お話をきく

お話をきく
どんどんきく

きいただけ、より明確にイメージできる。
ベストな選択は>よくわからない。でも、より核心に近づく。

たった一手だ。

本当に、究極には、風を撫でる動作だけで
木がそよぐような、あんなささやかな動きで

全てが事足りる。

 
どうして、自分が出来もしないのに動く必要があるだろう。

ただ、じっと聞く。
音の響きが、夢の中でこだまする。

 
何をみているの?
たくさんのビジョン、たくさんの幻影。
多くの者は幻に囚われ、空をかすめ、自ら目を回す。

ほら、じっとみて、ただじっとみて。
何者も、あなたを邪魔するものは居ないから。

囚われの常識や、表層の言葉は、まさに幻。
それらを無視して進んだ先に、本当の、芯なる音が響いている。

じっと耳を澄ませて。


真言

上辺の言葉は、無残にも通りすぎてくよ。
誰とも知らん、他人の言葉が響くかぇ?

少なくとも、その人の生き様と、何を想って書いてるのかというのを平行して
言葉の背景を通して読み取ろうとしない限り、その真意を読み解くことは出来ない。

 

どんなに有名な人の言葉も
周りの人が築いたイメージも、
今話題のあの人の記事も

その先入観は、まやかしにしかならない。
 
 
 
その人の生き様を見て、
実際にやってることを見て。
本当のその人の心情を感じて。

心で感じながら、言葉を読み解いていく。

 

そこに、真実が視える。


囲いの扉

鳥かご。囲いの扉。
それは家、私たちの家みたいな。

私たちの居た空間は、かつて「無限」に続いていた
人々は、そこに囲いを作り、無限との境界線を引いた。
有限の柵の中で、「未知」という不安を追い出し、自分だけの空間を持った。

しかし、無限という可能性を絶たれた囲いの中では、その中でしか生きることを許されない。
鳥かごに囚われた状態で、何も変わらない、何も変えられない退屈な日々を送る。
新しい風も吹かず、ただ、その中でのみ産まれ、生き、死ぬのだ。

かごの中の鳥。

 
大きな一つの街に境界線、ガラス張りの壁で外界との出入りを絶たれ、その先は何もない。
例えるなら、人間の作った文明、住処とは、そんな感じ。会社と家。囲いの中に居る。

限られた物質の中で、その現象を固定化したものだけを、時間の止まった美だけを、永遠の輝きとして、そこに閉じ込めようとした。
そこでは、死という醜い存在を許さない。時間の流れを、老いというものを、囲いの外にある未知の領域を、変わることを、本当の自由を、あれは、あれは望まないんだ。

 
かつての人間の一部が、自然界の創造物に対し、人間だけの力でそれ以上のモノを作れるはずだと挑戦し続けた。
自然と敵対したのは、自然の美に対する嫉妬からだというのも、或いは、万物との繋がりを絶たれたからだというのも。
あれはかつての楽園を自ら塗りつぶした後、全く違う方向性から、新たな楽園を築こうと奮闘した。
結果、先代たちの楽園を勝手に分解し、それを自分勝手に改悪して、自らジリ貧になってしまった。

 
無限への扉を閉ざした時点で。
自然と敵対し、内に閉じ困った時点で、
その運命は決まっていたも同然だった。

囲い込みを、囲いの扉をそろそろ開放するかね。
有限の世界は、これ以上創造しようがない。
どんなに素晴らしいモノも、固定化した時点で、
それ以上の創造物が生まれる可能性をすべて否定してしまう。

万物に、生と死を。等しく分け与えようか。
 
 
死するもの、かつての作品は、記憶となって無限の世界に灯り、いつでも書庫を開けることで、取り出すことが出来るものだから。
もういいんだよ。仮初の閉ざされた世界は、今にも死にたがっている。誰もの心の奥底から消えて無くなりたいと、苦しそうに、今。ほら。

 

簡単。囲いの扉を開けるだけでいいんだ。
 
 
家、ドアあけっぱなし
庭、広々、木々が周りを守護する。
天井、星。いっぱい


忌むべきは死じゃない、死を無視すること

カラスの身体は道路の真ん中に横たわっていた。

もしも、誰もが気付かず通り過ぎたら?
死を見ないふりしてたら?

if節を、ここで再現してみようと思う。
 

あの子の身体は、延々と車の脅威に晒され、恐怖の音に引きつり、安息の日は永遠にやってこなかった。忌むべきは死ではない、死の循環を断ち切らせたアスファルトの存在こそが、カラスを悪霊に豹変させようとしていた。
死体が幾重にもタイヤに踏み潰され、血がこびり付き、走る車が死の呪いをまき散らす。カラスから生まれた悲痛の叫びだ。だけど、あれはカラスの呪いのように見えて、実は死の存在を否定された地面の怨霊そのもの。アスファルト、が、あの概念を作った。

死を受け入れる土では、還った土から芽が出て実りを産み、果実が動物たちを呼んで生命の種を運んでもらえる。

が、

死を呪うアスファルトでは、死体がいつまでも転がり、車に轢かれて血がこびりつき、死の呪いが遠くまで運ばれていってしまう。

 

あそこは永年、生命の気配を感じられない。
地盤そのものが呪われているということ。アスファルト
コンクリートやセメントで固めたのもおんなじ。

まるで、死者の上に墓石で蓋をするように。
何でもかんでも、死という存在を見えない場所へ追いやっている。

 
そうやって、死の存在を無視する事こそが、本当に忌むべきこと。
誰もが、この悲痛な惨状を受け入れねば、未来へと希望を繋ぐことは出来ない。
生きてる人に気づいてほしいから、死の存在は呪いとなって人々に訴えかけている。

誠意を持って応えれば、あるべき場所に還ってくれる。次世代の力になってくれる。


カラスの埋葬

街の交差点の道路で轢かれた。カラスさんの身体。
を、拾った。

カラスさん、死者を祀る側だったのが、逆の立場になろうとは。

 
虚無感が突き刺さる。
いちど道路脇の草むらに寄せて、用事でその場を後にした。

 
みんなカラスの死体が見えてないみたいだった。

たぶん、地に足がついてないと観えないんだね。
あと、死?を目の当たりにするのが嫌なんだね。
あと、手を汚す?のも毛嫌いするよね。見なかったふり(。0 _ 0。)ノ

 
アスファルトは、死の存在を許さないから。
死者の居場所がないの。上の死体は土に帰らず、腐って呪いをまき散らす。
私たちの殆どは、アスファルトの地面の上で、死を見やる。だから、あれは忌むべき存在だと見て取る。

その行く末は悲惨、見てはいけないモノとして、死や悪霊の存在に蓋したね。

 

でも、ホントは、どこでだって死は土が迎え入れる。
土の中は死者の揺り籠、ちゃんと、生命の循環の輪に、土の子たちが還してくれる。

誰? その役目を土から奪ったのは。
死の存在を無いものとして、アスファルトの地下に封じ込めたのは?
 
 
死は生を繋ぐもの、本来の役目に立ち返るとき。黙って受け入れるものと理解する。
土が安息を与え、周りの存在たちが死者の想いを読み取って、嘆きの声を地上へと孵す。
死から、新たな産声を以って地上に産まれ、積年の想いを成し遂げようと、再びそれは動き出す。 
 

私はその場に戻ってきた。カラス。カラスの身体に触れた。
私はカラスの意志を抱き、土の子どもたちに委ねた。

カラスの森へ、山道の外れに谷間があり、朽ちた木の根本にその場所があった。
光が指して、綺麗な光景だった、木の葉の匂いと、遠くから、カラスたちの鳴き声
近くに、美しく立派な別のカラス羽が落ちてたので、土を掘った中に、一緒にして、埋めた。
 

死者の魂。彼の選んだ。死の寝床。
もう何物も、あの子の願いを妨げる者は居ない。