忌むべきは死じゃない、死を無視すること

カラスの身体は道路の真ん中に横たわっていた。

もしも、誰もが気付かず通り過ぎたら?
死を見ないふりしてたら?

if節を、ここで再現してみようと思う。
 

あの子の身体は、延々と車の脅威に晒され、恐怖の音に引きつり、安息の日は永遠にやってこなかった。忌むべきは死ではない、死の循環を断ち切らせたアスファルトの存在こそが、カラスを悪霊に豹変させようとしていた。
死体が幾重にもタイヤに踏み潰され、血がこびり付き、走る車が死の呪いをまき散らす。カラスから生まれた悲痛の叫びだ。だけど、あれはカラスの呪いのように見えて、実は死の存在を否定された地面の怨霊そのもの。アスファルト、が、あの概念を作った。

死を受け入れる土では、還った土から芽が出て実りを産み、果実が動物たちを呼んで生命の種を運んでもらえる。

が、

死を呪うアスファルトでは、死体がいつまでも転がり、車に轢かれて血がこびりつき、死の呪いが遠くまで運ばれていってしまう。

 

あそこは永年、生命の気配を感じられない。
地盤そのものが呪われているということ。アスファルト
コンクリートやセメントで固めたのもおんなじ。

まるで、死者の上に墓石で蓋をするように。
何でもかんでも、死という存在を見えない場所へ追いやっている。

 
そうやって、死の存在を無視する事こそが、本当に忌むべきこと。
誰もが、この悲痛な惨状を受け入れねば、未来へと希望を繋ぐことは出来ない。
生きてる人に気づいてほしいから、死の存在は呪いとなって人々に訴えかけている。

誠意を持って応えれば、あるべき場所に還ってくれる。次世代の力になってくれる。


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