですかね?
骨が折れますね。
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