今、目の前で起こってることは

現象は、響きあいによって生まれている。

今、目の前で起こってることは

自分自身の投影。

自分自身が持つ響きというものを、

目に映る物が、目の前の現象を介して、教えてくれているの。

 

現実は、あってないようなもの。まるで鏡。

自分の中に存在し得ない響きを、現象に観ることは出来ない。

 

だから何か気に入らないことが起こった場合

なぜ多くの指南書が、自分を変えることを推奨しているかというと

現実は、変えようがないから。

鏡の性質は、鏡の性質。鏡に八つ当りしても、そこは本当の原因じゃない。

自分自身が、現実をそう捉えさせるのが問題。

気に入らない響きを自分自身が宿していることが問題。

 

そんなときは、自分自身のあり方を望む方向に変えればいい。

ラジオのチャンネル、周波数を変えるように、

今、目の前で起こってることは、自分自身の投影。


動物の能力

その昔、動物の能力を欲する人が居たんですよ。

その昔というか、今もですね・・・
やたら、能力欲しがる人居ますよね。

鳥、空を飛び
熊、むきむきパワーで
馬、地を駆け抜け
猫、形なきモノを見通す

そんな人達に需要があるかどうか分かんないけど、
本日は一つ、その方法を書き置きします。

 
ずばり

「なりきり」です。
「なりきり」ね。

 

子どもたちが良くやる、ごっこ遊びですね。
ごっこ遊びっていっても子どもたちにとっては遊びじゃないですよ。

本気です。本気でなりきるのです・
めっちゃ本気、マジ( '∇')

私は鳥。自由に大空を駆け回り、ぴーぴーぴーーー。
とかいってるうちに、ほんとに鳥の声発するんですよ。
そのうち、鳥さんが寄って来るじゃないですか。

ぴーぴーぴー。
かー、かーー。

そしたら、わかるんですよ。
何がって、その能力の源泉が。

音を介して、分かるのです。
ホントになりきるんですよ?
身体は器ですよ。中身が鳥ですよ。

そしたら、どうして鳥が空を飛べるか分かるじゃないですか。
人間の体で出来ることは、こうしたら飛べるという明確なイメージを描くことじゃないですか。
イメージを描けたら、それを実現できるよう助けてくれるんです、彼らが。動物たちが。

熊さんの力も、そうだし。
狼も、お馬さんも、猫さんも、そう。

彼らになりきって、彼らと共にすることで
自然と能力の源泉に気付くようになるじゃないですか。

あとは、持ち前のイメージの力で、能力を具現化させればいいわけです。
動物が好きなら、その力は自然と身につくのですよ。


この日この時この場所で

全てはタイミング。
今、このときのタイミング。

彼は言いました。

「全ての物事は、最もちょうどいいタイミングで訪れる」と

ただしそれは、真に自分の人生を生きるからこそ

「全ての物事は、最もちょうどいいタイミングで訪れる」と

そのように仰ってました。
出典元はバシャールの本です。

私が思うに

みんなが心の赴くままに生きる時
全てのタイミングは、ちょうどいい案配で訪れる。
 

この日この時この場所で

完璧なタイミングで出会うから、そこに本当の物語が生まれる。
偶然じゃない、望み通りの人生を歩んでたら、そういうめぐり合わせは訪れる。

会うべくして出会うから、そこに望んだ未来を描くことが出来る。

 

だから、思ったんです。
今、世の中が混沌としてるのは
タイミングをずらされているからだ、と。

規律や縛り、責任感、そういうちょっとしたことが心の声を聞こえなくする。
例えばいつも時間に追われて、自分のやりたいことが出来ない場合。
無理やり、計画を先に先にと焦らされた場合。

準備段階が疎かになって、大局で、重要な部分で上手くいかなくなってしまう。

逆もしかり。
株とか土地、不動産の売買ってそんな感じ。
絶頂を迎えたあとに、この僅かなタイミングを遅らせて周囲にアナウンスすることで

一般大衆は損を掴まされ続けてきた。

 

富を望んでるのに、それを手に入れるタイミングをずらされていた。
ある部分では、外のアナウンスに耳を傾けるのは大事かもしれない。

だけど、私は思う。そんなの重要じゃない。
気が向かない時に、望まぬ方向には進みたくないじゃないか。

心がクリアであれば、感覚がすべてを察知する。
気の向くままに、「今」望む姿で現在を生きれたなら

 

きっと全てはうまくいく。

この日、この時、この場所で。

巡り会えたのは必然だった。


月の引力

満月は、月の引力が増す。
思いがもっとも実現化しやすいタイミング。

中秋の名月

ただし種をまかずに花咲く訳ではない。
地球の重力が最大限に働く新月に願掛けをして、
望みの種から根を地面にのばす時期が。この時期が大切。

そして月の引力が増す満月のときに、種の思いが実る。
 

もしも自分が望みを見失っている場合。
自分が何のために生きてるか分からなくなってる場合。
それは根が地中から抜けてしまって、まるで宙ぶらりんな状態。

思いを見失っては、月の引力に飲まれる事になる。

自分が望まぬ方向に生きてしまってるとき
この日、もっとも事故率が高い。


夢から醒める時

人は夢のなかで生きていると誰かが言ってた。

それは唯一絶対の円が、ほんとうはただの夢だったってことなんだろうか。

みんな自分自身の円を持ってるし、その円は何にも囚われず、自由な姿を映し出すことができる。

もっと自由に、自分の好きな形で、自分が思い描く形で、理想の世界が、自分自身の円で再現できるの。

 

近代の壁は壊れつつあるみたい。
その隙間から永らく眠っていた領域が、域を吹替し始めたもの。

ごらん、一部の企業が独占する情報は、
自分たちの都合のいい用に、舞台のセッティングを整えた形で
皆のイメージの中に一方的に発信してたんだ。

法律で囲い
流行の音楽を流し
報道するニュースを選りすぐり

 

半強制的に、国民を唯一絶対の円に参加させていた。

だって、法律は知らなければ、その人には存在しないもの。
流行の音楽は、聞かなければ、その人には流行じゃないもの。
報道するニュースも知らなければ、その人にはなかったも同じ。

 

本当だったら、唯一絶対の円なんてバカバカしくて
殆どの人が見向きもしなかったと思うよ。

けれど、円の外にある領域を、唯一絶対の支配者が認めなかったんだね。
色んな手を使って、そんな不確定なものを潰し続けてきたんだね。

 

唯一絶対の円よ。
その円を司る唯一絶対の神よ。

あなたは、。
そうあなたは、。

壁を作った時点で、すでに息絶えてしまっていた…

だって、コレ以上広がりようがないもの。
縮小していく一方。

消えるのは時間の問題なの。

 

参加者は夢から覚めた後、各々の円の中心に戻っていくんだね。

そしてまた自由で楽しい領域が、少しずつ広がっていくんだね。

 

。。。

それにしてもこのお話、

わざわざ物語に記録する価値ってあるんだろうか。

儚くも悲しい夢物語というか、なんか読んでて間抜けに感じる。