あなたを縛るもの
ほら(。0 _ 0。)ノ
「罪の意識」
これが、人を弱体化させるんだってさ。
あらゆる可能性を奪うんだ。
罪の意識が…
ホントは、何をやっても許されてる。
自然界の全生命に、人間とて例外じゃない。
「やったことは還る」という因果応報があるだけ。
何をやっても許される。
自分がやったことを、自分自身で受け止めさえできるならば。
そう、何をやっても許される。
なにもかも自由だ。
なぜ、人間だけが、自ら苦しみを生み出そうとするのか?
いちいち罪を感じるのはなぜ? めんどくさいよね。
これ最初はね、ホンの些細な事だった。
それがどんどんエスカレートしていった。
ついには、宗教が生まれ、国が生まれ、十戒が生まれ、法律が生まれた。
聖地が築かれ、境界線を敷かれ、この線を踏み越えてはいけない、が生まれた。
その線を踏み越えてはいけない。が、至る所に生まれた。
あれをしてはいけない、これをしてはいけない。
逆もしかり、あ〜しなければいけない。こうしなければいけない。
それが法律であり、道徳であり、掟であり、人間社会である。
その中で、人は集落を築いて、家単位で、厳重な戒めの中で生きた。
人間社会の中で正しくアランためにな…
子育ての苦悩の原因もここかな?
もしも、理から外れれば、なぜかそれが罪だそうな。
人を縛るもの。
罪の意識?
知ってるよね。
最初からそんなもの存在しないことを。
その意識は、人間自身が生み出した苦しみの幻影に過ぎないことを。
だって、人の世の理から外れたら…
外れた時点で、そこに裁く人は誰もいなくなる。
目の前に在るのは自然界の因果応報さ。。。
今まで常識だと思っていた社会からの追放は、
確かに恐ろしいかもしれない。
だけども、社会全体が死に向かおうとしてる今。
そんな幻影に怯えるのは、もはや取るに足らなくなった。
人を縛るものは罪の意識だ。
だが、その罪と思わされてることが実は錯覚であり。
最初からそんなの無くして、人は最善の道を生きていける。
むしろ理から外れたところに、人間の真の生き方がある。
国も法律も十戒も誰かの教えも教育も、遠い場所のニュースさえも、
最初から、必要ない。存在の価値すら無い。
早く錯覚に気づいて…
石の囲みを飛び越えるくらい、簡単。
誰でもできる。
もし心理的に、飛び超える恐怖に抗えないとしても
子供たちが。
何も知らない子供たちが、
無邪気な笑顔でそれをぶち壊してくれる。
人間の作ったものを笑顔で壊せるのは
子供たち。それから自然の動物たち。
美しい光景だね。
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