存在の起点を観る

存在の起点を観る。
それが存在してる理由を観る。
その人の意志を観る。

骨の形
音の形

 
はっと気がつけば
このような言葉を思い出しました。

「殆どの人は雰囲気でしか判断しない」と
「だいたい9割ね。顔の表情や服装、表層のオーラで判断する人が殆どね」
「ほんとうの意味で、その人の存在を見てる人はとても少ないの」

 
そういえば、私もそうだな…
と、思いました。

顔の形、表情、雰囲気で人となりを判断している。
服装や言葉遣い、周りの付き合ってる人、所属してる場。

それで判断してるなと、思いました。

 
確かに、表向きそれで判断は出来るのです。
ただし、見えてる部分はその人の一面でしか無い。

付き合う人が変われば、人柄も変わるように。
職場が変われば、自分を取り巻く状況が変わり、自分の有り様も変化するように。

表層のオーラ、雰囲気、表情の作り方で判断できるものとは、
直接的で一時的なものなのだと。思い直しました。

 
その人の本当の姿を観るにはどうすればいいのだろう。
すると、記憶の中で確かに聞いていたのです。

「骨の形」
「観るのは想い」
「思いの起点は、腹の内」

 
人は、自分の意志で生きる時
本来の姿に立ち返る。

古代では、嘘が通用しなかったのでしょう。
けして、隠れて悪さは出来なかったのです

 
だから、かつてより奴隷制度が作られたのかもしれない。
自分が自分に嘘を付いているとすら気づかないような
言われたとおりにしか動かない人形。

彼らを使えば、隠れて裏で操作して、悪事が出来るようになるから…

 
表層ばかり見てたら、その人の本当の想いは見えないけれど。
そこに気づいた時、少なくとも自分の周囲に嘘は無くなるでしょう。

もっとクリアに、周囲が見えやすくなると思う。
すべてが明るみに出れば、因果応報が分かりやすい形で返ってきます。


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