意識の解き放ちv(>v<)vカニ

この世界、目に見えるもの。
実際は自分の脳が、見えたものとして認識してるだけだったの。
現実そのものを自分の目は映し出していない。

モノの見え方がそんなものと覚えた場合です。
自分の在り方しだいで、現実のモノは如何にも換えられてしまうじゃないですか。

 
こうなったら世界の常識が自分を縛ることの無くなる。
逆に、自分自身が現実をどのようなカタチにも書き換えてしまえるのです。


Macに乗り換える。。

Logicを使ってみたく。
と言うよりも、アップル社のデザインに一目ぼれ。
近日中に乗り換えようと考えてます。

今のPCも随分使い込んだし。容量やメモリも既にいっぱいいっぱい。
時代はいつの間にかデジタルに加速してるし、4年前だった頃の視点では追いつかない;

 
サクラには随分お世話になりました。
フリーで此処まで出来るのがもはや凄かったです・・・
しかし、どうしても音の時間差系列が図りづらいのと、出来上がりのイメージが一目で分からないのと;
全体的にそれで作業効率に限界あるのかなとも感じ取れてしまい・・・
やむなく。ちょち乗り換えようと思います。

新しい環境に慣れて、ばんばん作曲していきたいな…


ちょち錯乱気味文章(o _ o。)

ささ、起きたら不思議な夢だったの。
火がね、燃えてるの。ぼわ~って。火事寸前。

火って、目に見えるエネルギーなんだね。
熱を持って、物質を変換させる働きを担う。エネルギー。
現実に見える形なのは、けっこう特殊な存在なんじゃないかって思います。

 
あのね、物質が存在する世界軸が少しずれると;
エネルギーが存在する世界軸に視点を定めることが出来るのです。
このエネルギー主体の次元でモノを見ると、逆に物質が見えなくなるんだ。
そのものを覆っているエネルギー(オーラみたいなの?)として認識出来るみたい。

ただ、火はエネルギーなのに、その時見えなくなりました。
熱はあるから、感じることは出来る。
しかし、なぜエネルギー主体の次元で火が見えなくなってしまったんだろう。
消そうにも、感覚的に水を掛けつづける事しか出来なかった。

 

とか、そんな夢でした。

 
そう。結局現実味の無い、不可思議な内容ね。
信憑性が無いの~。


郷愁に浸れるラーメン屋さん…

うちの住まいの長丘の近くに、すっごく美味しいラーメン屋さんがあるのです。
最初そこを通り過ぎたとき、おしゃれな丸太小屋かと思ってたらラーメン屋さんでした。

そこのマスター曰く、魚に有るじゃないか;鮪が…!とかなんとか。

 
此処のマスターの気まぐれで、来るたびに色々なBGMが流れてます。
主に昭和の時代に流行ったバラード、ロック、歌謡曲。
とかく、そこに来るお客として何回かお邪魔したのですが、たまたま一緒になった叔父さんから面白いお話を戴きました。

 
「ああ、これは俺達が若い頃に流行った曲だ。お兄さん(お姉ちゃん?)は若いから知らないだろうね。ほんと当時いい曲ばかりだった。昔聞いた曲はいくつになっても忘れんね~。この時だけ俺もあんたと同じ20代に戻るんよ。。。」

 
曲が、過ぎ去った時代を呼び寄せてたの。
その叔父さん、ほんに生き生きしてた。
こんな、いくつになっても忘れない曲というのが、時代の中に生きるのでしょうか。。。

 
マスターは、相当音楽に詳しい方でした。
だから、当時の曲のエピソードについても話題が尽きることの無い。
きっと、此処に来たお客さんたちは知らずのうちに青春時代へ戻ってしまうんでしょうね。。

ラーメンが美味しいだけでない。
うち、とても勉強になる経験でした。


思考は本来、光なの

言葉で物事を考えることは、其処にある種の限界が生まれるの。
思考は次から次へと湧き上がるけれども、それを言葉として捉えておくにはあまりに時間が掛かりすぎる。
こうやって思考を言葉に書きとめておくにも、考える目的の上では足枷なのです。
ただ記録を目に見える形で残したり、他の誰かにも伝える手段として、これは最終的なカタチにはなるのかな。

ただし、思考する上で言葉は要らない。
思い立ったり感じ取ったその瞬間にこそ、真実が宿ってるもの。
そこで感覚的に、記憶に留めておけばいいのです。
これを恐らく、直感って云うのかな。
人の持つ本来の感覚。光の速さでの、一瞬の閃き。

最大限に発揮させるには、一旦言葉を領域の外に置いておくですね。
速読の感覚とも似ている…